「無限の正義」の算術(1)

哲学クロニクル234号

(2001/12/15)






今回はインドの作家で多数の邦訳のあるロイが、アフガニスタン戦争の前に発表
した文章をご紹介しましょう。ヨーロッパの諸国ではアメリカ批判がほとんど行
えない雰囲気になっていたときに、ロイの率直な発言が歓迎され、ギュンター・
グラスなどもロイの発言を高く評価しています。長いので数回に分けて連載します。

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「無限の正義」の算術(1)
(アルンダティ・ロイ、ガーディアン、二〇〇一年九月二九日)

 九月一一日にペンタゴンと世界貿易センターに非道な自爆攻撃が行われた直後
のことだ。アメリカのテレビ局のニュースキャスターはこう語った−−「この火
曜日ほど、善と悪がくっきりとあらわになったのはめずらしいことです。わたし
たちの知らない人々が、わたしたちの知っている人々を虐殺しました。侮蔑する
かのように、大喜びしながら殺したのです」。そして彼は取り乱し、嗚咽した。

 要するにこういうことだ。アメリカ人は知らない相手に戦争をしかけているが、
知らないのは、相手がテレビに出てこないからだ。アメリカ政府は敵がだれかはっ
きりする前から、敵の性格を理解しようともせず、気恥ずかしいレトリックを駆
使して宣伝を始めた。そして「テロと戦う国際的な同盟」とかをでっちあげ、陸
軍、空軍、海軍、そしてメディアを動員し、戦闘に入らせた。

 問題なのは、アメリカは戦争を始めると、実際に戦闘をするまでは、帰国しな
いということだ。戦う相手がみつからなければ、怒りにくるった兵士たちを帰国
させるためには、敵をでっちあげなければならなくなる。そしてひとたび戦争が
始まるとはずみがついて、かってな理屈と根拠が作りあげられる。そもそもなぜ
戦争を始めたのかを、見失ってしまうのだ。

 わたしたちがいま目撃しているのは、世界最強の国が、怒りにくるって考えも
なく、昔ながらの本能にしたがって、新しい種類の戦争を始めようとしている光
景だ。今回のテロが明らかにしたのは、自国を防衛するには、アメリカのモダン
な軍艦も、巡航ミサイルも、F16戦闘機も時代遅れのがらくたのようにみえて
くるということだ。攻撃を抑止するはずの多量の核兵器も、スクラップの重さの
価値しかなくなってしまった。二一世紀の戦争を戦うための武器は、大型のカッ
ター、ペンナイフ、そして冷たく燃えさかる怒りなのである。とくに重要な武器
は怒りだ。空港の検問でも調べようはない。荷物検査をしてもみつかるわけもな
いのだ。

 アメリカはだれと戦おうとするのか。FBIは九月二〇日に、数人のハイジャッ
ク犯人の身元にはまだ疑問が残ると発表した。ブッシュ大統領は同じ日に、「だ
れか犯人なのか、どの国の政府が犯人を支援しているのか、はっきりとわかって
いる」と語っている。まるでFBIもアメリカの国民も知らないことを、大統領
は知っているように聞こえる。

 九月二〇日の議会スピーチで、ブッシュはアメリカの敵は「自由の敵」だと呼
んだ。そして「アメリカ国民は、なぜ敵はアメリカを憎むのか不思議に思ってい
ます。敵は、アメリカの自由を憎んでいるのです。信仰の自由、言論の自由、投
票し、集まり、意見を対立させる自由を憎んでいるのです」と続けた。ここで国
民は、次の二つのことを根拠もなしに信じさせられているわけである。第一に、
というのが、アメリカ政府が名指す相手であること。第二に、の攻
撃の動機は、アメリカ政府が主張するとおりのものだということ。しかしこのど
ちらにも、いかなる証拠もないのである。

 戦略的、軍事的、経済的な理由からは、アメリカ政府はなんとしても、アメリ
カの自由と民主主義と、アメリカの生活スタイルが攻撃されていると、国民に信
じさせる必要がある。現在のように悲嘆と憤慨と怒りに満ちた雰囲気では、これ
はたやすいことだ。しかしこれが真実だとしても、アメリカの経済的な支配のシ
ンボルである世界貿易センターと、軍事的な支配のシンボルであるペンタゴンが、
攻撃のターゲットになったのは不思議ではないか。なぜ自由の女神を攻撃しない
のだろう。

 攻撃をもたらした陰鬱な怒りの根本的な原因は、アメリカの自由と民主主義で
はなく、アメリカ政府がこれまで長い間、それと正反対のものに力をいれ、支援
してきたことにあるのではないか。アメリカは国外では、軍事および経済的なテ
ロ、暴動、軍事独裁政権、頑迷な宗教、想像もできないほどの大量殺人を支援し
てきたのである。

 家族や友人の命を奪われたばかりのふつうのアメリカ人が、涙のまだ乾かぬ眼
を世界に向けて、海外ではアメリカに無関心だという事実に直面するのは辛いこ
とだろう。しかしこれは無関心ではなく、今回の出来事の兆のようなもの、起き
て当然という感情なのだ。「蒔いた種を刈り取る」という昔からの諺どおりだ。
これほど憎まれているのはアメリカ国民ではなく、アメリカ政府の政策であると
いうことを、国民は認識すべなのだ。

 アメリカ国民そのものや、アメリカの傑出したミュージシャン、作家、俳優、
すばらしい技を披露するスポーツマン、ハリウッド映画が、世界中で歓迎されて
いることは、アメリカの国民も疑問に感じないだろう。そして攻撃の後で、消防
士、救急隊員、ふつうの会社員たちが示した勇気と礼儀には、わたしたちのだれ
もが感銘を受けたのである。

 今回の事件の後に、アメリカが大きな悲嘆に包まれていることは、よく知られ
ている。アメリカ人にこの苦悩を抑制し、調整するよう求めるのは、ばかげたこ
とかもしれない。しかしこの機会を捉えて、九月一一日の出来事が起きた理由を
理解しようとするのではなく、自分たちの悲嘆を晴らし、復讐するために、世界
から寄せられた追悼の念を利用するとしたら、とても残念なことだ。そうなると、
アメリカ以外の国がアメリカに厳しい問いを投げ掛け、アメリカに厳しい意見を
言わなければならなくなる。そして辛いことだが、間の悪い意見を口にするわた
したちは嫌われ、無視され、いずれは口を封じられるかもしれない。

 ハイジャク犯たちが、航空機をあれらの建物に激突させた動機は、最後までわ
からないままかもしれない。名前を残すために死んだわけではないし、遺書も、
政治的なメッセージも残さなかった。攻撃を実行したと宣言した組織もない。わ
たしたちにわかっているのは、生き延びようとする人間の自然な本能を捨ててま
でも、名前を残したいという欲望を捨ててまでも、実行しようとする強い信念が
あったということだけだ。

 怒りがあまりにも強かったので、もっと小規模な犯行では我慢できなかったかの
ようである。そして彼らの行為は、わたしたちがこれまで知っていた世界に風穴
を開けた。情報がないままに、政治家、政治評論家、そしてわたしのような物書
きは、自分たちの政治的な信念や解釈に従って、この行為について語るだろう。
こうした推測や、攻撃が起きた政治状況についての分析は、せいぜい思いつきの
域を超えるものではない。

 しかし戦争が近づいている。言っておくべきことは、手遅れにならないうちに
言わねばならない。やがてアメリカが「テロと戦う国際同盟」の頂点に立ち、ま
るで神をきどるかのように「無限の正義」と名づけたこの作戦に、世界のさまざ
まな国を招き、あるいは参加を強要する前に、いくつかのことを解明しておくの
は、意味のあることだろう−−ところでこの「無限の正義」という作戦名は、無
限の正義を実行できるのはアラーだけだと考えるイスラム教徒を侮辱すると批判
されて、「不朽の自由」作戦と改名されたのだった。

作成:中山 元  (c)2001

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