野生のエチカ

中沢新一『人類最古の哲学』講談社、二〇〇二年一月




中沢のカイエ・ソバージュの一冊目。シンデレラの物語を考察しながら、神話的な思考のありかを探る。大学での講義には、聞いていて楽しいだろうし、含蓄もあってためになるだろう。講義の作り方など、教えられるところが多い。レヴィ=ストロースの野生の思考からうけついだ「野生のエチカ」の概念の使い方もうまい。



中沢は国家が誕生する以前の社会の神話的な思考に注目する。「神話ははじまりの状態の哲学であると言えるのではないでしょうか。そのような神話は哲学と同じように、打算や世論へのおもねりなどのことは少しも考慮しないで、つとめて人間に進むべき正しい道を指ししめそうとしてきました。そこでは哲学が倫理と一体です。私はそれを「野生のエチカ」と呼びたい誘惑にかられます」(26)。

疑問なのは、国家のうちで生きるぼくたちにとって、そうした「野生のエチカ」がどの程度の意味をもってくるのかということだ。神話が「野生のエチカ」としての性格をもつのはたしかだろうが、それはヘーゲルの「人倫」としてのエチカにほかならない。人間が「進むべき正しい道」をさししめすというとき、その正しさは普遍的な道徳の意味だとしたら、間違っているというべきだろう。

神話はその神話を語り伝えた社会の人々に、その社会の「人倫」を示すものだ。その社会で生きるためには、そうした神話が大切な意味をもつ。そしてぼくたちのエチカは、国家以前の社会のエチカとは異なるものだ。そのことを明確にしないと、エチカが楽しい夢物語のようなものになってしまいかねない。

中沢は最後で、日本人は神話的な思考を「上手に接ぎ木して残した」と語りながら、次のように批判する。「その神話的思考はいまやただ「様式だけ」になって、テクノロジー文明と結合することによって、逆に由々しい毒を流しはじめています。しかも日本文化全体が、同じ症状を呈しはじめています。フレキシブルにつくりあげられてきた日本の文化がその闊達さによって、その独特の不徹底によって、いまかえって危機に陥っています。ですから神話の思考の豊かさを知った私たちは、ここで神話と現実という問題に取り組まなければならないのです」(182)という。

中沢はここでテクノロジー文明という言葉で、アニメやCGを考えているようだが(180)、この考えの道筋はどうも納得できない。由々しい毒というのは、どんなことなのだろう。神話を考えることで、その毒は消えるのだろうか。日本人が神話的な思考を接ぎ木してきたことは、毒を生むことと表裏なのだろうか。

シンデレラの物語の分析は巧みだし、内容的にはお勧めの一冊だ。シンデレラが死の世界に片足をいれているという指摘も説得力があるし、いろいろと思いを馳せる余地のある書き方で、楽しめる。それだけについ余計なことを書いてしまった。

データ

タイトル 人類最古の哲学
責任表示 中沢新一著
出版地 東京
出版者 講談社
出版年 2002.1
形態 210p ; 19cm
シリーズ名 講談社選書メチエ ; 231 . カイエ・ソバージュ ; 1
ISBN 4-06-258231-7
入手条件・定価 1500円
全国書誌番号 20232173
個人著者標目 中沢, 新一 (1950-) ‖ナカザワ,シンイチ
普通件名 神話 ‖シンワ
NDLC G189
NDC(9) 164
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000003053369

目次

・はじまりの哲学
・人類的分布をする神話の謎と神話論理の好物
・神話としてのシンデレラ
・原シンデレラのほうへ
・3人のシンデレラ
・片方の靴の謎
・神話と現実
(抜粋)

2003年11月8日
(c)中山 元

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