古典だがなお刺激的な贈与論

マルセル・モース『贈与論』有地享訳、勁草書房、一九六二年



モースの古典となった『贈与論』。レヴィ=ストロースやバタイユを初めとして、おおくの思想家に影響と考えるヒントを与えた重要な書物である。すでに何度も論じられているが、まだ読むたびに新しい発見があるのはさすがだ。


現代の世界は資本主義の経済原則で覆い尽くされているかにみえるが、モースは原始社会の贈与の慣行を詳しく考察しながら、古代社会や原始社会で機能しているもっと別の原則を探りだす。モースは文化人類学のさまざまな調査を網羅的に調べながら、こうした社会では、貨幣を使った交換の原則ではおさまらない慣行が多数存在すること、なかでも贈与が経済的な領域をこえた重要な原則として機能していることを明らかにするのである。

こうした贈与は、マリノフスキーが探りだしたように、生を組織し、贈与されたものをもつ人々の生活の楽しみとまでなるものであり、生活必需品や嗜好品の交換と考えてはならないのである。宝は交換されることでますます価値が高くなり、それを贈与するひとの地位を高める。

奢侈的な消費の慣行については、すでにウェブレンやゾンバルトの優れた考察があるが、消費をこえる生活の基本的な枠組みとして贈与が行われていること、それが神話や伝説のうちで重要な機能を果たしていることを明示したのはモースの功績だろう。

モースはこの慣行をいわゆる経済的な領域だけでなく、神話学、法学、政治学、道徳学などのさまざまな分野に探ってゆく。そこで新たにみえてくるつながりの幅はおおきい。チムアシン族の「かわうその子」の伝説(129-130)は、客の招待の決まりを提示することともに、人間と動物との深いつながりを示すものとなっている。神話と社会の規範が一体となって機能していることをよく示している。

ドイツ語のギフトには、贈与したものと毒の二義性があることをモースは別の論文で示しているが(218)、贈物をもらうこと、宴に招かれることが、ときに致命的な「毒」となるのはたしかであり、ゲルマンの誇り高き伝統は、そのことを十分に知っていたというべきかもしれない。ラテン語や英語の表現にも、贈与のもつ両義性が巧まずに示されていることも興味深い。

またモースがアーサー王の円卓をとりあげながら、この上下関係のない招待方式によって、「公民精神」の実現を考えたことは、モースの長所であり、限界であるところかもしれない。ともあれ思考を刺激する一冊である。
データ
タイトル 贈与論
責任表示 マルセル・モース著
責任表示 有地亨訳
出版地 東京
出版者 勁草書房‖ケイソウ ショボウ
出版年 1962
形態 322p ; 22cm
全国書誌番号 62007304
個人著者標目 Mauss,Marcel (1872-1950)
個人著者標目 有地, 亨 (1928-) ‖アリチ,トオル
普通件名 民族学 ‖ミンゾクガク
NDC(6) 389
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001033802


2003年11月24日
(c)中山 元

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