エロストラート症候群

哲学クロニクル201号

(2001/09/25)




今回は『戦争論』などの著書もあるアンドレ・グリュックスマンのインタビューの抜粋をご紹介する。フィガロ、2001年9月13日号に掲載されたものだ。


【問】グリュックスマンさん、多くの論者は火曜日の襲撃に驚きを示していますが、あなたはどうですか。驚かれませんでしたか。
【答】人々が驚いていることのほうが驚きだ。予想できなかったのは、あらかじめ準備された犯罪が、これほどの完璧な成功を収めたということだけだ。ターゲットは予想できた(ツイン・タワーは以前も攻撃されたことがある)。手段も予想できた(飛行機で自爆する例はすでにあった)。やり方もこれまで繰り返されたきたものだ(フランスの例ではエアバスでエッフェル塔を攻撃しようとしたことがある)。

 無辜の人々を虐殺するために意図的な計画が仕組まれるのは、これまでに例がないことではない。このような破滅的な事態は、映画の長い歴史のうちでも何度も想像されたきたことだ。それなのにこの事件の報道では、想像もできないとか、奇蹟だとかいい続ける。なんともナイーブというべきじゃないか。

 9月11日の恐怖は、現代の戦争の長い歴史のひとこまとして考えるべきだ。市民が攻撃される傾向がとくに強まっているし(第一次世界大戦の犠牲者の80%が兵士だったが、第二次世界大戦では兵士の死者の比率は50%に低下している。そして1945年以来、ゲリラ戦の被害者の95%は市民であり、子供たち、女性、武器をもたない男性たちが殺戮されてきたのだ。

 また以前は象徴的な建物の破壊は例外的なもので、1914年のライムの教会くらいだったが、最近ではごく当たり前になった。1991年以来、ミロセヴィッツの軍隊は、病院、教会、墓地を主要なターゲットにしてきた。サラエボの図書館が大砲で爆破されたのは、まだ記憶に生々しい…。こうした二〇世紀のさまざまな愚行がマンハッタンに集約され、新しい二一世紀が始まったというわけだ。

 世界貿易センタービルの崩壊は、エロストラート症候群が世界中に蔓延したことを示すものだ。これは、記憶に残るような破壊を実行することで、みずからを不死にしようとする病だ。エロストラートは紀元前三五六年に、世界七不思議のひとつであるエフェソスのディアーナ神殿に火をかけた。「資本主義の神殿」、あるいは「帝国主義の核心」、「偉大な悪魔のすみか」を崩壊させたいという狂った喜びは、予測できないものなどではなかった。心配なのは、これに憤慨する人とだけでなく、これを真似ようとする人々がでてくることだ。

【問】西洋諸国はこの10年間、こうした行為をやめさせるという命令を無視してきたといえるでしょうか。
【答】やめさせるというのは、説得するということだ。なにかをすることではなく、なにかをしないこと、行為を控えることを説得するということだ。レイモン・アロンは「どのように状況で、どのように脅しによって、だれにやめさせることができるのか」という問いを示している。わずかカラシニコフ銃一丁、あるいはカッターの刃三枚で武装した確信犯の場合には、原爆を使ってもやめさせることはできない。絶滅を脅しにして核でやめさせようとしても、暴力をとめることはできないのは、ベトナム戦争がはっきりと教えてくれたことだ。冷戦が終焉してからというもの、北朝鮮やイラクなど、いわゆる「ならず者国家」が世界戦略を脅かしてきた。ならず者国家の戦争、それが9月11日にその絶頂を迎えたというわけだ。こうした国家はしばらく前から「国家」という枠をはみでているのだ。

【問】カオスはいつから国際秩序の秘密の背景となっていたのでしょう。
【答】ツイン・タワーの崩壊以前から、カオスの力は明らかだったが、明確に指摘されることはなかった。ヴェドリンが米国を「超大国」と名付けたとき、まだ一九世紀的な主権の概念にとらわれていた。破壊する軍事的な力と、建設する経済的、社会的、文化的な力を合わせもつ国と考えていたのだ。ところが破壊する力のほうが決定的なものであり、しかし広い範囲に広がっている。破壊する力は、建設する力よりもすばやく世界的なものになった。「超大国」が実は「超無能力国」であることを見抜くには、それほど才能は必要ではない。ソマリアでは、アイディド「将軍」とかいう地方のボスの前に、アメリカ軍が敗走したことを覚えておられるだろう。

【問】西洋の世界は、戦争についてどのように考えていたため、あるいは考えていなかったために、準備を怠ったのでしょう。
【答】幸福ではないとしても、平和な時代の戦争の思想のため、戦争の無思想のためだ。だれもが心のうちに自分だけの部屋「ロフト」を作り上げ、自分が直面している脅威を思い浮かべることをみずからに禁じてしまう。不幸は遠くにあるものであり、病気は他人がかかるものだと思いたがる。ヨーロッパ人もアメリカ人も、まるでチェーホフの「桜の園」の登場人物のようだ。外部からは破壊する斧がふるわれているというのに、おしゃべりをして、愛しあい、サロンで楽しんでいるのだ。わたしは一〇年も前から歴史の終焉とかいう言説を批判してきた。そしてこの世紀の暴力的で非人間的な行為から目をそらさないようにしてきた。ニューヨークでもルワンダの首都でも、こうした蛮行はどこでもはびこっているのだ。

【問】アメリカ人はブッシュ大統領に厳しい反撃を求めているようですが…。
【答】強く攻撃し、正しく見ることが重要だ。本当にベンラディンが犯人なら、その罪の償いは厳しいものとなるだろう。そしてベンラディンとともに、全体主義的なイスラム主義者、この「緑のファシズム」も償わねばならない。これはイスラムとはことなるものだが、イスラム世界はこの「緑のファシズム」と縁を切る必要がある。最初に「道徳的な再武装」を行う必要があるのは、イスラム教徒たちだ。イスラム教徒は、イスラムと名乗る世界の暗殺者たちと戦うために、立ち上がる必要がある。なんといっても、アフガニスタンでも、アルジェリアでもイスラム主義者たちの最初の犠牲者は、イスラムの女性たちと子供たちなのだ。