ウォーラーステインの方法のもつ力と問題点

【書評】川北稔編『ウォーラーステイン』講談社、二〇〇一年





ウォーラーステインは最近では教授職は辞めて、研究と執筆にはげんでいるらしい。ブルドュー・センターで毎月発表しているコメンタリーは、時事的でアクチュアルなテーマに力を注いでいて、とても参考になる。日本の過大評価などがときおりみられるが、その鋭い洞察には教えられることが多い。数度メールで話したが、開かれた議論のできる人物のようだ。


この書物はウォーラーステインの「生い立ちと思想」「キーワード」「三次元で読むウォーラーステイン」「作品解説」の構成で、入門書としてはオーソドックスな作りだ。ぼくもいくつか入門書を依頼されているので、ふむふむと読んだ。「三次元」が応用編なのだが、枚数が限られているので、テーマの広さにうまく対処できていないところがある。ただしこの枚数を考えると、無理な要求かもしれない。

ところで、ウォーラーステインの魅力は、展望の広さと、世界システム論という明確な方法論にたった洞察だろう。この解説は、世界システム論に少し重点を起き過ぎて、現代における911テロ以後のアメリカと世界の動向を読み解くウォーラーステインの洞察力をうまく取り上げていないような気がする。

どうにか拾っているところは、ジオカルチュア論と反システム運動の説明だろう。ウォーラーステインはこう語る。「一九六八年革命は、……あらゆる古典的反システム運動に挑戦するものだった。……それは私が資本主義世界経済のジオカルチュアと呼ぶ知的諸前提からの根本的決別を意味するものである」(61)。それが具体的にはフェミニスムとエコロジーに収斂するように書かれているので、ちょっとなのだが。

また、ウォーラーステインの方法が少し図式的になるところが批判されているのは好ましい。「歴史記述の重要な場面でインド社会における歴史の主体性(agency)が見えてこないといったら、言い過ぎであろうか」(174)。この脇村の批判は、産業革命があったから、イギリスがヘゲモニーを握ったのではなく、イギリスが世界システムの中核の位置をしめたから、産業革命が可能となったのだという川北のワンパターンの説明の反復(たとえばp.92, 93, 98, 101, 102)を批判するものでもある。それでは世界システムの中核に、イギリスが座ったのはなぜかという問いから、この説明は逃げることになる。

あまりによくできた図式的な説明は、ときに鋭い洞察をもたらすが、ときに考察を停止させるマイナスの効果を発揮することもある。ウォーラーステインの方法のもつ力と問題点を、意図せずに浮き彫りにした一冊と読めた。


2003年8月31日
(c)中山 元

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