ドイツの古典研究--書評から人

哲学クロニクル188号

(2001/08/19)




今回は、新刊案内をかねて、最近ドイツで発表された古代哲学関連の書評をまとめて紹介する。対象となったのは次の三冊。最近のドイツでの古典研究のさまざまな視点がうかがえて、おもしろいのではないかと思う。

ぼくがやりたいのは、二番目の本のような考察だ。いま、人間の「悪」がどうように考えられるかで、西洋の政治哲学がどのように姿を変えていくか、それが国家にどのように反映されるかという視点で分析をしている。でもこの本はかなりかなり粗い(笑)らしいので、読むのなら、三番目の宗教の政治的な役割についての本がたのしいだろう。

ニーチェとブルクハルトの関係はとても興味をひくが、ニーチェはどの程度の影響を受けていたのだろうか。「ヤーコブ・ブルクハルトとともに楽しい数日を過ごした。いまわれわれはギリシア的なものについていろいろと議論している」とニーチェは1872年に友人に書き送っている。ブルクハルトは現代を否定するためにギリシアに向かったのだったが……。二人のギリシア理解の共通性と違いというのはいつかいろいろと考えてみたいテーマだ。

□Polisbild und Demokraeiverstaendnis in Jacob Bruckharts "Griechischer
Kulturgeschichte
(ブルクハルトの『ギリシア文化史』におけるポリス像と民主主義理解)
(Stefan Bauer)
Verlage Schwabe und C.H.Beck, Basel und Muenchen, 2001, 271 Seiten, 68 Mark
(南ドイツ新聞、2001年8月18日号、Ulrich Raufll書評)

□Ueber die Staatsgewalt. Von Platons Idealstaat bis zur Euopaeischen Union
(国家の暴力について−プラトンの理想国家から欧州連合まで)
(Rudolf Weber-Fas)
C.H.Beck, Muenchen 2000 333 S. Fr.78
(ノイエ・チュリヒャー・ツァイトゥンク、20001年8月20日)

□Stadt in Angst. Religion und Politik in Athens wahrend des Peloponnesischen
Krieges
(不安のうちのポリス−ペロポネソス戦争時のアテナイにおける宗教と政治)
(Alexander Rubel)
Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 2000, 413 Seitne, 64 Mark
(フランクフルター・アルゲマイネ、2001年8月18日、Karl Christ書評)

最初の本は、ブルクハルトの『ギリシア文化史』で、ポリスがどのようにイメージされているか、そこにブルクハルトの民主主義理解がどのように表現されているかを解明するものである。自由論を軸としたブルクハルトのギリシア理解は、当時のポリス論に強い影響を与えた。ブルクハルトほど、歴史描写がひとつの「美学」をもとにしていたことはない。

しかしブルクハルトのこの「主観的なイデアリスム」はひとつの代価を支払う必要があった。ギリシア理解にオリジナルなところがなく、フランスのクーランジュの理解に依拠してしまうのである。この著書では、ブルクハルトの文体の魅力と、独創性の欠如を指摘するにとどまるが、最後にブルクハルトの講義の概要と、ニーチェの『反時代的考察』の第二部の比較をしているところは収穫だ。

二人のギリシア理解が、著者の生きた時代のおおきな刻印を受けていることが示されるからだ。ブルクハルトのギリシア理解では、彼が悩んでいた問題がくっきりと姿をみせている。

次の本は、プラトンから欧州連合までの「国家の暴力」の歴史をたどったものである。著者はプラトンの「国家」からカール・シュミットにいたる西洋の歴史における国家の暴力が、すべて「民族」から生まれるものだと指摘する。この著書では約20名の政治哲学者の著作を検討しながら、国家と暴力の関係を探る。

ただし一人の哲学者の一冊の著書しか検討せず、ときに読みが浅いというイメージがある。マルクスを『共産党宣言』だけで考え、マキアベッリを『君主論』だけで考察しようとするのは、無謀ではないか。

最後の本は著者の博士論文で、ペロポネソス戦争という動乱の時期に、アテナイで宗教がどのような役割を果たしていたかを考察する。ソクラテスの処刑、新たな神々の導入の背景で、宗教的な不安がどのように役割を果たしていたのだろうか。著者は、アテナイではまだ宗教的な思考が支配的であり、これが重要な政治的な役割を果たしたと主張する。

全体的にこの著書の主張は正当なものだ。そしてこの著書では、極端な近代的な出典解釈の方法を退けようとする試みがみられることも望ましいことだ。
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ところでYさんからメールをいただきました。

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クロニクルを読んでいたらこういうのがありました。


#○ヒトラーの共犯者 12人の側近たち 上
#グイド・クノップ著; 原書房; 2800円; 234.074; 01029574; 4-562-03417-3
# ヒトラーの共犯者 12人の側近たち 下
#グイド・クノップ著; 原書房; 2800円; 234.074; 01029575; 4-562-03418-1
#ゲッペルス、ゲーリンクなどヒトラーの12人の側近を新たな資料に基づいて分析。
#ドイツではテレビ番組になって、「金獅子賞」を受賞したそうです。テレビ番組、
#みたい(笑)

でその番組はNHKで放送されてました。ものすごく面白くて地球時間という
わくで、やっていたと思います。「ヒットラーの側近たちI」というのが去年
あたりで6人分放送されて、関係者のインタビューから当時の映像などを
つなげて資料的にもすばらしいなと思いました。善悪を別にしてこの人物たちを
みると非常に個性的な人物像をそれぞれもっていて、40分くらいで
一人分をやるのですが、一つ一つの作品をみるような感じです。
その12人の人物達からヒットラーを逆にみるわけですから、なんとなく
さかしまの聖書のようなイメージをおぼえました。

それからつい最近「ヒットラーの側近たちII」の再放送を深夜帯でやっていました。
これは映画スベシャリストでもアーレントでもとりあげられた、あのアイヒマンや
映画の題材にもなった双子の遺伝実験のメンゲレなど、本当に
捕虜になった人や、当時の側近や家族がつぎつぎにでてきて、言葉を
なくすような事実があきらかにされます。メンゲレは遺伝学のために双子の
背中をぬいつけたり、血液を入れ替えたりしていたそうです。

たしかビデオも最初の放送分の6人のは出ていたと思います。
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Yさん、お久しぶりです。
お知らせありがとうございました。
そうですか、日本でもすでに放映ずみでしたか。
#そういえばなんだかうっすらと記憶が(笑)
ビデオ、探してみます。

「さかしまの聖書のようなイメージ」とはいい得て妙ですね。
12使徒に囲まれたヒトラーですね。
うーん。こわそ(笑)

またメールいただけるとうれしいです。
ではでは