終わりなき戦争--エーコ・インタビュー(2)

哲学クロニクル223号

(2001/10/22)





エーコのインタビューの二回目をお送りする。あるところでドゥルーズが、博識な人物の例にエーコをあげて、「なにについてもでも語れる、しかも意味のあることを。ぼくはそんなのは嫌だ」といっていましたが、エーコの面目躍如たる弁明です(笑)。



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終わりなき戦争
エーコ・インタビュー、フランクフルター・ルントシャオ9月22日

【問】湾岸戦争の際に、あるエッセーで報復作戦について、次のように警告しておられました。「だれかにナイフで襲われたら、君は少なくとも拳骨で応じる権利はある。でも君がスーパーマンで、拳骨で殴ったら、相手は月まで飛んでいってしまう可能性があることが分かっていたら、そしてその衝撃で地球が壊れてしまうことを知っていたら、もう一度よく考えた方がいいだろう」と。
【答】わたしはモラリストではなく、リアリストです。アメリカやNATOが軍事攻撃の際に、無辜の人々を殺しながらも、正義を行使しているかどうかを問題にしているのではありません。問題なのは、軍事攻撃をすれば、ニューヨークやワシントンのような対抗テロを挑発する可能性が高いことを、ブッシュ大統領さえも認識しているということなのです。アメリカ人は、「よし、それならメッカを攻撃してやる。君たちが聖なる都市に攻撃を受けたくないなら、手伝ってくれ」と言うことはできるかもしれません。しかしアメリカがメッカを爆撃したなら、すべてのムスリムに対する普遍的な宣戦布告をすることになるのです。

【問】法王は報復活動に走らないようにと警告しています。しかし犠牲者が裁判官を兼ねる場合には、報復は不可避ではないでしょうか。
【問】正義と復讐は異なるものです。もしもビンラディンにこの襲撃の責任があるのだとして(わたしもそうだろうとは思うのですが、証拠はありません)、攻撃軍がビンラディンを捕えて裁判にかけるのならば、それは復讐ではなく、正義です。しかし復讐したがる人間がどうしてもいるものです。ほんらいの問題はビンラディンではなく、アラブの大部分の人々が、アメリカとすでに戦争状態にはいっていると考えていることです。そしてカブールやバクダッドを爆撃したところが、人々のこの感情は変わりません。

【問】こうした感情をそもそも変えることができるものでしょうか。
【答】成人にはもう手遅れでしょうね。わたしたちは次の世代を視野にいれ始めるべきなのです。

【問】宗教がふたたび嫌悪すべき側面をみせ始めたということでしょうか。
【答】わたしがウィーンで講演していたときのことですが、マイクが動作しなかったので、冗談でわたしは「世界にはもはや宗教がないのか」といったものです。みんな笑いました。でもわたしは十分に考えていったのです。これまで恐ろしいことがあると、「もはや宗教はないのか」といわれたものです。しかし現在では宗教が多すぎるために、破滅的な事態が発生していると思われます。

【問】ブッシュ大統領は、宗教の言葉で、新しい十字軍と語りました。
【答】わたしたちが十字軍を始めことほど、大きなあやまちはないでしょう。わたしたちは原理主義やテロをイスラムと同じものだと考えてはなりません。イスラムは寛容を基礎とする宗教です。サラディンがエルサレルを征服したとき、殺戮したのはテンプル騎士団だけでした。この騎士団以外の人々は、そのまま生きることを認められたのです。

もしもわたしたちが十字軍を始めたならば、世界は終りなき戦争のうちに投げ込まれます。そして現代の十字軍は、領土的な制約がありません。アメリカやヨーロッパにどれほど多数のムスリムが暮らしているか、ご存じですか。十字軍は狂った危険な考え方です。

【問】ところでエーコさん、あなたは知識人はすべての質問に答える義務があるという考え方に反対しておられます。それでいてイタリアの政治について熱心に論評を発表されておられます。矛盾はないのですか。
【答】いいえ。知識人は神託を語るものではないと考えているだけです。しかし知識人にはほんらいの役割があります。原則的に、なにか出来事が起きたときには、知識人は口を閉ざすべきだということです。

【問】家が燃えているときには、消防署に電話をかけるべだ。火災の原因を分析するときではないと表現されたことがありますね。
【答】まさにニューヨークの出来事でも同じことです。知識人は過去を振り返って、「原因はなにだったのだろうか」と問うことができます。あるいは未来について「なにをなすべきか」と語ることもできます。しかし現在、この時点でなにかが起きているときは、わたしはまず電話線を抜いてしまいます。

【問】抜かないとどうなるのですか。
【答】鳴るのです。なにかが起きたと思ったら、すぐに電話がリンと鳴るなるのです。グレタ・ガルボが亡くなったとき、すぐに電話が鳴って、わたしがどう思うかと尋ねられました。おわかりでしょう。あるときなど、わたしの故郷の町が洪水になると、ジャーナリストが電話してきて、どう思いますかと尋ねたのです。電話口で泣いてみせればよかったのでしょうか。

【問】でもあなたはイタリアの内政を分析しておられます。現在の出来事なのですが。
【答】知識人が現在について意見を語って、意味のある唯一の例外があります。ある出来事について世界中が沈黙するときです。

【問】ベルルスコーニの件がそうだったのですね。
【答】わたしが「道徳にかかわる国民投票」を書いたときは、イタリア人はなにか根本的な誤解をしていると感じていたのです。イタリア人はあいつはもう金持ちだから、盗みはしないだろうと思ったのですね。わたしの文章は、イタリアの左翼に、力をあわせてベルルスコーニに対抗することを求めたものだったのです。

【問】ドイツでは、ギュンター・グラスやユルゲン・ハーバーマスは、国の政治的な良心とみなされています。イタリア人はあなたのことをそう感じているのでしょうか。
【答】いいえ、そうは思いません。ドイツ人って、奇妙な人たちですよね。




作成:中山 元  (c)2001

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