イタリアのペスト行政

カルロ・チポラ『ペストと都市国家』日野秀逸訳、平凡社、一九八八年



疫病は社会の構造をあらわにする。フーコーは癩病のモデルとペストのモデルを対比させるのがつねだった。排除するモデルと、登録して監視するモデルである。現代の社会はその両方を巧みに使いこなして社会の成員を規制する。この書物は、ルネサンスのイタリアにおいて、どのようにペストが監視され、医者が登録され、衛生局が市民生活の全般を管理していたかを浮き彫りにするものである。



ペストの管理においてはイタリアは先進国であった。一四、一五世紀のペストの流行によって、北部イタリアの大都市では公衆衛生局が設立され、一五、一六世紀に小さな都市や村にまで衛生部が設立され、中央衛生局の厳しい管理にしたがうようになる(33-34)。

ヨーロッパではイタリアが先進国であったのは、貿易によってペストが流行しやすかったためであり、同時に他のヨーロッパの諸国は、イタリアが詳しい情報を要求するたびに、不純な商業的な動機があるのではないかと疑うのだった。モンテーニュは、旅行者から金をまきあげるシステムだと信じていたほどである(36)。

このシステムが進むと、衛生局はほとんどポリツァイに匹敵する市民行政を担当するようになる。食料、ワインや水の売買、下水道、病院、乞食と売春婦、共同墓地、医者、宿屋とユダヤ人の共同体など、ほとんどすべてが衛生局の担当になる(54)。そしてペストの流行の時期だけでなく、個人住居の衛生状態、ごみ処理、動物の糞尿の収集、路上の清掃などにたいして、平常時にもさまざまな法令が出されるようになる(54)。もっともこうした衛生措置と経済性は両立せず、さまざまなところで妥協が計られるようになる。商業も利潤とともに、経済的な崩壊をもたらすリスクを秘めているのである。

また医学の分野の内部での対立も発生する。内科医は貴族層の担当となり、外科医は下層の大衆の担当となる。それに応じて資格も生活水準もことなってくる(119-121)。外科医が理髪師と同じようにみられるのは、ギリシアの時代とは対照的である。もちろんこの時代の医学がガレノスから逃れることができず、旧態然としたものであったことも、こうした分離の一因だろう。しかしこの細かな管理のうちから、科学的な医学が登場することになるのもたしかである(178)。調査と統計、それが近代科学の生みの親なのだから。

手堅く、わかりやすい社会史的な考察で、この著者の別の三冊の邦訳『経済発展と世界人口』『時計と文化』『読み書きの社会史』にも関心をもった。

データ

タイトル ペストと都市国家 : ルネサンスの公衆衛生と医師
責任表示 カルロ・M.チポラ著
責任表示 日野秀逸訳
出版地 東京
出版者 平凡社
出版年 1988.4
形態 225p ; 20cm
シリーズ名 平凡社・自然叢書 ; 6
注記 原タイトル: Public health and the medical profession in the Renaissance.
注記 参考文献:p219〜225
ISBN 4-582-54606-4
入手条件・定価 2600円
全国書誌番号 88042437
個人著者標目 Cipolla,Carlo M (1922-2000)
個人著者標目 日野, 秀逸 (1945-) ‖ヒノ,シュウイツ
普通件名 公衆衛生 -- イタリア -- 歴史 ‖コウシュウエイセイ -- イタリア -- レキシ
普通件名 医療 -- イタリア -- 歴史 ‖イリョウ -- イタリア -- レキシ
普通件名 医師 -- イタリア ‖イシ -- イタリア
NDLC EG215
NDC(8) 498.0237
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001923839





2003年12月8日
(c)中山 元

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