吉本の第二期の南島論

吉本隆明ほか『琉球弧の喚起力と南島論』河出書房新社、一九八九年




一九七〇年代から考察してきた南島論を吉本が新しく転換した時期に沖縄で開かれたシンポジウムの記録。ほかに赤坂憲雄、上原生男、比嘉政夫、嵩元政秀、渡名喜明、高良勉が発言または執筆している。それまで天皇制を乗り越えることを目的に考察してきた南島論だが、この時期からは国家を超えるという目標に転換したために、説得力が増した。赤坂もいうように、天皇制をターゲットにしたのでは、天皇制について実感のないぼくたちにはあまり訴えかけなかったためだ。



国家を超えるというターゲットにするにあたって、吉本が『ハイ・イメージ論』で考察してきた都市論と文明段階論が利用されている。都市論としては、東京は重層映像化と自然の内包化が進み、南島では基層映像化と都市の内包化が進むとされている。その対比は自然についてはよく理解できるところがあるが、文明の段階論と合わせたときに、すこしわかりにくくなる。

文明論では吉本はヘーゲル・マルクス的な段階論を採用し、アフリカ的な段階の都市、アジア的な段階の都市、西洋的な段階の都市へと必然的な進化(退化)が進むとする。アフリカ的な段階は、草原の多さが特徴であり、アジア的な段階では農作地の多さが特徴であり、西洋的な都市では森林の多さが特徴だとされる。

サンプルにとった都市の恣意性が指摘されているが、問題なのはアフリカ的な段階が一番古層であるとされ、その自然の特徴がそのまま沖縄などの南島にも適用されてしまうため、南島で草原をどう維持すればいいのかという奇妙な問題になってしまうことだ。これはアフリカという土地の空間的な特徴と時代的な進化の特徴を重ねてしまうために発生する問題である。

もうひとつはこの進化が必然的なものとされているために、アフリカはそのままではアジア的な都市に、その後は西洋的な都市に進化するとされているが、これでは風土的な特徴はほとんど考慮にいれられない。自然と人間の生活空間の間には、人間と自然の双方で作り出す風土的な関係が存在するはずであり、それが考慮にいれられないのはまずいだろう。これについては比嘉も指摘しているとおりだ。

それでも世界都市が国家を超えていくなかで、「南島の基層を国家よりさらに深いところまで掘ってそれをイメージ化できれば、国家をこえて、人類がまだ普遍性をもって、民族語とか種族語とか、そういうものに分岐しない以前の母体というところまでいえれば、人類的な普遍性に到達する可能性を具えている」(26)という試みはおもしろい。それがイメージ化と原始的な言語にさかのぼるという方法で実行できるのかどうかは、まだ考える余地がある。

あと南島論の書誌データをつけておく。
(1)「母制論」(『共同幻想論』1968年12月)。角川文庫(→『著作集』11巻)
(2)「異族の論理」(『情況』1969年12月)(→『続・著作集』10巻)
(3)「南島論−家族・親族・国家の論理」(1970年9月→『敗北の構造』)(→『全集』5巻、『信の構造 3』)
(4)『世界−民族−国家』空間と沖縄」(1971年6月→『敗北の構造』)
(5)「南島の継承祭儀について−〈沖縄〉と〈日本〉の根底を結ぶもの」(1971年6月 →敗北の構造』)(→『信の構造 3』)
(6)「家族・親族・共同体・国家−日本、南島、アジア視点からの考察」(1972年5月→『知の岸辺へ』)(→『信の構造 3』)
(7)「共同体の起源についての注」(1987年9月→『オルガン』三号)(→『全集』5巻『信の構造 3』)

データ
タイトル 琉球弧の喚起力と南島論
責任表示 吉本隆明他著
出版地 東京
出版者 河出書房新社
出版年 1989.7
形態 216p ; 21cm
注記 ジンポジウム1988.12.2.那覇
注記 著者の肖像あり
ISBN 4-309-00575-6
入手条件・定価 1800円
全国書誌番号 89053199
個人著者標目 吉本, 隆明 (1924-) ‖ヨシモト,タカアキ
団体名・地名件名 沖縄県 ‖オキナワケン
NDLC GC311
NDC(8) 219.9
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001996545


2003年11月26日
(c)中山 元

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