ハート/ネグリの『帝国』を読む

帝国主義から帝国へ(序-1)



ハート/ネグリは、帝国はいまぼくたちの目前で姿を取り始めていると告げる。第二次大戦以降の植民地独立運動によって、戦前の植民地体制が崩壊した。ソ連と資本主義の間のカーテンも壁も崩壊し、世界の経済と文化のグローバリゼーションは「抵抗できないもので、流れを逆転させることはできない」という。

地球規模の市場が生まれ、物品は地球規模で取引されるようになると、経済的な関係への政治的なタガが外れてくる。そして政治的な主権=至高性が低下してくる。ぼくも、もはや主権の概念で国家と政治を考えるべきではなくなったのはたしかだと思う。象徴的だったのはやはりピノチェットの逮捕だ。ピノチェットは逮捕されるなど、考えてもいなかっただろう。一国の権力者が、国内問題で外国で逮捕されるなど、それまでのジョーシキではありえないことだからだ。

ハート/ネグリはこのグローバリゼーションとその政治的な主権の低下に両義的な姿勢をとっている。これは資本主義の経済が、これまでの政治的な制約と歪みからやっと解放されたのだと歓迎する人もいるだろうし、労働者や市民が鉄のような資本の論理に影響力を行使し、これに対抗するチャネルが失われたと嘆く人もいるだろう。しかし著者はこの国民国家の権限の縮小という事態から、そのまま主権が低下すると考えるべきではないと強調する。

主権が国民国家の次元を離れて、あらたな姿で成長し始めているのではないか。単一の規則の論理のもとで、さまざまな国家的および超国家的な組織が、ひとつの帝国を形成し始めているのではないか−−これが著者の仮説である。

近代を通じてヨーロッパの帝国主義は、国民国家の主権をその礎にしてきた。しかし今姿を著し始めている帝国(Empire)は、帝国主義(Imperialism)とはまったく異なるものだという。なぜか。近代の帝国主義はほんとうの帝国を構築するものではなく、ヨーロッパの国民国家の主権を外部に延長したものにすぎないからだ。その証拠は、世界のほとんどの地域は、ヨーロッパの国旗の色で塗り替えられたことだ。インドはイギリスの旗の色で、ギアナはフランスの旗の色でなど。そして植民地にされた国は、宗主国の支配のもとで、同じような階層的な政治構造を構築させられ、明確な国境のもとで、他国の支配を排除する。

しかしこの体制の崩壊とともに、新しい帝国が誕生する。帝国主義とはことなり、帝国は権力を国境で制限しない。固定した国境や障壁に依拠しない。「帝国は脱中心的で、脱領土的な規則の装置であり、これは開かれた拡張するフロンティアの内側に世界の全体の領域を段階的に取り込んでいく」(xii)。帝国には、帝国主義の諸国のような単一のアイデンティティはないし、階層構造も柔軟だ。もはや帝国を旗の色で塗り分けることはできないのである。

このような転換によって、資本主義の生産様式にも変動が生じていると著者は指摘している。とくに第一世界、第二世界、第三世界という区別ができなくなったことが注目される。第一世界のうちに第三世界があり、第三世界のうちに第一世界があり、第二世界はもうほとんど姿を消したからだ。世界的な取引の流れが構築されるなかで、中心的な生産プロセスそのものも変身してきた。工場の労働者の役割が低下し、コミュニケーション的で、協力的で、感情をもつ労働者が重視されるようになる。グローバリゼーションのうちでは、生−政治学的な生産において、社会の生命そのものの生産において、富が生み出されるようになる。経済、政治、文化がますます重複し、他の領域に投資し始める。

このグローバリゼーションのプロセスを支配し、新しい世界の秩序を構築する最終的な権威をもっているのはアメリカ合衆国だという意見をよく聞く。これを賞賛するとしても、帝国主義的な抑圧者として非難するにしてもだ。しかしハート/ネグリはこれはヨーロッパが失った帝国主義の役割を米国が引き受けていると想定するという誤りをおかしていると考える。「アメリカ合衆国は、そして今日ではいかなる国民国家も、帝国主義的なプロジェクトの中心となることはできない。帝国主義は終わったのだ。近代のヨーロッパ国家のような方法で、世界のリーダーになれる国はもはや存在しない」(xiv)。

著者は米国が「帝国」で特権的な地位を占めていることは認める。しかしこの特権は、米国が近代のヨーロッパの帝国主義の国家と類似しているからではなく、異なっているから生まれたのだというのである。それは米国の憲法が帝国主義ではなく、「帝国」としての特徴をもっていることからも明らかだという。米国の建国の祖たちは、大西洋の彼方に、国境が開かれた新しい「帝国」を建国することを夢見ていた。そして権力はネットワークのうちに効果的に分散されていた。書かれた憲法においても、その憲法に基づいた国家体制においても、米国はますまず成熟し、地球的な規模でそのほんらいの姿を現し始めたというのがハート/ネグリの主張だ。