死の直前までの友愛の記録

『ベンヤミン−ショーレム往復書簡』山本尤訳、法政大学出版局、一九九〇年




奇跡的に残っていたベンヤミン宛てのショーレムの書簡が発見されて、この往復書簡集が生まれた。書簡というのは片道通行では、ほとんど味わうことができないことを考えると、この発見には感謝したい。ベンヤミンが死ぬ直前までのベンヤミンとショーレムのあつい友情の記録を読めるからだ。


それにしても、時代が変わったと思わざるをえない。書簡が届くまでにきわめて長い日数がかかり、船で長旅を強いられる。今では電子メールは瞬時に届くし、飛行機で数時間で行き来できる。でもそれで失ったものも多いのだろうと、思う。友情というものは、瞬時性とは折り合いがつきにくいものではないだろうか。

ベンヤミンは戦時中の検閲に妄想に近いものをもっていたようだ。それだけに、ショーレムが注をつけてくれていることは役立つ。二人の対話の中心になったのは、マルクス主義とユダヤ教、そしてカフカだ。ベンヤミンはショーレムには自分のマルクス主義的な思想をあまり詳しく説明することを避けているようだ。

ベンヤミンは自分のコミュニズムは「より小さな悪」にすぎないと語り、「ぼくのコミュニズムは、考えられるあらゆる形式や表現法の中でも、信仰告白という形を取ることのもっとも少ないものであり、その正統性を犠牲にしてであれ、ぼくの思考と生活の中でなされたある種の経験の表現以外のものではまったくない」(173)と述べているだけである。ベンヤミンとマルクス主義については、たとえばクロソウスキーのほうがきちんと説明しているだろう。

ショーレムがブーバーについて語っていることも気になる。ショーレムは、ブーバーがヘブライ語を話すことを強いられたときに、ブーバーの思想が「最終的にはっきりとわかる』(296)と語っているが、ヘブライ語で話すことに、それほどの意味があるのだろうか。フランス語の思想とヘブライ語の思想にそれほど違いがあると思えないのだが、「両側からあまりに多くを見て」きたショーレムには、最後の見極めがつかないのだという。

またベンヤミンはユングのナチスへの荷担について、いろいろと調べていたらしい(307)。ユングとナチスとのかかわりについてはすでにいろいろな研究が出ているが、「ユングの説、とくに古代のイメージと集団の無意識という説に反論することで、「パリのパサージュ』のある種の基盤を方法論に固めておきたい」というのは、どういうことだったか、もう少し考えてみたい。

ベンヤミンがカフカの解釈に関連して、ショーレムからどのような思想的な刺激をうけたか、この書簡集だけではわかりにくい。これについてももう少し考えたい。最初の手紙で、ベンヤミンが「ぼくはここであちこち歩き回っているときにすでに何度か会ったことのある一人のかなり奇妙な若者と知り合いになって、ぼくが一人でいたくないようなときには、彼を招いて白ワインを一杯ご馳走する」(13)と語っている。ショーレムによるとこれは死に神のことらしい。ベンヤミンは死ななくてもよい状況で、この若者に出会ったのかもしれない。

タイトル ベンヤミンーショーレム往復書簡 : 1933-1940
責任表示 ベンヤミン,ショーレム〔著〕
責任表示 ゲルショム・ショーレム編
責任表示 山本尤訳
出版地 東京
出版者 法政大学出版局
出版年 1990.12
形態 423,12p ; 20cm
シリーズ名 叢書・ウニベルシタス ; 326
注記 原タイトル: Briefwechsel 1933-1940.
ISBN 4-588-00326-7
入手条件・定価 3914円
全国書誌番号 91034520
個人著者標目 Benjamin,Walter (1892-1940)
個人著者標目 Scholem,Gershom Gerhard (1897-1982)
個人著者標目 山本, 尤 (1930-) ‖ヤマモト,ユウ
個人名件名 Benjamin,Walter (1892-1940)
個人名件名 Scholem,Gershom Gerhard (1897-1982)
NDLC KS350-Benjamin,Walter.
NDC(8) 940.28
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000002099885





2003年11月30日
(c)中山 元

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