まだ歴史は終焉したままだ

哲学クロニクル220号

(2001/10/19)




十年ほど前に、『歴史の終わり』を出版して評判の高かったフクヤマ氏ですが今回の出来事でかなり批判を浴びたらしいです。そのフクヤマ氏の「弁明」を読んでみましょう。

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まだ歴史は終焉したままだ
フランシス・フクヤマ、ウォール・ストリート・ジャーナル、10月11日

9月11日の悲劇は、歴史は終焉したというわたしの10年ほどまえの主張が、まったくの誤りだったことを証明するものだったと言われている。この未曾有の出来事には、歴史の出来事としての資格がないと主張するのは、死者の記憶への冒涜だとまで言われているのである。しかしわたしは「歴史」という言葉をこのような意味でつかったわけではない。わたしは、民主主義や資本主義などの制度を利用しながら、数世紀をかけて近代性(モダニティ)へと進歩してきたことを指摘していただけなのだ。

この発展的なプロセスで、世界の多くの部分がモダニティを獲得してきた。そしてリベラルな民主主義と市場のシステムの彼方には、もはや発展する場がみえてこない。これが「歴史の終焉」なのである。このプロセスに抵抗している逆行した(retrograde)地域はあるが、社会主義、君主制、ファシズム、その他の権威主義が否定された後では、人々が実際に暮らしたいと思う文明は、他には存在しないのである。

このわたしの見方には、多くの人が異議を唱えている。もっとも激しい異議を唱えたのは、サミュエル・ハンティントンだろう。ハンティントンは、世界は単一のグローバル・システムに向かっているのではなく、「文明の衝突」という泥沼状態にとどまっていると主張する。そして6つか7つの主要な文化グループが統合せずに共存しており、これが世界の衝突の新たな断層ラインとなると考えているのである。

世界の資本主義の中心地への攻撃を成功させたのは、西洋文明の存在そのものに不満を抱いているイスラムの過激派であるのは明らかだ。してみると、わたしの
「歴史の終焉」の仮説よりも、ハンティントンの「衝突」の仮説の方が正しいようにみえてくるのも、仕方のないところかもしれない。

しかし結局はわたしの仮説が正しいのだと思う。モダニティは非常に強力な「貨物列車」であり、どれほど悲痛な出来事によっても脱線させることはできないのである。民主主義と自由市場は、世界の多くの場所で、支配的な組織原則として勢力を伸ばし続けるだろう。しかし現在の挑戦のほんとうの大きさについては考えてみる価値がある。

モダニティには文化的な基盤がある。リベラルな民主主義と自由市場は、世界のすべての場所で機能するというわけではない。これは特定の価値をそなえた社会でもっともうまく機能する(こうした価値の起源は、すべてが合理的なものとは限らない)。近代のリベラルな民主主義が、西洋のキリスト教社会ではじめて誕生したのは、偶然ではない。民主的な権利は普遍的な性質のものだが、これはキリスト教の普遍性を世俗化させたものだからだ。

ハンティントンが提起している中心的な問題は、モダニティの制度は西洋でしか機能しないのか、それともその魅力の大きさから、西洋以外の場所にも広がるのかということである。わたしはこれは西洋だけで機能する制度ではないと考える。証拠はいくらでもある。東アジア、中南米、東欧、南アジア、さらにアフリカにまで、民主主義と自由市場が広がっていることをみていただきたい。そして開発途上国の数百万の人々が、西洋の社会で暮らすために自国から逃げ出している。これはいわば足による投票なのだ。これに対して、逆の方向に向かう人々の数、西洋でできることを放棄する人々の数はごくわずかだ。

しかしムスリム社会はモダニティにとくに強い抵抗を示している。これは近年、圧倒的な力を示しているイスラム教、少なくともイスラムの原理主義的な見方の力だろう。現代のすべての文化システムのうちで、民主主義を採用している国がもっとも少ないのは、イスラム世界だ(どうにか民主主義といえるのは、トルコだけだ)。韓国やシンガポールのように先進国に発展した国が一つもないのも、イスラム世界だけだ。

西洋以外の諸国でも、モダニティの経済的な部分だけを望み、民主主義は採用したくないと考えている国もある。モデニティの経済的な要素と政治的な要素の両方を望みながらも、それを採用する道筋がわからない国もある。こうした諸国では、西洋風のモダニティへの移行は、長く苦痛な道程となるだろう。しかしこうした諸国がこの道をたどることには、克服できないような文化的な障害はない。そしてこれらの諸国の人口は、世界の5分の4を占めているのである。

しかしこれとは対照的にイスラムは、オサマ・ビンラディンやタリバンのように、モダニティのすべてを拒絶する人々をたえず生み出している唯一の文化システムである。しかしこうした人々は、ムスリムの大きなコミュニティを代表しているのだろうか。こうしたモダニティの拒否は、イスラムに固有なものなのだろうか。もしもモダニティを拒絶する人々が、一部の狂った末端的な部分ではないのだとすると、わたしたちはこれから長期的な衝突に直面することになるというハンティントンの主張が正しいことになる。そして彼らは今は技術力をそなえているために、この衝突はますます危険なものとなりつつある。

9月11日以来、東洋と西洋の政治家たちが示している回答は、テロリストに同調しているのはムスリムの「ごく一部の小数派」であり、大多数の人々は、この事件に驚愕しているということである。すべてのムスリムが憎悪の的となるのを防ぐためには、このことを確認しておくのが重要だろう。しかし問題なのは、アメリカとアメリカに象徴されるものに対する憎悪は、はるかに広がっているということである。

たしかに米国に自殺テロをしかけようとする人々の数はごく少ない。しかしムスリム社会には、タワーが崩壊するのを目撃して、まず他人の不幸を喜ぶ感情と、アメリカにバチがあたったのだという満足感がみられる。その後で、形だけテロを非難する言葉が語られるのだ。これはムスリム社会にはテロリストへの共感が存在していることを示すものであり、これを考えると、テロリストへの共感は、ムスリムの「ごく一部」などではない。エジプトのような国の中産階級の人々から、アメリカに移民してきた人々にまで、共感が広がっているのである。

このアメリカへの嫌悪と憎悪は、アメリカのイスラエル政策やイラク禁輸政策に対する単なる反対などではなく、もっと根深いものである。世界のうちに、アメリカの政策に反対する人は多いし、アメリカ人のうちにも反対者はいる。しかしだからといって、こうした人々が怒りと暴力を激発させるわけではない。おそらく憎悪は、西洋が成功し、ムスリムが失敗したことに対するルサンチマンから生まれるのだろう。

しかしムスリム社会の心理分析よりも重要なのは、過激なイスラム諸国は、西洋のリベラルな民主主義に代わるものとなりうるかどうかということである。大部分のムスリムにとっては、政治的なイスラムはたんに抽象的な意味で魅力的なものとなっているようだ。イランでは23年間も原理主義的な支配が続いたが、現在では若者を中心に、もっとリベラルな社会で暮らすことを望む人々が増えている。タリバンの支配を経験したアフガニスタンの人々も、ほぼ同じように感じている。反米憎悪は、ムスリム社会にとっても、実現可能な政治的なプログラムとはなっていない。

わたしたちはまだ歴史の終焉の地点にいる。世界の政治にとって支配的な政治システムは、西洋のリベラルな民主主義しかないからだ。だからといって世界に衝突がなくなるわけではないし、文化の違いが消滅するわけでもない。19世紀のヨーロッパでは、巨大なパワーが覇権をめぐって争ったが、わたしたちがいま直面している闘いは、こうした複数の明確に異なる同等な文化の衝突ではない。近代化によって伝統的な地位が脅かされた社会が、延命を求めて闘っているにすぎないのである。揺り戻しの大きさは、この社会が直面している脅威が深刻なものであることを示すものだ。しかし未来があるのはモダニティの側である。そしてアメリカには、生き延びようとする意思が欠けてはいない。



作成:中山 元  (c)2001

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