悪魔についての浩瀚な書物

ニール・フォーサイス『古代悪魔学』野呂有子監訳、法政大学出版会二〇〇一年五月




悪魔についての浩瀚な書物で、シュメールの神話からアウグスティヌスまでの長い時期にわたって、悪魔についての理論の変遷を考察する。実に充実していて、楽しく読めるがときどきあまりにも細部にわたるので、混乱しそうになる。そんなとき、末尾の詳細な索引が役にたつ。悪魔について考える際には必読の書だろう。

第一部の「古代の敵」では、ギルガメシュの神話から初めて、ギリシア、エジプト、出エジプトのヘブライと、悪魔の概念が登場するにいたった背景を考察する。悪魔とプロメテウス、ヘファイストスとの結びつきを示唆する英雄伝説、天使が人間の女性に欲情をいだいて生み出す巨人伝説の考察がとくに興味深い。漏れた精液から何が生まれるか、文化によって違ってくるのもおもしろい。

第二部の「反逆と黙示」では、旧約のサタンが考察される。七十人訳聖書で悪魔はディアボロスであるが、これは道をふさぐものであり、スキャンダロンである。躓きの石とは悪魔のことでもあるのだ。イエスは死へ向かう師を戒めようとするペテロに、「下がれ、サタン、あなたは私の邪魔をするもの(スキャンダロン)だ」と命じるのである(154)。この躓きの石と悪魔の関係は、ぼくたちにいろんなことを考えさせる。

またさまよい歩くものというヨブ記の言葉が、さまざまな陰影をもって語られる。ペルシア帝国をさなよい歩く王の手下たち、おとり捜査官、スパイ、見張りの天使、これらはどれも天使であり、悪魔であるものの両面性をおびているのだ(155-167)。そして反逆の天使から反転して、悪の所在が女性に移されていくのも興味深いところだ。

第三部の「グノーシス神話とキリスト教神話」では、ヤハヴェが悪の神となるグノーシスと、これに対抗するキリスト教側の悪魔像が考察される。とくにパウロの弁証法敵な考察と、その悪魔論がおもしろい。アウグスティヌスに特徴敵な罪あるアダムと無垢のアダムの像がすでにここで登場する。

アダムをかたどった息子セツと、エバをかたどった息子カインとアベルの対立は、ユダヤ教の女性蔑視の伝統を引継ぎながら、どこかギリシアの神話とも通いあう(414)。グノーシスではソフィアが女性として登場し、この母がイエスを生み、人間の救済の源泉となることを考えると、対照的だ。肉体の蔑視がさまざまな現われ方をするのだ。

第四部「デミウルゴスと悪魔」は、初期の教父たちが悪魔の理論をいかに構築していったかを考察する。イレナエウス、ユスティノス、オリゲネスと、教父の理論の中軸に、悪魔がどっかりと座っていることがわかる。第五部「アウグスティヌスとキリスト教神話の構造」では、アウグスティヌスが悪と罪の概念を分離しながら、いかにして人間の原罪から罪をうけつぐ生殖の重要性を確立し、しかも悪はそのものとして存在するのではなく、善の欠如としてあるにすぎないという中世キリスト教の伝統的な悪の理論を構築していくかを、説得力をもって説明している。

744ページの本で、なんども前をめくりながら考えつつ読まざるをえないので、なかなか時間がかかったが(笑)、貴重な貢献だ。プロップの理論を使った民話分析の手法も、レヴィ=ストロースの構造分析と思い合わせると興味深い。


2003年10月12日
(c)中山 元

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