愛の哲学--エルマオ・セミナー

哲学クロニクル192号

(2001/08/25)




フランスのオンライン書店のBol.frが撤退しましたね。昔はalapageが送料がとても安くて使いよかったのですが、買うほどに高くなるamazonシステムに変わってからは、たくさんかっても高くならないBolに頼っていたのですが、七月で閉鎖されてしまいました。

24日のレベラシオンによると、フランスのオンライン書店はどこも赤字だそうです。その理由は、フランス人がインターネットで本を買わないからだと。フランスの書籍市場は2億5000万フランスなのに、インターネットでの売上は1%にすぎないそうです。アメリカでは5%近くになっているので、なかなか苦しい。

そこでBolは、ドイツの巨大メディア企業のBertelsmannの子会社でありながら、「期待をみたせなかった」として閉鎖されたというわけです。Fnacの取締役は、2003年には2社しか残らなくなるといっています。Fancと、フランス・テレコムの子会社のalapageを考えているのでしょうか。

そこで注目が集まっているのが、amazon.frです。鉄道が通って、ごく身近に感じられるようになったamazon.ukに業務を統合するのではないかという観測が流れているわけです。amazon.frは、消費者の近くにいることがだいじと、観測を否定していますが、この戦い、はたしてどうなりますか。

そうそう、どうにか利益をあげているのが一社あるそうです。古書の販売にあわせて新刊書も扱い始めたchapitre.com。その秘訣はどこにあるのでしょうか。chapitreでは、新刊書点では図書の取扱期間が短縮する一方で、インターネットは古書の販売には理想的だと指摘しています。ぼくも古書店歩きはしなくなりました。日本の各地の古書店まで訪問しなくても、インターネットで購入できるからです。本屋で本を眺める楽しみもあったのですが。みなさまはどうされておられますか。


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●愛の哲学--エルマオ・セミナー
南ドイツ新聞の8月22日号によると、ドイツのエルマオで「愛」をテーマにする会議が3日にわたって開かれた。司会はイエルサレムのヘブライ大学のクリストフ・シュミットで、哲学と愛の関係を考察するセミナーである。まずザフランスキーが、現在は哲学には、エロスから世界の総体を考察するようなホットな愛の理論が存在しないと指摘した。

この「ホットな愛の理論」とは、プラトンとフロイトの理論らしい。サブランスキーは、現象学的な手法で、存在者を存在するそのことにおいて愛する哲学、わたしたちをエロス的な見地から概念的に把握する哲学が生まれるのではないかと期待しているようだ。

一方、フランクフルト学派の第三世代とも呼ばれているアクセル・ホーネットは、ウィニコットの精神分析学的な考察に基づきながら、愛と道徳の関係に関心をもっている。ホーネットは愛を道徳の源泉と考える見方や、愛は道徳の限界であると考える見方を退けて、道徳的な関係において愛は独特な意味をもつという。

あまりよい例とは思えないが、もしも沈む船に妻とともに乗船していたら、だれでも隣にいる見知らぬ子供よりも、妻を救おうとするのではないかというのが、ホーネットの指摘である。だから愛する人間は、だれも愛していない人間と比較すると、道徳的にことなる体制のもとにいることになる。道徳的な掟が変わってくるというのだ。

またフランスの哲学者のレミ・ブラーグは、この例に反応するかのように、緊急の事態ではだれも自分しか愛さないと主張する。妻を救おうとするエロス的な反応と、自分を救おうとするエゴイズム的な反応を比較すると、エゴイズムはエロスよりも強いはずだという。

一方でジャン・リュック・マリオンは、「愛されてあること」という概念を重視する。「愛されるという可能性を放棄することは、わたしには超越論的な去勢eine transzendentale Kastrationのような効果を発揮する」という。しかしすごい用語だね。わかるが(笑)。

あまりに短い説明なのでわかりにくいが、マリオンはどうやら、エゴイズムのひとつの顔である「自分が愛されていることについての確信」から、愛の現象学を構築したいと考えているようだ。これはなかなかおもしろい視点だと思う。現象学は意識の内部から考察するが、愛しているという意識からではなく、愛されているという意識から出発する方が、考察できる領野が広くなるのはたしかだろう。現象学的な手法では、愛の相互的な関係がなかなか捉えにくいという弱みはある
だろうが、着実なやりかたではある。

ザフランスキーは、愛について情動に動かされずに語れるかと問い掛け、そんなことはできないと主張した。これに反応するかのように、ジジェクが現在の愛は、経済的な要素によって操作されていると主張する。西洋の人間の個人的な生活は、「計算し尽くされた享受」の領域に化しているというわけだ。

ジジェクは、現在の愛はクリントン的(笑)だという。煙草を吸っても肺には吸引せず、セックスしても実際の性行為には進まず、食事も脂肪抜き。このような生活と愛は、リスクを避け、他者の経験をあらかじめ封じているものであり、そもそも生命をもちえないものだと。ジジェクは最後に、「愛のリスク」こそを引き受けようと、ごくまともな呼び掛けで講演を終えている。いかにもジジェクらしい(笑)。

ザフランスキー、ホーネット、マリオン、ジシェクと豪華メンバー(笑)のセミナーだった。いずれ書物になって出版されたら、読んでみたい。できればエルマオで聴きたかったなぁ。講演の中では、マリオンの方法論にひかれた。うまくやれば、現象学を精神分析の方向に拡張できるかもしれないという印象をうける。
ふーむ。リクールの悪の哲学の方法と、少しにているところがあるが…。