豊かな国が逃れることのできない罠(1)

哲学クロニクル227号

(2001/11/6)





朝日新聞の朝刊に、グローバリゼーションに詳しいサスキア・サッセンのインタ
ビュー記事が掲載されていた。最後に「国民レベルでも途上国借款の資金を市民
が提供できる。いまこそ立ち上がるときだ」というアジがあったので、ふと思い
出して現代思想の別巻の『これは戦争か』のサッセンの文章を読み直してみると、
これがまたトホホの訳(笑)。

サッセンはこの文を事件当日に書いているようだが、主張は明確で、とても興味
深い。それが現代思想の足立訳ではきちんと理解できないおそれがあるので、仕
方なく訳しなおすことにした。訳注に余計な茶々をいれているが、気にせずに読
み飛ばされたい。長いので二回連載。原文は次のサイトで読める。
http://www.theglobalsite.ac.uk/times/109sassen.htm

なお文中にでてくる重債務貧困国HIPCはHeavily Indebted Poor Countriesの略語で、
世界銀行のサイト
http://www.worldbank.org/hipc/about/map/map.html
にマップがある。

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豊かな国が逃れることのできない罠(1)
サスキア・サッセン

世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃は、わたしたちが平和と繁栄の壁に守ら
れて、ぬくぬくと暮らしていることができないことを、これまでになくはっきり
と示すものだった。実はその証拠は、あらゆる場所で明らかになりつつあったの
である。しかしわたしたちの指導者たちは、それに直面しようとしなかった。現
在一万名と推定されている死者とさらに多数の負傷者を生み出したこの忌まわし
い出来事が起こるまでは。そしてはるかに離れた地球の南の諸国で起きている他
の戦争や他の死者たちの恐怖は、顧みられることもないのである。


グローバリゼーションとは、たんに世界における資本、商品、情報、ビジネスマ
ンの流通を容易にするものではない。わたしたちがさまざまな形で複雑な関係を
もつようになるということでもある。大陸間対弾道ミサイル・シールド(IABS)で
は、国内線の商業的な航空機をハイジャックして、商業的な建物や軍の建物に突
入するテロリストたちから、から、わたしたちを守ることはできない。いかに強
力な国家でも、「ブリコラージュ」テロリズム−−工作用の釘を使った爆弾、初
歩的な核兵器、「ホームメイド」の細菌兵器などを使うテロから、完全に逃れる
ことはできないのである。

負債の増大、失業、伝統的な経済分野の衰退のために、移住のための不法な取引
が爆発的に増大しているが、多くの場合、人々は豊かな国へと移動するのである。
また豊かな国に住むわたしたちは、地球の南の諸国の多くの地域ではびこる疾患
や疾病について、忘れたふりをすることはできるが、実はわたしたちの国でも、
こうした疾患や疾病がますます増え続けているのである(*1)。実際に米国では肺
結核が、イギリスでは腸チフスがふたたび流行するようになり、脳炎の原因とな
るナイル蚊は、北の諸国ではじめて観察されるようになった。その他にもますま
す多くの疾患と疾病が北側の諸国で確認されている。

南の諸国の政府は貧困になると、北側の諸国に送り出した移民たちからの送金に
ますます依存するようになり、移住や人々の移動のための非合法な取引を管理す
ることには、ほとんど関心をもっていない。貧しい諸国の政府は、競争圧力のた
めに、保健、教育、社会分野の予算を削減しており、これが移住と移動のための
不正取引をさらに促進することになる。ということは、北と南の諸国はますます
たがいに依存するようになっているということだ。

世界の諸国の間の依存性が高まっているために、北と南の諸国の間の昔からの非
対称性の意味が変わってくる。そして新たな非対称性が生まれる。地球の南の諸
国の負債、貧困、疾患が深刻なものとなると、北の豊かな諸国の深部にまで影響
するようになる。わたしたちはこれまで、こうしたすべての悲惨に目をつぶるこ
とが多かったが、これからは悲惨に背を向けることは許されない。こうした問題
に人道主義的な根拠から対処するのがお嫌な人もおられるだろう。それならば、
こうした問題に対処するのは、みずからの利益を保護するためだと考えてはいか
がだろうか。

この十年というもの、わたしたちはますます多くの社会的な領域を、市場の力に
任せるようになった。しかし今や、市場はすべての領域に対処できるわけではな
いという事実を受け入れるべきなのだ。民営化と市場の規則が優位なこの時代に
おいて、政府がもっと統治する必要があるという事実に直面しているのである。
しかしそれは、国家の周囲の保護の壁をはりめぐらせるという古い統治形態に復
帰することではありえない。ほんとうの意味での多国間の自由貿易主義とインター
ナショナリズム、そしていくつかの根本的な革新が必要とされているのである。
また市民社会と超国家的な組織の新しい協力形態も必要だ。

かつて肥沃だった土地で、飢餓と貧困と絶滅という暴力がはびこり、高度に軍事
化された諸国が、弱い諸国を抑圧し、迫害し続けている。これらのすべてが、緩
慢ではあるが、仮借ないまでに北の諸国に向かって動き続ける人々の動きの複雑
なスパイラルを作り出す原因となっているのである。北の諸国は、多くの被害を
作り出す資源とパワーをもっているだけではない。被害を軽減するための資源も
手にしているのである。

難しいのは、暴力のさまざまな形式がたがいに結びついていることを認識するこ
とだ。わたしたちはこれが結びついていること、というよりも、これがそもそも
暴力であるということを、いつも認識しているとは限らない(*2)。いわば、翻訳
のテストを受けているようなものだ。貧困と悲惨の言語は不明瞭だし、不愉快な
ものだ。しかし本日の攻撃の言語は明瞭だ(*3)。翻訳の問題など存在しない。

わたしたちの課題の性格を分析して、具体的に必要な統治のメカニズムを確認す
る手段として、二つのホットスポットを考えてみたい。ますます多くの政府がは
まっている負債の罠と、移民である。このどちらも、わたしたちの統治の概念を
作り直すことを迫っているのである。そしてどちらも、世界がますます緊密に結
びくようになると、この問題を対処するためには、超国家的な組織を増やすより
も、複数の専門的な統治方式が必要になっていることを明らかにしているのであ
る。

まず負債の罠について。この罠は、北側の多くの諸国が考えているよりもはるか
に深刻である。焦点となるのは、いつもこうした負債の金額だが、83兆ドルと推
定されるこの負債の額は、世界の資本市場の大きさから考えると、ごくわずかな
ものである。豊かな諸国が、自国の利益のためにも、この負債の大きさを懸念す
べき理由が、少なくとも二つはある。

最初の理由は、負債を負っているのがたんに企業ではなく、国家だということだ
(*4)。南の諸国の負債のために、人々の非合法な移動や、麻薬と武器の不正取引
が爆発的に増大し、すでに征服していたと信じ込んでいた疾患がふたたび流行す
るようになり、ますます脆くなっている生態系がさらに破壊される−−こうして
いずれは、豊かな国も間接的に罠にはまるのである。

第二の理由は、ますます多くの国がこの負債の罠にはまっており、中規模の所得
のある国まで、負債を負うようになっていることだ。負債超過で、この状態を克
服できないと判断されている重債務貧困国(HIPC)の数は、50か国にも達している。
もはや負債の返済という次元の問題ではない。根本的に新しい構造的な条件が登
場しているの。これらの諸国が存続するためには、革新的な方法が必要なのであ
る。

これらの負債の実際の構造、負債の返済状況、債権国の経済におけるこうした負
債の位置を考えると、多くの国は現在の条件のもとでは全額を返済できないと考
えられる。重債務貧困国の多くで、GNPと比較した負債比率は、維持できる
限度を超えている。1980年代の中南米の債務危機の際に管理できない水準と
考えられた負債の対GNP比率と比較しても、こうした諸国の比率は極度に大き
くなっているのに、これが見過ごされたり、認識されないことが多すぎるのであ
る。

アフリカでは、負債の対GNP比率がとくに高く、123%に達している。中南米で
は42%、アジアでは23%である。IMFは重債務貧困国に対して、輸出取得の20
%から25%を負債の返済にあてるように要求している。これとは対照的に、1953
年に連合国側は敗戦したドイツの戦争負債の80%を免除し、輸出所得の3%から5%
を負債の返済にあてるように要求しただけである。共産主義が崩壊した後の中欧諸
国に求められた負債返済比率も、この範囲である。


訳注:
(*1)「負債…ふえ続けているのである」の二つの文を、足立訳は次のように訳す。
「負債、失業者数の増大、伝統的な経済の部門の下落は、非合法な取引、それも
多くは豊かな国に直接に結び付いているような取引のなかに生きる人々の感情の
破裂を養ってきたののです。病気と害毒は、私たちが、豊かな国において忘却す
ることができた、世界的な規模での南側というものの、多くの部分を表している
のです」。とくに第二文はどうしてこのような訳になったのか、ほとんど理解に
苦しむ(苦笑)。ぼくのも少し意訳だが。

(*2)「難しいのは」以下の文は次のようになる。「この挑戦は、結合されている
こととしての、あるいは暴力の形式であるということについての、私たちが常に
理解することのない、暴力という形態における相互連関性を認識することにある
のである」とほほ…。

(*3)「しかし」以下の文は、「しかしながら、昼間への攻撃という言語は明瞭で
す」。となる。

(*4)「最初の理由は」以下は、次のようになる。「何故なら、第一には、それは
負債を負った企業についてのことだけではなく、国家についても同様であるから
です」。はて、どう同様なのだろうか。


作成:中山 元  (c)2001

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