噂の真相(笑)

哲学クロニクル226号

(2001/10/28)






今年のノーベル文学賞は予想を裏切って(笑)インド生まれでイギリスで文学者になったナイポールが受賞しましたね。決定の時期もあって、いろいろとかしましいうわさが流れているようです。テロ事件なしでは受賞はなかったに違いないなどというきつい文章もみかけます。

というわけでもないのですが、今日はナイポールにうわさの真相(笑)を尋ねたインタビューをご紹介。岩波の『イスラム再訪』などの著書の再刊も進んでいるようですね。

ところで明日から一週間ほど、コンピュータのメンテナンスのために、哲学クロニクルは休刊させていただきます。よろしくお願いします。

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ナイポールに聞く
ニューヨーク・タイムズ10/28

【問】あなたの小説はどこでも高く称えられていますが、イスラムについて書かれたものについては、無神経だとか、西洋の偏見に迎合しているとか、さまざまな異論がでているようですが。
【答】ムスリムの人々について書くと、いつもこの問題につきまとわれるのですよ。いつも異議が唱えられるのを覚悟していなければならないのです。大学には人を追い詰めてやろうと構えている人々がいましてね、こっちの言うことには耳も貸さないのです。

【問】あなたの旅行記で描かれているパキスタンでも、インドネシアでも、マレーシアやイランでも、オサマ・ビンラディン氏への支持がみられますが、意外に思われましたか。
【答】いえいえ。これらの諸国は生粋のアラブではなく、いわば転向した諸国だからです。転向した人々は、自分の信仰を証明することに、神経質になるのです。フランスの諺で言うように、王みずからよりも強く、王政を支持するというわけです。

【問】9月11日のテロの原因はなにでしょう。
【答】原因なんてものはありません。宗教的な憎悪、宗教的な動機が根っこにあるのです。アメリカの外交政策のせいだとは思いませんね。コンラッドが東インドについて書いた短編の一つに、現地の人間が、自分は手になにももたずに世界のうちに孤立していることに気付いて、怒りのあまり叫びだす様子が描かれている文章があります。ことの本質はまさに同じです。

現代では、宗教しか持たない素朴な人間には、世界はますます手のとどかない遠いところにいってしまったのです。そして宗教を頼りにすればするほど、世界はますます遠くなります。宗教では問題は解決できないのですから。1970年代にはアラブ諸国はオイル・マネーを手にしました。そこでイスラム世界は権力を握れると思い違いをしたのです。

やっとのことで聖なるスーパーマーケットが開店して、ついにイスラムの人々も買い物ができるようになったという幻想が生まれたのですね。ところが自分たちに権力を与えてくれた商品が、実は他の文明によって作られたものだったということを理解していなかったのです。これは耐えがたい事態であり、現在でも耐えられないと感じられているのです。

【問】あなたがノーベル賞を受賞する上で、9月11日の出来事の影響はあったと思われますか。
【答】わかりません。わたしは1973年の頃から、授賞候補になっていると感じていました。しかしその後、わたしの受賞を妨害するキャンペーンが展開され、成功を収めていたのです。

【問】どなたがキャンペーンを展開されたのですか。
【答】わたしを人種差別主義者で、第三世界に敵対する者と笑い者にしてきた人々です。

【問】あなたのお仕事をめぐる異論には、お腹立ちでしょう。
【答】いいえ、まったく気になりません。作家にとって大切なのは、この種の敵意を醸成することだからです。敵意を生まない作家なんて、死んでいるのも同然です。

【問】あなたはイスラムの歴史家ではないと語っておられます。それではどのようなイスラム学者を信頼しておられますか。
【答】とんでもない。わたしは人々に会うのです。そして人々が自分の生について語ってくれるのです。学者の本など読む必要はまったくないのです。インドやアフリカを旅行するときには、心を白紙のようにして、事実が形作られるのを待つのがなによりです。

学者は人々を眺めて、彼なりの結論をだすでしょう。しかしこれはわたしの方法ではありません。読者はわたしの著書に描かれた人々を眺めて、彼なりのパターンを作り出すでしょう。このパターンは、読者によって異なるものですし、それでよいのです。


作成:中山 元  (c)2001

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