魔術の逸話集

【書評】アルフレッド・モーリー『魔術・占星術』
有田忠郎・浜文敏訳、白水社、一九九三年






白水社のヘルメス叢書の一冊。原著の刊行は一八六〇年だ。著者は名前から想像されるようなイギリス人ではなく、フランス人らしい。司書から出発して、一八六二年からは長い間、コレージュ・ド・フランスで歴史と倫理学を教えた人物だ。『古代ギリシア宗教史』『睡眠と夢』『中世の進行と伝承』などの多数の著作がある。

『睡眠と夢』の著書は、シュールレアリズム運動で注目され、ブルトンは『通底器』でモーリーに言及している。フロイトの『夢解釈』がフランスで紹介された際に、先駆者としてあげられたという。たしかに奇蹟に悩まされた聖女について「まぎれもないヒステリーと精神錯乱の発作に苛まれていたのである。大部分の神秘主義の女性たちが訴える、あの激しい愛の発作、あの飢餓感と深い嫌悪感などの相剋する感情が、彼女にも相次いで現れるのが認められる。これは、女性における神経障害のまぎれもない特徴であり、症候である」(P.243)という記述などは、フロイトとのつながりを思い出させる。



この著書は第一部の歴史的な考察と、第二部の文化人類学的、精神医学的な考察に分けられる。なぜこういう分け方になったのか、少しわかりにくいが、多数の興味深い逸話が語られる。ローマでは皇帝が占星術を信じ、独占していた。「いつ、どのように皇帝が死去するのかを知りたがるかもしれず、このような不敬な疑問に対して答えを出すことは謀反であり陰謀であった。国家元首は、とりわけこのことを恐れていたのである」(P.60)。

皇帝を対象とする占いは大逆罪になる。だれかを陰謀で殺したいと思えば、家の中に占いの道具を隠しておいて、密告すればいいのだ。占星術を信じるならば、真理は天空にありありと記されているのであり、これを解読することは危険な営みとなる。占い師にとっては、真理を語ることは命懸けになる。


またキリスト教と異教の迷信の合体もおもしろい。ギリシア伝来の魔術や現地の魔術は、そのままでキリスト教の聖者たちの魔術となる。キリスト教諸国で、聖者たちが重視されるのは、この「習合」の便宜のためでもある。誕生日ごとに聖者たちが割り当てられ、多数の持ち物が聖者を象徴するようになり、絵画にも描かれる。「教会自体が、布教者たちに、民間の迷信と妥協するように進めていた」(P.109)のであり、「神託は、異教徒であったわれわれの祖先とほとんど同じ方法によって行われ、男根崇拝に至るまで、遠回しな形でキリスト教化されている」(Ibid.)。

「中世によけるヨーロッパは、半ば異教を奉じていた」(P.120)と言えるくらいだ。民衆の想像力のうちで生き続ける怪物や聖霊たちは、キリスト教の物語の背後であぶりだしのようにうごめいている。最後にとってつけたように「永遠者の実在」が語られるが、楽しく読める魔術の歴史書ではある。魔術の歴史については、フーコーの『精神疾患とパーソナリティ』も取り上げていることを指摘しておきたい。フーコーは後に、狂気の「歴史」というものを書いてしまったことを後悔するのであるが。


2003年7月28日
(c)中山 元

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