「無限の正義」の算術(3)

哲学クロニクル236号

(2001/12/19)




ロイの三回目です。幽霊たちの招待状というのはうまいなぁ。次回で連載が終わります。

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 「不朽の自由」作戦は、アメリカの生活スタイルを守るために戦われているのだという。しかしこの作戦はいずれこれを完全に破壊してしまうにちがいない。世界中にさらに激しい怒りとテロを蔓延させることになるだろう。アメリカのふつうの市民は、やりきれないほどの不安のうちに暮らすことになるだろう。

 わたしの子供は学校で無事だろうか。地下鉄で神経ガスが散布されないだろうか。映画館で爆弾が破裂するのではないか。愛する夫は今夜、無事に帰宅できるだろうか。生物兵器の使用も噂されている。天然痘、腺ペスト、炭疽菌などを、無害な農薬散布飛行機に搭載して散布すれば、死に神の使いとなるだろう。わずかな被害が長く続くことは、核兵器で一挙に死滅するよりも、ひどいものになるかもしれないのである。

 米国政府も、もちろん世界中の他の国の政府も、戦争の雰囲気を利用して、市民の自由を削減し、言論の自由を否定し、労働者をレイオフし、少数民族や宗教的な少数派にいやがらせを行い、公共予算を削減し、巨大な資金を国防産業に投入する口実にするだろう。それは何のためか。ブッシュ大統領が、「悪者の世界をなくす」ことなどはできないのは、世界を聖人であふれさせることができないのと同じくらいたしかなことだ。

 米国政府が、みずから暴力と抑圧を進めながら、テロを撲滅するという考え方をもてあそぶのは理不尽なことだ。テロリズムは疾患そのものではなく、その症状なのだ。テロリズムに国境はない。コカコーラ、ペプシ、ナイキのような国際的な企業と同じように、テロは国境を超えて広がる。なにかトラブルが起きそうだと感づいたら、テロリストたちはすぐに店を畳んで、もっとうまい話を探して「工場」をよその国に移す。多国籍企業とまったく同じなのだ。

 現象としてのテロがなくなることはないだろう。しかテロを少しでも抑えようとするなら、アメリカはまず他の諸国とともに地球をわかちあっていることを認めることだ。たとえテレビで放映されなくても、地球には同じように愛し、悲嘆にくれ、物語を作り、歌い、悲しんでいる人々が、そしてなによりも人権をもった人々が生きているのだ。ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、このアメリカの新しい戦争では、どうなれば勝利を収めたことになるのかと尋ねられて、アメリカ人が自分の生活スタイルを維持できる権利を世界に認めさせたら、それが勝利を収めたということだと答えている。

 九月一一日の攻撃は、恐ろしいほどに破綻した世界からのおそるべき招待状である。この招待状のメッセージはビンラディンが書いたのかもしれないし(だれにわかるだろう)、その密使が運んだのもしれない。しかしこの招待状の署名者は、アメリカがこれまで遂行してきた戦争の被害者の幽霊たちかもしれないのだ。朝鮮、ベトナム、カンボジアで殺された数百万の死者、一九八二年にイスラエルが米国の支援のもとでレバノンに侵略した際に殺された一万七千五百名の死者、「砂漠の嵐」作戦で殺された二〇万人のイラク人、西岸を占領したイスラエルと戦って死んだ数千人のパレスチナ人たちの幽霊たち。ユーゴスラビアで、ソマリアで、ハイチで、チリで、ニカラグアで、エルサルバドルで、ドミニカ共和国で、パナマで、アメリカ政府が支援し、訓練し、資金を提供し、兵器を供給したすべてのテロリスト、独裁者、大量虐殺者たちの手にかかって死んだ数百万の人々の幽霊たち。そしてこれでリストが終わりというわけではないのだ。

 アメリカがこれほどの戦争と紛争に関与してきたにもかかわらず、アメリカの国民は極端なほど幸運に恵まれてきた。過去一世紀のうちで、アメリカの領土に攻撃が加えられたのは、九月一一日の攻撃以外には、真珠湾攻撃しかない。この攻撃への反撃は、長い迂回路をたどった末に、広島と長崎で終わった。今回の攻撃がどのような結末となるか、世界は恐怖に息をひそめている。


作成:中山 元  (c)2001

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