ブッシュ大統領の胚細胞研究の政策

哲学クロニクル183号

(2001/08/15)




アメリカの議会では、人間のクローニングの完全な禁止を決定しようとしています が、ブッシュ大統領が12日に、ニューヨーク・タイムズに政策発表を行いました。 大統領が新聞に投稿するのは、ごくまれなことでしょう。今回はその全文の翻訳を 掲載します。大統領の公的文書ですので、翻訳を公開しても問題はないのでは

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胚細胞の科学と生命の維持
ジョージ・ブッシュ(アメリカ合衆国の第四三代大統領)

善と善が競いあうような倫理的な問題については、決定をくだすのがとても困難になる。胚細胞の場合には、奇跡的な治癒の可能性という善に、成育する生命の保護という善が対立する。この衝突のために、おおくのアメリカ国民が分裂している。一つの国民の気持ちのうちでも分裂がみられるほどだ。

胚細胞の研究はまだごく初期の不確実な段階にある。しかしこの研究に期待されるものは驚くほどのものだ−−損傷した細胞や欠陥のある細胞を、無限に適応できる人間の細胞に代えることができ、非常に多様な疾患を治療できる可能性があるのである。

しかし医学の倫理は無限に適応できるという性質のものではない。しかし少なくとも一つだけははっきりとしている。わたしたちは、他の人々の医学的な利益になるからといって、生存する生命を犠牲にすることはしない。わたしにとって、これは確信ともいうべきものである。人間のいのちは、遺伝的に異なり、貴重な価値のある生物学的な人間である−−ごく初期のいのちも例外ではない。しかし人間の補修部品を作るためのクローニングや、胎児農場というものを考えただけでもぞっとするのは、生命保護主義者だけではない。おおくのアメリカ国民は、人間の生命が手段や道具に堕してはならないと信じているのである。

しかし連邦政府が胚細胞の研究を積極的に推進しても、倫理的な濫用にはならない事例が二つだけある。

第一に、胎児以外の場所からえられた細胞であれば、たとえば成人の細胞、へその緒、胎盤から採取した細胞については、研究を奨励することができる。こうした細胞におおきな可能性をみこんでいる研究者はおおい。そして新しい治療法を開発するために、実際にこうした細胞が利用されているのである。

第二に、すでに存在する胎児の胚細胞束にたいする研究も奨励できる。こうした細胞束は、ラボでそれ自体で再生できるし、おそらく無限に再生できるはずだ。ウィスコンシン大学の胚細胞束は、この二年間にわたって、細胞を生み続けてきた。現在、世界には60以上の細胞束がある。国家保健研究所によると、これらの細胞束は遺伝的に多様なものであり、研究を進めるために十分な量だという。

このため政府では次の政策を採択した。連邦政府は、既存の細胞束の研究のための資金提供は維持する。胎児の新たな破壊を承認したり、奨励する研究への資金は停止する。医学的な研究でいのちを絶つことは倫理に反するが、生か死かという決定がすでに下されている研究から利益をこうむることは、倫理に反しない。

さらに先例もある。アメリカ合衆国で認可されている唯一の生の水痘ワクチンは、人間の胎児をつかった研究での細胞からえられたものである。研究者たちはまず胎児の肺の細胞でウィルスを成長させ、これをクローニングして、既存の二つの細胞束で成育させた。このワクチンが生まれるまでの経過は、倫理に反する疑いがあるとしても、このワクチンを利用することは倫理に反するものではないということで、倫理と宗教の分野のおおくの指導者が同意しているのである。

細胞にたいする一部の研究は、道徳的にみて過ちを犯しやすい場所で行われているのはたしかであり、これは生命医学の研究がいま直面しており、将来も直面する問題である。だからわたしたちは倫理的にみて、しっかりとした土台を必要としている。政府は科学的な発見を推進するという明確な義務をおびていると同時に、特定の限界を定めるという義務もおびているのである。

わたしの政権のもとでは、既存の胚細胞束を公的な支援を受ける研究のもとで利用するためには、次の条件に従う必要がある。一)ドナーからインフォームド・コンセントを受けること、二)再生の目的だけにつくられた過剰な胎児のものを利用すること、三)ドナーに金銭的な利益を提供しないこと。

わたしは国家保健研究所に、全国人間胎児胚細胞登録を作成するように命じた。この登録を行うことで、連邦政府から資金援助を受けるすべての研究で、倫理的な研究基準が遵守されるようになるはずである。

わたしは近く、大統領生命倫理評議会を成立し、レオン・カス博士をその代表として指名する予定である。この評議会は、生命医学の研究活動のために発生する道徳的な問題と科学的な問題について、政府に助言を提供するものである。わが政権は、いかなる目的でも人間のクローンニングを禁止し、医学の研究のために破壊することだけを目的として人間の胎児を生み出すことを禁止する規制を設定しようとする議会の活動を支援するものである。

わたしたちはいま、現代科学の新しい領域に新しいを踏みいれているのであり、今後は決定がますます困難になるだろう。わたしたちが作り出す新しいテクノロジーと、病人を治癒し、苦しみを癒すという新たな可能性が、わたしたちの時代を決定していくことになる。ただしわたしたちの時代を決めるのは新しいテクノロジーだけではない。わたしたちが新たに手にしたパワーを行使することを自制し、責任をもとうとする配慮とセンスもまた、わたしたちの時代を決めるのである。

パワーはつねに、その目的と手段によって計られる−−たとえテクノロジーのパワーでもそのことに変わりはない。いのちそのものが目的と手段の均衡のうちにあることを考えると、目的が聖なるものであれば、いかなる手段をつかってもよいということにはならい。

生命医学の発達は、歓迎すべきものであり、推進し、資金を提供すべきものであるが、それを人間らしいものとすることは可能であり、またそうしなければならない。あとで後悔しても、おそらく方針を変えるには遅すぎるようになることを考えると、十分な注意が必要だ。わたしたちは、人間の寿命を長くするために努力しているが、この努力は人間性を傷つけないような方法で行われねばならないのである。