ルネサンス思想の古典的入門書

【書評】P・O・クリステラー『ルネサンスの思想』
渡辺守道訳、東京大学出版会、一九七七年



ルネサンス思想史ではもうクラシックになった一冊。クリステラーはハイデガーのもとでフィチーノについて博士論文を書き、後にイタリアに移住し、ルネサンス思想を本格的に専攻した。クリステラーがこのテーマで行った連続講義だ。すでに常識となった事柄も多いが、アメリカなどでは標準的な教科書のように使われたらしい。

最初の章では人文主義運動について語る。ヒューマニズムという訳語にまつわる誤解を取り除きながら、フマニストの特殊性を示す。フマニストたちは哲学者というよりも、古典文学の教師であり、王侯や都市の秘書官として、多くの文章を書きながら生計をたてる人々が多かった。そして文章を書くために手本にしたのが、ローマのキケロなどの異教の筆者と、ギリシアの文章だった。古典研究こそがフマニズムの中心となるゆえんである。



第二章では、ルネサンスにおけるアリストテレス主義の伝統について紹介する。一三世紀までに、アリストテレスの著作が紹介され、中世後期にはアリストテレスが哲学者の代表のようになったが、それはアリストテレスの著作の教科書的、百科全書的な性格のためだった。ルネサンスというとプラトン主義の復興がすぐに思い出されるが、哲学の主流としてはアリストテレスの哲学の位置は圧倒的だった。

スペインでは一七世紀までアリストテレス主義への傾倒が続き、スアレスを通じて、カトリックの境界を超えて広がり続ける。ドイツでも宗教改革の後もこの伝統が繁栄し、メランヒトンの力で、アリストテレスの著作は哲学の主要資料とみなされた。イタリアでも多数のアリストテレス主義者を輩出している。

第三章ではプラトン主義の復興がとりあげられる。とくに科学でプラトン主義が果たした役割が注目される。アリストテレスの科学は質的な科学であり、プラトンはこれに比較すると算術による数的な科学という性質がある。パトリッツィは、数学は理論的に物理学に優先すると主張したが(89)、数学の急速な進歩で、プラトン主義が優位にたつようになったことも忘れてはならない。ケプラーのプラトン主義と、ガリレオの自然の数学的な解読の主張を思い出そう。

第四章「異教思想とキリスト教」では、一般的な通念とは異なり、ルネサンスは基本的にキリスト教の時代であったことが強調される。フィチーノなどはパウロの書簡をスコラ進学の背景を外して解読しようとした。フマニスムは、ここでも古典、原始キリスト教への復帰をもたらしたのである。またこの時代にアウグスティヌス主義が大きな影響を発揮したことも注目される。ペトラルカのアウグスティヌスへの熱中は、そのひとつの兆候である。

第五章「イタリア・ルネサンスにおける人文主義とスコラ学」では、フマニストが哲学の伝統よりも修辞学の伝統を引くことが強調される。このためこの時期にもスコラ哲学の伝統は脈々と続いているのである。第六章「イタリア・ルネサンスにおける人間学」では、イタリア人文主義の起源について考察している。一つはイタリア固有の修辞学の伝統で、書簡や演説を書く技術だった。第二は中世人文主義、すなわち古典のラテン詩と文学の研究で、これが修辞学の伝統にはいり、古代の文章の模倣が流行するようになった。第三の要因は、ビザンチンを経由したギリシアの文学と哲学の伝統である。

ところでフマニタスは、ローマの慈悲深い感情という語であるが、フィチーノはこれを人間的な尊厳とみなす。「人間は自己の同等者である他人を愛することにより、またかれらに人情を示すことにより、人類の一員であることを自ら立証する。もしも非人情で残酷であれば、かれは人類共同体から自らを抹殺し、自己の人間的尊厳を喪失する」(179)のである。


2003年8月24日
(c)中山 元

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