グローバリゼーションの新しい方向性(1)

哲学クロニクル225号

(2001/10/27)






作家のノーマン・メイラーは、911テロの「よい」効果というものがあるとすれば、グローバリゼーションが頓挫することだといっていたが、グローバリゼーシの流れが変わる気配はみえているようだ。同時に反グローバリゼーションの運動にも新しい方向がみえている。今回はリベラシオン紙の特集記事をご紹介しよう。おっと(笑)という意見もあるが。

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グローバリゼーションの新しい方向性(1)
(リベラシオン、2001年10月9日)

9月11日以前は、グローバリゼーションが不均等で、不平等な形で進んでいた。法的なグローバリゼーションや人間的なグローバリゼーションが望ましいにもかかわらず、商業的で財政的なグローバリゼーションが中心となっていた。国家元首もコノミストちも、そのことを明言していた。

ところが9月11日事件以来というもの、「地球のリーダーたち」は世界市場における「方向転換」の必要性について語り始めた。グローバリゼーションは必要だが、規制を加えながら、民主主義的な解放をともなう政策が必要と考えられるようになってきたのである。今週末には社会党が第三世界の負債は「不正」であることを発見したと語っているし、欧州委員会のパスカル・レミィ商業委員は、
「開発」をテーマとした新しい商業的な交渉ラウンドを主唱し始めた。

今回のテロは、南の諸国からの正当な憤慨という域は超えていたが、それでもわたしたちがさまざまな危険性に直面していることを、テロはまざまざと示してくれた。南と北のギャップが広がり続けていること、商業的な関心と環境の尊重が一致しないこと、あまりに強力な市場は、政治も国家も潰してしまうことを。

これらの問題を考えると、これまでのような経済モデルははたして普遍的なものなのか、揺るがしがたいものなのかが疑問となってくる。それでも数字は残酷なほどに正直だ。もっとも豊かな国と最貧国の間の国民所得のギャップは、1960年に30対1だったが、1998年には74対1にも広がっている。そして先進国は、国内総生産の0.7%を開発途上国の援助に投じると公約していたにもかかわらず、実際には0.22%しか、援助に費やしていないのである。

グローバリゼーションに対して、新しい規則を発明することが求められているのである。しかし新しい「ニューディール」はどのようなものになるのだろうか。本紙では、8名の識者の意見を求めた。

○ドナルド・ジョンストン「貧困はテロの巣窟だ
カナダ、OECD事務局長

わたしが何よりも望みたいのは、各国が後ろ向きになって、限定的な保護貿易主義に走ったり、自国の問題だけを重視するようにならないことだ。悪の根源は、南の諸国の開発が進んでいないことであり、この悪と闘う必要がある。開発援助を考え直し、先進国には南の諸国にさらに国境を開くように促し、本物の技術移転が行われるように促進することが必要だ。そしてテロを生み出しているのは、貧困と無知と教育の欠如であることを認識すべきだ。

9月11日以降は、多元主義と協力の推進を強化する必要がある。テロの衝撃が行われてからというもの、タックスヘイブンとの闘い、マネーロンダリングの阻止、銀行が秘密を保持する権利の否定など、いくつもの協力の例がみられた。しかし同時に開発が、経済開発・協力というOECDの理念に従って行われることも忘れるべきではない。

○トロイ・デーヴィス「市民の世界議会を」
アメリカ、世界市民財団(WCF)会長

この「出来事」に長期的な形で対処するための唯一の方法は、あらゆる水準で政治的な対話を開始することだ。地球的な規模で、文化、文明、経済政策について協議する場が存在しないのが問題なのだ。だから市民の世界議会を設立するよう試みる必要がある。国連はこの役割を果たしていない。国連は「散発的な」政治的な対話を通じて、外交のチャンネルとなっているだけだ。市民の地球議会、それは「集中的な」政治的な対話を通じて、民主主義のフォーラムとなるのだ。

ユートピアと言われるかもしれない。しかし50年前に、ヨーロッパ共同体と創設するといったら、やはりユートピアと言われただろう。それよりもはるかに具体的なアイデアなのだ。ところでわたしたちは1年前に、世界市民財団(WCF)の内部に、世界議会のための委員会を設立した。この委員会には現在では、現職の共和国大統領(ペルーのトレド大統領)や、ネルソン・マンデラ、シモン・プレスなどの世界的な有名人が参加している。ほんとうの意味で世界的な対話をしなければ、世界に平和をもたらすことはできない。そして民主主義の欠如という地球の深刻な病と効率的に闘うためには、世界主義を推進するしかなのである。

○フアン・ソマビア「安全保証の新たな概念」
ペルー、国際労働機構(ILO)事務局長

いまなによりも必要とされているのは、世界が景気後退、社会的な分裂、対立というスパイラルに陥るのを防ぐことだ。しかし91月11日の事件がもたらした空虚は、長続きはしないだろう。これを国際関係システムと制度で埋めて、新たな統治を作り出す必要がある。それにはどうすればよいか。細分化された個別な決定に頼るのか、それとも協調のとれた決定に従うのか。テロを「二度と起こらせない」ためには、どのように作業していけばよいだろうか。

わたしが代表している国際労働機構は、1919年、世界が初めて対立した第一次大戦の直後に設立された。第二次大戦のあとには、高揚した気分のもとでフィラデルフィア宣言が採択された。このILOの設立宣言とフィラデルフィア宣言は、二つの礎[いしずえ]ともいうべきもので、これまで以上に貴重な役割を果たしている。これらの宣言では、長期的な平和をもたらすのは、社会的な公正さであること、「貧困がどこかに存在するかぎり、世界のすべての場所の繁栄を脅かす」ことがはっきりと語られている。ILOのこの原則は、新しい安全保障の概念を構築し、この新しい概念を現実のものとする上で役立つだろう。


作成:中山 元  (c)2001

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