予測が実現したのは残念だ

哲学クロニクル214号

(2001/10/10)




本日は都市学者で、戦争論の著作のあるヴィリリオのインタビューをご紹介する。ヴィリリオは1993年の時点から、この事件を予言していたのだ…。FAZの9月20日号から。

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【問】あなたはうちのめされたご様子ですが、驚いてはおられないようですね。
【答】世間と同じですよ。先週起きた出来事については、1993年に世界貿易センターに最初に攻撃がおこなわれた時点で、「ニューヨークの譫妄」という論文ですでにかなり正確に記述しています。もちろん予測があたったからといって、満足しているわけではありません。でも9月11日の出来事は、わたしが当時恐れていたことを確認する結果となりました。1993年の時点ですでに、1970年代から1980年代の小規模なテロリズムの終焉を告げる大規模なテロリズムの到来を経験したのです。これは原爆の製造と同じように重要な意味をもつものです。

【問】2001年9月11日に起きたことについてもう少し説明していただけませんか。
【答】大規模テロリズムかついに、完全な成功を収めたということです。ほぼ一年前には、ウォール・ストリートでネット経済の崩壊がありました。9月11日に起きたのは、ネット戦略の崩壊であり、ペンタゴン・ドクトリンの崩壊です。ミスのないロケット防衛システムと衛星での監視に依拠したアメリカの軍事的な思考が破産したのです。

スター・ウォーズは失敗に終わりました。アメリカのドクトリンは、アメリカ空軍が世界的に優位にあるという信仰に基づいていました。たしかにコソボ空襲では、これは実際に正しいことが明らかになりました。二機の民間航空機の激突で、真珠湾事件の2倍近い5000人の死者が出たのです。そしてこれまではアメリカ合衆国は、第一次大戦でも第二次大戦でも、本土が攻撃されたことがなかったのです。しかしこの悲劇が世界を変えました。

【問】これから何が起こるでしょう。
【答】最初の原爆投下の後、軍需産業は大躍進しました。軍事産業は経済的にも、研究分野でも、重要な意味をそなえています。軍事用途のために新しい資材を開発しましたし、こうした資材はつねに複雑で、高性能になっていきました。これらのすべての投資が、ニューヨークとワシントンの攻撃で、意味のないものになりました。いわば人間がもどってきたのです。自分の生命を犠牲にして、人々を殺戮する用意のある兵士たちが。

湾岸戦争とコソボで、わたしたちにはみえない形で行われていた大量殺戮が、目にみえる形で実行されたのです。アメリカ政府は、これらの戦争でアメリカ軍の兵士から死者がでることを極度に恐れていました。死者が発生すると、内政的に戦争の遂行の正当性が疑問とされるからです。しかしいまや、死者のイメージではなく、死者の数が問題になってきました。湾岸戦争では、ビデオゲームのように、先進的で精密な武器が使われました。ところがマンハッタンでは、ロボットでなく、人間が戦争を遂行したのです。そしてその破壊の規模の大きさ、その質、死者の数に、だれもが驚かされました。死者の数がふたたび、イメージよりも重要になったのです。

【問】しかし攻撃されたのはアメリカのシンボルでもあります。
【答】もちろん攻撃の対象のシンボルとしての意味は重要な役割を果たしています。現代のテロリズムには、メディアの側面を切り離すことはできません。ミュンヘン・オリンピックのテロでもそうでした。テロリストの攻撃は、視聴覚メディアのおかげで破滅的な事態を現実のうちに描きだす映画となるのです。パレスチナのテロリストは、つねにテレビへの効果を計算していました。ハリウッドが破滅的な事態を描く映画のジャンルを作り出したのは、この頃でした。ハリウッドはテロリズムを利用していたのです。ほんとうに信じられないようなシナリオがたくさんありました。ところがいまでは現実が映画を引用し、映画の真似をしているのです。ニューヨークとワシントンの攻撃は、フィクションから着想を得ているのです。

【問】この出来事はどのように受け止めておられますか。
【答】わたしの家にはテレビがありません。もはやテレビをみるつもりはないのです。スロヴァニアからの電話で事件を知りました。友人が電話してきて、「君が描いていた事態が実際に起きたよ」と教えてくれたのです。その時点ですでにタワーは崩壊し、数千人の死者がでていました。1993年にわたしは、広島と長崎の原爆投下に匹敵する新しい軍事的な時代が始まったと書いています。わたしは建築家であり、都市学者でもあります。高層ビルが攻撃に脆いことは、はるか以前から知っていました。ごくわずかなコストで、最大限の破壊を実行できる場所であり、大規模テロリズムはまさにこれを狙ったのです。軍事史を振り返ってみましょう。砲兵隊が到着すると、城も都市の壁も姿を消します。9月11日から後は、都市の生活が大きく変貌するでしょう。

【問】かつての都市の壁と同じように、摩天楼は姿を消すのでしょうか。
【答】クアランルプールでもっとも高層の二つの建造物は閉鎖され、エンパイヤー・ステートビルも空室が増えています。建築家であればだれでも、防空壕を建設することはできても、防空タワーを建築することはできないことは知っています。摩天楼は戦略的な規模に達していて、これを防衛することはできないのです。将来どんな安全システムが開発されても、このことはほとんど変わらないでしょう。

新しい戦争遂行方式が誕生したのです。これが国家間の関係を変えるでしょう。宣戦布告されずに始められたこの新しい戦争は、ぜひとも政治的な方法で対処しなければならないのです。敵の姿はみえず、前線というものもないのに、最大の損害が発生するからです。紛争を政治的な方法で処理しないと、軍事的なアナーキーが訪れます。現在すでに核兵器、生物兵器、化学兵器が存在することを考えると、いったいなにが起きるか、だれにでもすぐに想像できるでしょう。

【問】テレビは報道過剰でしょうか。
【答】テレビは攻撃手段のひとつです。現実の破滅的な事態をテレビで放送できるのは、CNNのおかげです。メディアは共同責任を負っています−−たとえ間接的なものだとしても。もちろん、テレビはなにが起きたかを報道しなければなりません。しかし世界全体で発生している出来事と、それが即時に報道されることの間にどんな関係があるかを問わねばならないのです−−とても嫌な問いなのですが。これからは警察国家的な国民の管理が行われるようになるでしょう。そしてその際に使われるのは、過去の出来事の写真などではなく、ライブの画像なのです。

【問】テレビなしでは、なにかを見逃すという気分になりませんか。
【答】とんでもない。事実はテレビなしでもしっかりと認識できます。テレビからはなにも知りたくないのです。残酷な画像はみたくないし。破滅的な事態を、出来事の発生と同時に伝達することは、情報とはかかわりのないことです。いつも繰り返し同じ映像が流されます。この過剰な伝達は、情報というものにとって、大きな危険をもたらします。

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なんどもメールをいただいているSさんからお知らせのメールをいただきました。
> ご無沙汰しております。
> 先日のソンタグ以来、さらに興味深い方々のこの事件についての見解を拝見させていただくこと
> が出来て、大変ありがたく思っております。
>
> ところで、ジジェクの文章ですが、私は
> http://www.lacan.com/lacan1.htm
>
> のサイトで見ました。
> http://www.lacan.com/reflections.htm
>
> アメリカのラカンサイトで、ジジェク、ジャック=アラン・ミレール等の記事が見られます。
> 事件数日後に読んだ時は、もっと文字数が少なかったのに、ジジェクの文は、文字がかなり増
> 殖(変な言い方ですがまさにそんな感じです)しているようです。先ほど久しぶりに覗いた
> ら、third versionになっていました。パッと眺めたところでは、最初の文は途中にはめこま
> れているという趣です。タイトルは以下の通りです。
>
> Welcome To The Desert Of The Real
> Reflections on WTC - third version -
> by Slavoj Zizek
>
> こんなに変わるのだったら、以前のを保存しておくべきでした。しばらく前に見たときに一回、
> 増殖していたのが、second versionだったのかもしれません。この勢力的な展開にはとてもつ
> いていけなくて、second versionも未読のうちにthird versionになっていました。
> この文の本来の出典はどこなのか、いつどう変わったのか、ということも私は把握しておりませ
> ん。アドレスを貼り付ける以外、何も語れることはないのですが、この記事を熱心にご覧になっ
> ていらっしゃる方もおられるようなので、あるいはご参考になれば、また少しでも早い方がよい
> かと思い、取り急ぎご連絡させていただきました。
> もしも不要な情報でしたらお許しください。
>
> 哲学クロニクルの配信楽しみにしております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
>

貴重な情報ありがとうございました。そうですか、もうサード・エディションですか(笑)。比較してみると、たしかにかなり付け加えていますね。どんどん増殖したらどんなになるのでしょうか。本一冊になったりして(笑)

このサイトはジジェクのいろいろな文章を掲載していて面白いですね。もちろんラカンのリソースも豊富で。
今後ともご支援いただけるとうれしいです。
よろしく!




作成:中山 元  (c)2001

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