生命倫理についての周到な考察

【書評】立岩真也『私的所有論』勁草書房、一九九七年







人は自分の身体を「所有」しているのかという問いから、自己決定の問題、公平性の問題、他者の問題、生命倫理のさまざまな問題などに取り組んだ注目作。長年の思索のあとが、ときに迷路に迷い込むような論理の道筋に反映されている。問いをたて、その問いのさまざまな答え方を考え、解きほぐし、自分なりの回答を出そうと努力する試みを買う。

この書物の基本的な視点は、他者性にある。自分の身体さえ、自分で所有できるものでも、自分で処理できるものでもなく、自分にとって「他なるもの」である。そして人間はだれもが、他者性が保存されることを望むものだとされている。他者性を最大限に保存する社会こそがもっともよいものだというのが、著者の根本的な視点である。「人間の関係のありか方に対する基本的な価値」(105)というわけだ。



「私が制御できないもの、精確には私が制御しないものを、「他者」と呼ぶことにしよう。その他者は私との違いによって規定される存在ではない。それはただ私でないもの、私が制御しないものとして在る。私達はこのような意味での他者性を奪ってはならないと考えているのではないか」(105)。「他者が他者として、つまり自分ではない者として生きている時に、その者のもとにあるものは尊重されなければならない」(Ibid.)。

これが二人の命が助かるならば、一人を殺して臓器移植してもよいではないかという功利主義に対する回答として示される根拠として示される。また妊娠中絶の問題など、さまざまな問題についても、この他者論が根拠として使われる。この根拠が正しいという理由は、明示されない。著者に直観のように閃いているのである。そこがこの書物の最大の難点だろう。

個々の事例の考察も、文献の指示も詳細だし、くねくねと曲りながら考える道筋も、読者によく理解できるようにされている。しかし著者の考えを示すときに使われるこの他者の理論が、まるでムーアの善の概念のように、支えがないのだ。他者性を尊重するのは大切なことだ。そのことにぼくも異論はない。

しかし人々がつくる社会の基本概念まで、他者の理論で構築できるかどうか、いささかの疑問がある。他者の尊重と、主体のさまざまな欲望との関係が、うまく対決しないままで、すれちがいのように、主体の欲望を制御する原理として、他者の尊重の理念が唱えられる。生命倫理などのさまざまな問題が、筋だって考察されている貴重な書物だけに、そこが惜しい。ホームページでの豊富な資料の公開には、感謝、感謝である。

2003年9月15日
(c)中山 元

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