時間収奪の仕組み

瀬戸一夫『時間の民族史』勁草書房、二〇〇三年一月




サブタイトルが「教会改革とノルマン征服の神学』というこの書物は、宗教の世界と世俗の世界が分裂していた中世初期の状態から、いわゆる叙任権闘争を経て、キリスト教を利用した世俗の国家が成立していく経緯をわかりやすく説明してくれる。後半のノルマン・コンケスト以降におけるランフランクスの神学の考察が、バランスを失している感はあるが、お勧めの一冊だ。



著者はキリスト教が集めた十分の一税が、宗教の世界のものでありながら、国家という世俗の用途に使われるようになった経緯を調べながら、この時代の政治権力にとって、ローマ教皇とカトリック教会がどれほど役立つものかを、資本主義における銀行の例をとりながら巧みに説明する。

銀行制度は、国民の預金を集めている。金融制度が保護されるのは、この預金という架空の資金が消滅してしまわないようにするためだ。株券などは、企業がつぶれると紙屑になってしまう。国民の預金が紙屑となる例は、戦争や革命や極端なインフレなど、さまざまな例があるが、国民はそのような事態とならないように、祈っているし、そのための経済的な負担にも耐えているわけだ。

カトリック教会は、キリストによる救済という教義で、国民の未来における時間を担保にとっている。彼岸で救済されんがために、国民は多額の税金を教会に収め、遺産や現金を教会に寄付するわけだ。だからこの制度をうまく利用すれば、世俗の国家は苦労なく、多額の予算を獲得できることになる。

「西欧中世において、イエス・キリストから天国への鍵を授けられたローマ教会こそが、来世への究極的な保証の源泉であった。この点から考えれば、オットー一世はイタリア政策を通じて、ヨーロッパの中央銀行を掌握したのである」(53)。そしてシュルルマーニュ戴冠式以来、国家が教会を援護し、教会が国家を支える制度が着実に生まれていく。

そして農村の現地では、修道院が建設され、そこで「農民たちの労働と一体化した理想追求の心性を芽吹かせる種を撒く」(70)。俗なる世界での生活を、「規則と時間に拘束された日課の遂行で埋め尽くし、いわば現世を来世のための踏み台、ないし単なる手段とする宗教的実践」(71)を進めることで、農民たちを教化する。

封建制度における封は、農地であり、この農地には農民が付随する。この農民たちが従順に労働し、税金を収めることで、教会も国王も利益をえる。そのためには農民たちにイデオロギー的な感化を与える必要があり、その源泉となったのは、ヘブライの司牧制度だったと著者は考えるし、ぼくもそう考える。三つの要素、羊と羊飼いと犬で世界は構成されている。羊(農民)は羊飼いに依存し、羊飼いのための食料として、自らの肉を捧げる。牧羊犬(王)は羊飼いのもとで、羊が守られるように見守る。

羊飼い(教会)は、犬は羊を守るために自分の指示で動いていると考えているし、猟犬は自分で羊を保護しているのだと考えている。中世ヨーロッパの祈る者、戦う者、原宅者という三位一体は、この構図がそのままに維持されたものなのだ。グレゴリウス改革の中心にあったのは、羊飼いが羊を守るのであり、王はその指示に従うものであることを明示することにあった。

そしてノルマン征服以後の国教会制度と、ローマからの宗教的な独立は、牧羊犬は自立して羊たちを守っているのであり、羊飼いはべつにいなくてもいいことを、ローマ教会に示そうとしたものだということになる。フランスのガリカニズムも同じ動向を示したわけだ。そのメカニズムにおいて、つねに国民の時間収奪という目的が維持された続けたことは当然だろう。前半部分でけでも読む価値のある一冊だ。


2003年10月15日
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