シュミットの秀逸なホッブス論

カール・シュミット『リヴァイアサン』長尾龍一訳、福村出版、一九七二年




シュミットがナチのイデオローグとしての地位を失いかけていた頃に著したホッブス論を四本まとめて翻訳したもの。シュミットはホッブスとボダンをわが友と呼んでおり、獄中でもその理論の詳細を想起しながら懐かしがっている(「ボダンとホッブスと私」)。それだけにホッブスへの思いいれは強く、かつ読解も深い。


リヴァイアサンという神話的な形象の考察が長すぎるという印象はあるが、秀逸なホッブス論だと思う。しかし以外にシュミットは奇を衒わず、正統的な政治理論の伝統で読み込んでいて、ぼくのホッブス理解とかなり近いところにある。

ホッブスのレヴァイアサンとベヘモツの関係については、「ホッブスは国家とは強大な実力によって持続的に抑止された内乱状態にすぎないとしている。すなわちリヴァイアサン(国家)という怪獣がベヘモツ(革命)という怪獣を抑えつづけている状態であって、……リヴァイアサンこそベヘモツの「唯一の匡正者」だという」(47)と課いているが、このベヘモツは陸の怪獣であり、ヨーロッパ大陸の国家との関係も考えるべきだろう。

シュミットはホッブスの理論がイギリスではうけいれられず、フランスなどのヨーロッパ大陸で主権国家が成立し、イギリスは主権国家ではなく、帝国だと考えているからだ。リヴァイアサンを採用したのは陸の国家であり、陸の怪獣はイギリスの海の帝国にひきつがれたとも考えることができるだろう。

主権概念は空間的な概念であり、一八世紀にヨーロッパで「空間革命」が成立したとシュミットは考えているのだ。「一六、一七世紀においては国境という国家特有の新しい概念は不明瞭で、フランスとドイツ、イギリスとスコットランドの境界は暫定的なものであった。それは近代的な分界線ではなく、辺境(border)であり、共通の戦場とみなれされていた。しかし主権概念の登場により、重要な転換が始まる。主権国家は一般に中世の帝国と共同体の秩序を排する新秩序概念であったばかりではなく、新たな空間秩序概念であった」(137)。

この空間概念を構築したのがフランスであり、フランスは「概念的な明確な最初の跳躍」をなしとげたので、フランスの政治の概念がその後のヨーロッパを主導することになる。ところがこの大陸の概念は海には該当しない。海洋は自由な空間となる。イギリスはこの空間を使った帝国となる。ここには大陸の空間概念とは別の概念が適用されるのである。

シュミットはここに国際法の「驚くべき二元性」が誕生すると喝破する(140)。大陸は主権国家の閉鎖的な領土に分割され、海は国家から自由になった。国際法は国家の間の法であり、そこで一切を支配する秩序原理は国家である。ところが国家は海を平和的交易にも、戦争にも自由に利用できる。海の国際法と陸の国際法というまったく異なる国際法が生まれ、ここでは戦争の概念も敵の概念も異なるのである。

陸の国家の間では、自然状態が支配し、敵と見方をきちんと区別できない国家は滅びる。この関係を具象化するのは動物の寓話である。シュミットはイソップ物語で、示唆的で明快な政治理論、国際法理論を展開することもできると考えている(83)。ここでは正義の戦争はない。「リヴァイアサンは巨大な命令機械であり、そうだとすれば正しい国家と不正な国家を区別しようとするのは、正しい機械と不正な機械を「区別」としようとするの同じことになる」(84)。

ところでこの主権概念はやがて崩壊する。帝国の概念によってではなく、ホッブスのうちで暗黙のうちに含まれていた私的な理性と公的な理性の対立によってである。ホッブスの『リヴァイアサン』の後半で奇蹟論がおおきくとりあげられるが、シュミットは奇蹟論においては、「奇蹟とは、国家が信ぜよと命じるもの」(87)であり、真理は存在せず、命令だけがあるとされていることに注目する。ホッブスは最後のところで真理の不可知論に傾くのである。

主権はここで権力の頂きに到達するようにみえる。地上における神の至高の代理者である(ここで法にも正義にも良心にも拘束されないホッブスの全能のリヴァイアサンは、カルヴィニズムの神であるという指摘(60)に注目)。ところがここで不可知論が奇妙な働きをする。私的な信仰と外的な礼拝が分離するのである。ホッブスは「思想は自由である」ために、「各人の私的理性に伴って内面において自ら信と不信を決定する」ことを許すのである。ただし外的な礼拝については、主権者が真偽を決定する(89-90)。

この「破れ目」を論理的な敷衍してみせたのがスピノザのである。『神学・政治論集』の一九章は「哲学する自由」を語ってみせた。これがリヴァイアサンかの魂を内面から抜いてしまうのである。トマジウス、カントとこの系譜は続き、公的な権力から魂は消えさるのである。ここからシュミットは反ユダヤ主義的な言説にはしるが、政治哲学におけるスピノザの偉大な貢献を裏から説いたものだ。

データ
タイトル リヴァイアサン : 近代国家の生成と挫折
責任表示 カール・シュミット著
責任表示 長尾竜一訳
出版地 東京
出版者 福村出版
出版年 1972
形態 188,9p 図 ; 20cm
全国書誌番号 72001975
個人著者標目 Schmitt,Carl (1888-1985)
個人著者標目 長尾, 竜一 (1938-) ‖ナガオ,リュウイチ
普通件名 政治学 ‖セイジガク
普通件名 国家 ‖コッカ
NDLC A12
NDC(6) 311
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001197493




2003年12月3日
(c)中山 元

ビブラリアに戻る