刺激的な天皇制論議

吉本隆明・赤坂憲雄『天皇制の基層』講談社、二〇〇三年一〇月





もとは一九九〇年に作品社から出版された書物だが、この秋に学術文庫に入った。吉本が沖縄で南島論の講演とセミナーをしたときにも赤坂が出席していたが、そのときの赤坂のこだわりがそのまま対話に表現されている。柳田と折口の天皇制論と、象徴天皇性が話題の中心になるが、吉本の保田評価もおもしろい。



吉本の天皇制論はいろいろとおもしろい展開があって、刺激になる。吉本は、象徴天皇制を認めないし、戦後憲法に反対である。しかし象徴天皇制として機能している市民社会というのを無言のうちに認めるのは、「無意識の基盤」としてうけいれているからで、承認しているわけではないと主張する(40)。しかしこの無意識は、誰の無意識なのだろうか。大衆の無意識か、吉本の無意識か、少しわかりにくいな。そんなふうに弁護しなくてもいいじゃないかと思ったりする。

吉本が個としての天皇に関心をもつのは、「畏怖する存在」としてであるという。「政治的機能など何もなんても畏怖する存在、あるいは威圧を感じさせる存在というものは、権力だと考えるべきです」(41)。畏怖して頭を下げさせるものは権力であるのはたしかだ。そして天皇の権力の秘密が、日本人に畏怖される力にあったのもたしかだろう。その起源は宗教的なものだろうし、戦前の権力の強さの名残のようなものでもあるだろう。もっとも象徴天皇になってから、まだ権力がどの程度まで残っているのか、不明だということはあるだろうが(147)。

しかし吉本も認めているように、天皇の畏怖させる権力は、昭和天皇を境として、ますます弱まりつつあるだろう。ぼくにもその畏怖が理解できないわけではないが、あまり関係のないものにすぎない。そしてぼくの息子にとっては、もっと遠い存在だろう。その意味では赤坂の意見に同調したい。

また吉本は、先回の昭和天皇の葬儀で、棺の前後に太鼓や幟をもった人があるいているのをみて「よかったなあ」と思ったのだという。吉本はそれをみて田舎の葬式を思い出し、「それをできる限り何気ない風習みたいなものとして見る、そういう無化の仕方っていうものもあります」(125)という感想は、頷ける。赤坂も健闘していて、楽しく読める刺激的な天皇制論議になっている。
データ
テンノウセイ ノ キソウ
天皇制の基層
政治・社会・時事
吉本隆明(よしもと・たかあき)著 赤坂憲雄(あかさか・のりお)著 講談社
本体1100円  15cm 290p (講談社学術文庫1617 )
分類:B313.61 件名:天皇制 03051188
4-06-159617-9 / 2003.10 対象:般
1345号

案内文
天皇制とは?その支える原理とは一体何なのか。
戦後思想の巨大な導き手と、日本人の心の本性の探究に果敢に挑んできた研究者との気迫に満ちた対談。
自己の切実な体験から天皇制の根底を問う吉本。
歴史学と民俗学の研究成果を踏まえ、宮廷儀礼の大幅な変更と作為、二重王権としての天皇制等を指摘する赤坂。
新旧二人の論客が天皇制の問題に鋭く切り込む。

目次
1 天皇制論の視座
2 象徴天皇制をめぐって
3 大嘗祭と天皇制の深層

2003年11月28日
(c)中山 元

ビブラリアに戻る