キリスト論から有機体論までの王権論

カントローヴィチ『王の二つの身体(上)』小林公訳、筑摩書房二〇〇三年五月



一九九二年に平凡社からでていたカントローヴィチの名著『王の二つの身体』が、二分冊で筑摩の学芸文庫から出版されたときは、嬉しかったものだ。ほとんど入手できない状態になっていたし、図書館から借りるのではなく、手元においておきたかった本だからだ。



この上巻では、西洋の国家と法律の理論の根底にある国王二体論をその端緒から一三世紀頃までを追う。「キリストを中心とする王権」の章では、キリスト教の二つの身体論と二つの本性論との類比で考察されていた王権論を詳しく紹介する。王には二つの人格があるという考え方は、「キリストを中心とする王権の中世的観念が、西欧においてごく稀のしかしみられないような極端な形態へと展開されていった」(96)のである。

王が双生の人格であるという観念は、キリストの本性論からすぐに出てくるもので、ごく自然な発想だ。しかしうっかりするとすぐにネウトリオス主義や養子説に転化してしまうので、危ないところがある。あぶないといっても、キリスト教の教義におけるような危なさではないが。

しかし中世の後期からは、教皇側がキリスト論を巧みに展開したこともあり、王政の政治哲学では、キリスト的な側面が次第に薄くなっていく。「法を中心とする王権」では、キリスト教の神学的な議論が、ローマ法に基づいた法学的な理論に場を譲るようになる様子を描きだす。そしてローマ法のレクス・レギアとレクス・ディグナの二つの法の概念を基礎として、王は「法から解放されている」と同時に、「法に拘束されている」と考えられるようになる。王の私的人格と公的人格が重ね合わされるのだ(150)。

その後は「政体を中心とする王権」の議論が強くなる。国王の身体と、国庫の対立が登場する。不変なものとしての国庫や、王冠に政治的な重要性が発生するのだ。同時にユダヤ的な司牧者の概念も復活する。イギリスのジェイムズ一世は、「神が結び合わせたものとを、いかなる人間も引き離すことはできない。余は夫であり、この島の全土は余の合法的な妻である。余は頭であり、この島は余の身体である。余は羊飼いであり、島は余が牧する羊である」と断言するのである(289)。

最後の「祖国のために死ぬ」の節は、深いものを蔵していて、再読を促す。国民国家の成立の時点で、ローマ帝国にまでさかのぼる「祖国」の概念がいかに活用されたか。『ローランの歌』のように、キリスト教的な西洋の概念にまで広がる可能性のある「祖国」の概念は、王の聖性や魔術的な力にまでつながるから、概念の力には驚かされる。


データ
タイトル 王の二つの身体. 上
責任表示 エルンスト・H.カントーロヴィチ著
責任表示 小林公訳
出版地 東京
出版者 筑摩書房
出版年 2003.5
形態 626p ; 15cm
シリーズ名 ちくま学芸文庫
注記 原タイトル: The king's two bodies.
ISBN 4-480-08764-8
入手条件・定価 1500円
全国書誌番号 20407124
個人著者標目 Kantorowicz,Ernst Hartwig (1895-1963)
個人著者標目 小林, 公 (1945-) ‖コバヤシ,イサオ
普通件名 政治思想 -- 歴史 -- 中世 ‖セイジシソウ -- レキシ -- チュウセイ
普通件名 政治思想 -- ヨーロッパ -- 歴史 ‖セイジシソウ -- ヨーロッパ -- レキシ
普通件名 キリスト教と政治 ‖キリストキョウトセイジ
NDLC A26
NDC(9) 311.23
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000004147310

目次

第1章 問題の所在―プラウドン判例集
第2章 シェイクスピア―リチャード二世
第3章 キリストを中心とする王権(ノルマンの逸名著者
“アーヘンの福音書”の挿絵 ほか)
第4章 法を中心とする王権(典礼から法学へ
フリードリヒ二世 ほか)
第5章 政体を中心とする王権―神秘体(教会の神秘体
国家の神秘体 ほか)

案内
ユダヤ系でありながら熱烈な愛国者にしてゲオルゲ派。迫害と亡命。二十世紀の矛盾そのものを生きたかのような著者の法外な学殖と情熱は、王権表象の冷徹な解剖に向けられた。王は死んでも王位や王冠、王朝は存続する。その自然的身体とは独立して存在するように見える王の政治的身体は、いかにして産出されたのか。王権の政治神学的・象徴的基盤は西欧の歴史の中で、どのように編制されたのか。本書には、問題提起とシェイクスピア『リチャード二世』論に始まり、キリスト論との類比、法学的思考の浸透とその影響、王を神秘体の頭と捉える政体有機体説に説き及ぶ、第五章までを収録する。全二巻。



2003年11月28日
(c)中山 元

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