テロから黙示録へ

哲学クロニクル224号

(2001/10/26)





数日お休みをいただきました。今回はヴイリリオの別の対談をお送りします。ところで訳文の中で、「実体のない戦争」の「実体のない」のところは原語では偶発的な、とか偶有的という意味のakzidentielという語が使われています。そしてこの戦争の概念は、クラウゼヴィッツ的な実体的な戦争の概念と対比されて使われているのです。いかにもヴィリリオらしい概念ペアですね。
このメールでもこの対比を生かそうかと思ったのですが、西洋の形而上学には、神の実体と偶有性という伝統的な対比の歴史があります。この歴史では、偶有的という概念は、実体性、本質性を否定するために使われることが多いのです。そのためここではあえて偶発的とか偶有的とかではなく、「実体のない」戦争と訳してあります。よけいなことですが(笑)

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テロから黙示録へ
初めてのグローバリゼーションの戦争、そしてネット戦略の崩壊
(ポール・ヴィリリオ、レートル・アンテルナシオナル誌、10月1日号)

【問】1993年に書かれた「錯乱に陥ったニューヨーク」で、すでに世界貿易センターの崩壊がどのように意味をもつかを予測しておられました。今回の攻撃には、あなたにとって意外で新しい要素がありましたか。
【答】テロリズムの拡大は、メディアの拡大、すなわちブラウン管の拡大とともに進むものです。メディアのブラウン管は、予想もつかなかったような意外な出来事に占領されてしまう性質のある場所です。世界貿易センターのツイン・タワーの崩壊とともに、わたしたちはテレビでこの暴力的な出来事を目撃したのです。

この出来事は、いわゆる「黒い九月」による1972年のミュンヘン・オリンピックの襲撃のような、対象を限定した伝統的なテロ攻撃ではありません。この巨大なテロは、すでに〈実体のない〉戦争とでも言えるものになっているのです。この戦争は、クラウゼヴイッツの〈実体のある〉戦争の概念では理解できないものです。

今回の襲撃者たちは、最新の技術を利用し、あらゆる最新の通信技術を利用して、攻撃が同時に行われるようにしているという意味で、新しいものです。しかし「錯乱に陥ったニューヨーク」の頃と比較して、今回の世界貿易センターの破壊がなによりも〈新しい〉のは、2000年にナスダックなどのネット経済が崩壊した後で、アメリカの国防省のネット戦略を破壊することを目指していたということです。

アメリカ合衆国空軍は、地球規模での情報支配を目指し、軍というものの革命を計画していましたが、この計画を崩壊させようとしたのです。アメリカの国家ミサイル防衛戦略の全体が、二機の旅客機を使った攻撃で、不合理なものになってしまいました。二機だけで、真珠湾の爆撃の2倍の被害をもたらしたからです。

ですからこの襲撃は、アメリカ国防省の軍の戦略そのものを揺るがすまったく〈新しい〉出来事でした。ウォール・ストリートが崩壊した後で、ペンタゴンが崩壊したわけです。爆弾と化したこの二機の旅客機による襲撃が、ネット経済と、すなわち新しい技術の開発およびその失敗と密接に結びついているのはたしかです。国家安全保障局によるエシュロンを使った監視が失敗したのは象徴的ですね。これは重大な失敗で、いままさに始まりつつある新しい歴史にとっても画期的な出来事となります。先進国も軍産複合体も、この出来事から無傷で立ち直ることはできないでしょう。

【問】テロリズムは諜報活動と精密な装置を活用するようになったのでしょうか。
【答】まさにそのとおりです。わたしたちは、新しい種類の戦争に直面しているのです。これまでは二種類の戦争がありました。国家の間の戦争、すなわち国際的な戦争と、国内の戦争である内戦です。国家の間の戦争は〈実体のある〉戦争で、クラウゼヴィッツが定義したように、政治を他の手段によって延長したものです。この戦争は、戦闘部隊、戦旗、前線、宣戦布告、停戦協定などの手段で、戦闘と殺戮の場所を決めて行われるものでした。

ところがこの新しい戦争とともに、わたしたちは〈実体のない〉戦争の時代に突入したのです。そして宗教的な次元が加わることで、この戦争は国際的な内戦に拡大するおそれがあります。わたしのように、戦争について関心をもっている者にとっては、この新しい戦争は巨大な意味をもっています。1914年のサラエボ事件はヨーロッパの平和にとって大きな脅威となりましたが、今回の襲撃は、世界平和にとってこれに劣らぬ脅威となるでしょう。

サラエボの襲撃が第一次世界大戦のひきがねとなりました。そしてニューヨークの襲撃も、これと同じような重要な位置を占めるものです。この襲撃は、グローバリゼーションにとっての最初の戦争の勃発をしるすものだからです。そしてこれに、南と北の諸国の対立、宗教的な集団の間の対立がからんでいるのです。こうして地球的な大きさで、〈実体のない〉戦争が始まったのです。この前例のない戦争とくらべると、コソボの戦争や湾岸戦争はかすんでしまいまず。それどころか、アメリカにとって、ベトナム戦争の経験もかすむほどのものになるでしょう。


作成:中山 元  (c)2001

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