影のゲリラの時代へ

哲学クロニクル218号

(2001/10/15)




今回はフランスの社会学者のトゥーレーヌが事件の直後に発表した文章をご紹介しよう。リベラシオン9月14日号掲載である。トゥレーヌには『現代国家と地域闘争 : フランスとオクシタニー』 『断裂社会 : 第三世界の新しい民衆運動 』『反原子力運動の社会学 : 未来を予言する人々 』などの邦訳があり、現代的な問題に積極的に発言している。


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政治的なイスラム主義から軍事的なイスラム主義へ
アラン・トゥレーヌ、リベラシオン、2001年9月14日

アメリカ権力のもっとも強力な中枢部を破壊したか、損害を与えた9月11日の出来事について、見解を表明するのは、時期尚早だろうか。しかしわたしたちは地下鉄で、オフィスで、カフェで何を話しているだろうか。ショックがあまりに大きかったので、犠牲者の数の多さに悲嘆にくれるだけでは、満足できないのだ。だからわたしは、どうしても言いたいことを言わせてもらおう。

わたしの言いたいこと、それはムスリム世界のすべてのアナリストは、数年前から、政治的なイスラム運動がはっきりと退潮の兆しを示していることを明らかにしてきたということである。イスラムの「ナショナリズム的なブルジョワたち」は、都市の貧民たちと連帯しようとしたが、アメリカの支配のもとでのグローバリゼーション化された経済の魅力の力によって、この動きは無効になってしまった。こうして政治的なイスラム主義が退潮し、軍事的なイスラム主義が抬頭してきたのである。というのは、9月11日の攻撃が、戦争の宣言であることは、だれも疑っていないからである。

これまで政治的な党派や、大衆組織が占めていた位置を、ほとんど不可視な軍事的な組織が占めるようになった。軍事的なネットワークは、大規模なテロ活動の資金を提供し、これを準備し、実行できることをすでに証明している。すでに多くの人々が、自分の信念のため、大義のための生命を捨てる用意があることを、軍事ネットワークは熟知しているのである。たとえばパレスチナの最近の出来事が明らかにしているように、イランの軍事組織や日本のカミカゼのように、自殺攻撃を敢行する人々の数が増えているのである。

冷戦とはなんとも遠い場所にきたものだ。またスーダンのように、虐殺にふけるゲリラや軍隊の時代とも遠く離れた場所に来ている。わたしたちは影のゲリラの時代に突入したのである。まるで世界全体が、巨大なバスク国家になったかのようだ。

この歴史的な背景のもとでみると、いくつかの出来事がはっきりと見えてくる。イスラエルのシャロン首相は、ブッシュ大統領が介入しないことを利用して、ミサイル防御シールドを夢見ながら、パレスチナとの交渉を拒否するという政策をとった。そしてイスラエルの治安軍隊は、巨大な規模の作戦が準備されていることをまったく把握していなかった。こうした背景が、暴力の解発のために有利な状況を作り出したのである。

いまやこのようにして始まった戦争の主な犠牲者がだれになるか、アメリカ軍の軍事的な展開と攻撃の犠牲になるのはだれなのかは、もう明らかだろう。パレスチナ人である。ショック状態のアラファトと、攻撃が成功したことを聞いて、街で歌い、踊っている子供たちのコントラストは、あまりに大きい。戦争によって国境は閉鎖され、道路は遮断され、穏健派やまだ決めかねている人々がどちらの陣営を選択するかという選択の範囲は限られてくる。このような強い緊張のもとで、パレスチナ問題の解決が考えられるものだろうか。

そしてこの種の戦争では、国境とはたんに領土的なものに限られない。経済がグローバリゼーション化するということは、すべての戦争が内戦になるということだからだ。経済分野において、大部分の企業と世界中の銀行の中枢は、西側にある。これが二〇世紀の戦争と二一世紀の戦争の大きな違いだ。二〇世紀には、五〇年間に及ぶ植民地主義的で資本主義的な支配が続いた結果、世界のあらゆる場所で革命が勃発した。そしてこの革命の後で、多数の全体主義的な体制や権威主義的な体制が生まれたのである。

ところがこのたび始まった新しい戦争では、影の場所から攻撃をしかけようとする者たちと、明るく輝く経済の中枢との二極的な対比がはっきりとしてくる。攻撃をかけようとする者たちは、世界のあらゆる場所に、そしてすべての社会に潜んでいる。そしてターゲットとする敵は、現代の経済と政治のシステムそのものであると見定めているのである(もちろんその中心はアメリカだが、アメリカだけに限るものではない)。

この戦争を終わらせることができるのだろうか。もちろん可能である。ただしアルジェリア、ベトナム、パレスチナで採用された方法では無理だ。戦争を終わらせるためには、日のあたらない影の部分を合法的な国家とすること、はっきりと目にみえるようにすること、現実的な承認を与えることが、なによりも不可欠だ。具体的には、なんらかの形で、中近東に二つの国家を建国することが緊急に必要とされている。これまでのようなカリカチュアではない本当のパレスチナ国家とイスラエルという二つの国を建国する必要がある。

これからの数か月間の状況がどのように進展しようとも、ひとつのことだけは明らかだ。超大国のアメリカが世界でヘゲモニーを握るという事態は終わったということだ。アメリカ人のうちにも、このような事態は終焉していると考え、これが終焉することを長い間、願ってきたひとも多い。しかしアメリカ政府にはこの真理を受け入れる用意がなかった。ともかく小集団やゲリラの攻撃などと表現するのはもうやめよう。戦争の開始が通告されたのである。これからは暴力の連鎖がはてしなく続くのか、それとも平和条約が締結されるかのどちからしかないのである。


作成:中山 元  (c)2001

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