ヨーロッパ独自の声

哲学クロニクル202号

(2001/09/27)




哲学クロニクルでもすでにご紹介したように、先日デリダがフランクフルトでアドルノ賞を受賞した。受賞演説についてはいずれ詳しく取り上げる予定だが、今回はアメリカのテロについてのデリダのインタビューを紹介しよう。Die Welt紙の9月24日号掲載である。

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【問】今回アドルノ賞を受賞されましたが、ご著書ではアドルノの名前はそれほどみかけません。こっそりと(笑)アドルノの著作に親しんでおられたのですか。
【答】アドルノとは、すべての形の全体主義と全体性に抵抗する意思でも、ヘーゲルへのこだわりでも、芸術、文学、音楽に関心を抱くところでも共感を覚えます。ただわたしはアドルノの名前を公けに語ることに抵抗を感じたのは、わたしは差異にとくに敏感にありたいと思っているからです。ヘーゲルとの関係だけでなく、ハイデガーとの関係をみても、わたしとアドルノには大きな違いがあります。ですからアドルノにはつねに控え目な注意を払ってきました。

【問】最近のご著書では、ふたたびヨーロッパのことを問題にしておられますね。アドルノよりは親しいと感じておられるベンヤミンの抱いていたヨーロッパのイメージ、ノアの方船としてのヨーロッパのイメージですが。
【答】わたしは人々が明日、ヨーロッパにどのようなイメージを抱くかに関心をもっています。経済的な協定、通貨、軍事同盟などとは異なるヨーロッパのイメージ、経済的、戦略的、軍事的な関心を超えたヨーロッパのイメージです。

【問】あなたはヨーロッパは外国人に寛大であるべきだと語っておやられます。しかしこうした考え方は、テロリストの攻撃のために妨害されてしまうのではないでしょうか。
【答】皮肉なことに、アドルノの誕生日だった9月11日におきたこのおぞましく、嘆かわしい出来事は、戦争と解釈される危険があります。イスラムに対するキリスト教の十字軍、というよりも、イスラムに対する西洋のキリスト教とユダヤ教の十字軍と解釈される危険があるのです。これには警戒が必要です。

 わたしはこの野蛮な攻撃のすべての被害者の方々に、限りない悲しみと大きな同情を感じています。だからといって、知識人と哲学者の責任には変わりはありません。この同情は限りのないものでありますが、特定の政治的な方針が世界の他の諸国に対して負っている責任について、冷静かつ批判的に判断することを妨げるものではありません。とくにわたしたちが中東と呼んでいる地域の政治的なありかたは問題です。

 この出来事に対して、盲目的に軍事的な答えだけしかだせないとすると、なにも変えることはできないでしょう。わたしたちはとくにイスラエルとパレスチナにおける政治を変える必要があるのです。このような野蛮で非人間的な攻撃が将来行われないようにするためには、政治的な転換がぜひとも必要なのです。

【問】あなたはアメリカの責任について言及されました。アメリカはいまどのような責任を負っているのでしょう。
【答】単純化は避けたいと思います。アメリカとアフガニスタンの関係は、とても錯綜したものになっています。アメリカは長い間、タリバンを支援してきました。ビンラデンはアメリカによって育てられたのです。アメリカは同じようにイスラエルを無条件に支援してきました。パレスチナ人の犠牲者が無数にでているにもかかわらずです。しかし責任があるのはアメリカだけではありません。

ヨーロッパも、現在の状況、とくにイスラエルとパレスチナの関係を改善するために、十分に力を尽くしてきたとは言えません。これがアラブ諸国との関係を損ねています。もちろんそれで、ビンラデンやその他の人々の責任がなくなるわけではありません。これは野蛮な殺戮です。しかしこれらの人々は大衆の感じている雰囲気のもとで支えられており、これはこの事件でさらに過熱する可能性があります。

【問】あなたは反米ですか。
【答】わたしはドイツよりもフランスで蔓延しているような一貫した反米主義者ではありませんが、ブッシュ大統領の演説には不安を感じました。多くのアメリカ人も、ブッシュ演説に不安を抱きながらも、そのことを広言できないでいることは存じています。わたしはこうしたアメリカ人に連帯感を感じます。わたしはパレスチナの大義も信じます。

【問】それではテロリズムとはどのようにして戦うべきでしょうか。
【答】軍事的な解決や、警察的な手段による解決があります。安全は確保しなければなりません。しかし政治を変えない限り、豊かな国と貧しい国の関係を、西洋のアメリカやヨーロッパの諸国とイスラムのアラブ諸国の関係を変えない限り、この解決策では不十分です。アメリカはこれを怠ってイスラエルに影響を与えました。いまやヨーロッパがイスラエルを動かして、パレスチナの人々との関係を正しいものに作り直するよう、働きかける必要があります。ヨーロッパはそのためにも独自の声、独自の知的な概念を作り上げなければならないのです。