ヒーメロスの形而上学

K・I・ブドゥリス『正義・愛・政治』山川偉也訳、勁草書房、一九九一年




ギリシアの哲学者のブドゥリスが日本各地で行った講演を集めたもの。とくにヘラクレイトスの政治哲学についての考察と、プラトンのエロス論をヒーメロスという視点から読み取る文章が興味深い。ヘラクレイトスは謎に満ちた哲学者があり、プラトンはヘラクレイトスの政治哲学を畏れたという。『国家』とは違う古代ギリシアの政治哲学のイメージがうかがわれておもしろい。

断片しか残れさておらず、最後にはエペソスの人々に愛想を尽かしたヘラクレイトスだが、それでもポリスの法は城壁のようなものであり、すべての市民が防衛すべきだと語っていのであり、政治的な行動も示したらしい。著者によると、「国家の至高の表現は、人々の共通意志、そしてロゴスを結びつくところの、法である」(32)。ポリスの内部には、対立するさまざまな集団が形成されるが、こうした対決と葛藤のうちか、「共通善を特定する法」が「力動的に、市民や市民からなる社会諸集団を結びつける」(33)。

スタシスがポリスを結びつけると考えるところに、プラトンとの違いがはっきりとしている。市民の間に差別があってはならず、功績による区別だけを認める必要がある。この功績とは、「実在を理解し、真実を語り、正しい行いをなす(断片111)人々の能力によって決定される。このようにしてこそ、共通の善はあまねく普及する。功績に基づく市民たちのこの分化は、その見掛けによらず、政治的ないし社会的平等の原則に矛盾しない」(33)。著者はそこに、政治の弁証法を発見するのである。

プラトンのエロス論についてはごく簡単にまとめておこう。『饗宴』のエロスの概念は、欠如からみられ、恋する者の観点から、鍛練の道として描かれる。ところが『パイドロス』では、エロスは恋する者と恋される者の両方の視点から考察される(143-4)。「『パイドロス』ではエロスはもはやなにか他のものへの魂の休みなき衝動といったものではなく、ヒーメロスとして、人間の魂を訪れるなにものかの象徴なのである」(149)。

ヒーメロスとは憧れを示すギリシア語だが、プラトンは『クラチュロス』ではこれを「事物を引きつけながら流れるもの、この流れの力と存在のゆえに、魂を強く引きつける」ものと定義している。語源的には昼間(ヘーメラ)や、光(フォース)と結びつけられいる。これは対話のうちで、魂の間を飛び交う火であり、流れであるものだ。実に巧みな解釈である。<
2003年10月23日
(c)中山 元

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