秀逸なプラトン入門

トーマス・スレザーク『プラトンを読むために』内山勝利ほか訳、岩波書店、二〇〇二年五月





クレーマー『プラトンの形而上学』の流れをくむテュービンゲン学派のスレザークのプラトン入門書。入門とは言いながら、決して水準を落とさず、しかも新しい主張を読者にも理解できるように提示しているのに関心する。言いたいことはワンテーマでありながら、しかもそのテーマからプラトンのさまざまな作品を読みとく視点を読者に示そうとしているのは、さすがだ。

基本的な主張は、プラトンには私秘的な教説があったというアリストテレスの説明を指示しながらも、たとえば「一と不定の二」などのその私秘的な教説の内容にこだわることなく、プラトンが私秘的な教説を抱いていた理由を解明しようとする。それがクレーマーの著書と比較して、物足りなさにみえるところもあるかもしれないが、ぼくはそこにこの本の強みがあると思う。



その私秘的な教説の根拠は、『パイドロス』における著作・文字批判と、第七書簡における哲学者たちの共同の生の重視、ならびにシケリアのディオニュシオス二世批判である。そして著者は、プラトンのすべての対話編において、ソクラテスは対話者のレベルでしか語らず、対話者の水準が低いと、ソクラテスも低い水準でしか語らないことを指摘する。こうすれば、結論が出ず、相手を論駁するだけに終わるようにみえる初期の対話も、プラトンの体系のうちにきちんと収まるという利点がある。

そしてソクラテスは、対話の相手に、それまでの生の「向け直し」を迫るのである。それに応じることができた対話の相手も、そうでない相手もいるわけであり、相手にその用意がない限り、ソクラテスはそこで対話を打ち切らざるをえないのである。そしてソクラテスはそこで、あるいは対話のさまざまな場所で、まだ語られない理論に対する指示をこっそりと示しておく。それは対話の相手が存在論的な転換を遂げていれば、ソクラテスの口から語られたはずの理論である。撒いた種がすぐにしおれるアドニスの園に種を撒くようなことはしないのである(71)。

スレザークはこうした不在の理論への指示を「空白の場所」(26)と呼んで、その機能を考察するわけだ。たんに理論の内容ではなく、対話の相手に従ってこそ、その対話の意味が明らかになるという指摘は鋭い。対話の相手の存在論的な現況を無視して、たんに「勇気について」とか「正義について」という定義の問題だけとして考えると、「つまらなく」みえてくる対話編も、これですっかりとよみがえる。

ただしスレザークはソクラテスの対話の「読み切り」の根拠は、哲学者のイデア説を知っているかどうかにあると考える。イデアの学説を知っていることが、対話を高い次元に進めるための根拠となると考えるのである。これは対話者への存在論的な考察の背後に、知の認識論的な根拠をおくものであり、それまでの存在論的な考察が少し弱まるような気がする。

もちろん『メノン』のように、存在論的な根拠なしで、イデア的な知にいたることができることをプラトンが明示しているので、スレザークはまったく正しい(笑)と言わざるをえないのだが、この存在論的な意味をもう少し深追いしたほうが、おもしろかったのではないかと思うし、ぼくはしばらくその方向で考えてゆきたいと思う。

ただプラトンはイデアを根拠としながらも、方法論的には「救援」(ボエーテイア)という概念を提示していて、おもしろい。救援は、対話の主導者(ソクラテスだ)が行うもので、相手の問いに対して、一度主題を離れて、もっと大きな問題を提示し、深い視点から最初の問いを捉え直すものである。これが哲学の方法であるのはたしかなことであり、プラトンはそのためにイデアという理念を使うわけだ(91ff)。

なお、『エウテュデモス』という逆説の対話を、この空白の場所を指し示すため、そして対話者の哲学者としての資格の欠如と救援の不在を示すための対話として読むという読解(140)は巧みだし、そう考えると、ほかには考えようがなくなってくる。またアルキビアデスの「遅刻」の意味についての解釈も、まさにそのとおりといわざるをえない(153)。著者の主著『プラトンと哲学の書記性』も読んでみたいし、クレーマーももう一度検討したい。

データ
タイトル プラトンを読むために
責任表示 トーマス・A.スレザーク〔著〕
責任表示 内山勝利,丸橋裕,角谷博訳
出版地 東京
出版者 岩波書店
出版年 2002.5
形態 228,15p ; 19cm
注記 原タイトル: Platon lesen.
ISBN 4-00-024612-7
入手条件・定価 2600円
全国書誌番号 20292603
個人著者標目 Szlezak,Thomas Alexander (1940-) ‖Szlezak,Thomas Alexander
個人著者標目 内山, 勝利 (1942-) ‖ウチヤマ,カツトシ
個人著者標目 丸橋, 裕 (1954-) ‖マルハシ,ユタカ
個人著者標目 角谷, 博 (1958-) ‖カドタニ,ヒロシ
個人名件名 Plato.
NDLC HC14
NDC(9) 131.3
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000003642118

内容(「MARC」データベースより)
議論の中断、先送り、そして絶えず勝利するソクラテスとその長広舌。対話篇の奇妙な諸持微を手がかりに、プラトン対話篇の新たな対話読解を大胆に提示する。近代的解釈を批判し、哲学界に刺戟を与える。
目次
プラトンを読むよろこび
読み手は自分自身を読解に繰り入れる
個々人ごとの受け止め方―ある事例
読み手のおかしがちな誤った理解
知らないものには気づかない
プラトン対話篇の特質
特質の各項吟味
プラトンはだれを対象に著作しているのか
プラトンの対話篇は多声的に語られているか(現代の対話篇理論)
古代における一解釈理論〔ほか〕


2003年11月1日
(c)中山 元

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