現象学と分析哲学の分岐点

【書評】マイケル・ダメット『分析哲学の起源』
野本和幸ほか訳、勁草書房、一九九八年






『真理という謎』などの著作もある分析哲学のダメットが書いた哲学の言語論的な転回についての歴史的な考察の書物。主眼は、フレーゲとフッサールがほぼ同時期に同じような問いに動かされていたのに、なぜ分析哲学と現象学という大きな対立する流れに分岐していったかという問いにある。

著者はこれをライン川とドナウ川にたとえる。「互いにすぐ多角に源を発し、しばらくはほぼ平行して流れたが、ついにはまったく違う方向へと分かれ、別々の海へと注ぐ。それでは、なぜそういうことになったのか」(32)。




いくつか注目すべき指摘をあげておく。フレーゲは1890年までは、意味と意味されるものをまったく区別していない。両方を「内容」と呼び、文のうちに空虚な単称名辞が出現している場合には、その文は内容を欠くと考えた。しかし1891年からは、内容を意義と指示にわけるようになる(46)。ところで英語の書物で困るのは、フレーゲのジンとベトイトゥンクの区別がぼけてしまうことだ。ここでもえーと、と考え直さなければならない(笑)。
「フランス国王は禿である」という文について、ラッセルは意義はあるが、偽であると語る。しかしフレーゲなら、この文は意義があり、思想を表明しているが、偽であるとは言わなかったはずだ。この文は指示が不在であり、真理値を欠くのであり、真でも偽でもないと言ったはずだ(83)。この違いは大切だ。ラッセルなりの工夫とフレーゲなりの工夫が積み重なっている。

フッサールのノエマの理論は、外的な対象が人間に与えられる手段であり、おのれの背後にある何かを指し示すものである。外的な対象についての懐疑をノエマの理論は解決できない。だとすると、たんに新しい形の観念論を作り出しているだけではないか。「前代未聞の錯乱の一形式かもしれないのである」(119)。この指摘もおもしろい。ノエマにはフレーゲが苦労した問題を解くのではなく、解消してしまうところがある。

またバリー・スミスの指摘として、フッサールの『論理学研究』では、こうした観念論を阻止することができる仕掛けになっているという(122)。ただしダメットはこの主張は根拠薄弱と見ている。スミスもまた、「フッサールの現象学的還元とともになされたノエマの導入が、超越論的観念論への長く険しい道を進む一歩であった」(123)と指摘する。

最後に、ダメットが可能世界意味論について語っているところを引用しておこう。戒めになる(笑)。「私は哲学における流行の巨大な影響に強い印象を受けてきました。可能世界意味論がその顕著な例です。こうした流行はある特定のときにほとんどすべての人を虜にし、その後はみな脱兎のごとく走り去ってしまいます。可能世界意味論の流行が単に間違いだったとは考えません。そうした流行が生じたのは、クリプキがその装置を使って、だれにも説得的に思われる、いくつかの強力な論点を主張するのに成功したからでした。それで大方のものは、こうした言い方なしにはほとんどものを考えられないような心の状態に落ち込んでしまったのでした」(268)。

目次
思想家の歴史と思想史
言語への転回
真理と意味
心のなかから思想を追放すること
ブレンターノの遺産
意味についてのフッサールの見解
指示を欠いた意義
ノエマと観念論
フレーゲの知覚論
思想を把握すること
フッサールの知覚論
原思想
思想と言語
インタヴュー




2003年9月8日
(c)中山 元

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