デカルトの斜視
(中山 元)


 デカルトが斜視だったかどうかは知らない。サルトルの「やぶにらみ」は有名だが、本人にとっては斜視でもきちんと像はあっているのだろう。しかしたとえばぼくがやぶにらみをしてみたら、像はぼけるだろう。この斜視という比喩で西洋の哲学の問題を指摘したのがメルロ=ポンティだ。メルロ=ポンティは『見えるものと見えざるもの』の断片で、次のように書いている−−デカルトの存在論についての反省、西洋の存在論の「斜視性」(*1)。

 両目が普通にみえると仮定して、右目を覆ってみよう。すると急に世界が平板化して見える。次に覆いを左目に移してみよう。やはり世界は平たくみえる。片目でも事物は立体的にみえるが、両眼でみた時と、世界から生気が失われるような印象がある。メルロ=ポンティは、この単眼視は、それを両方合わせてみても、両眼でみる時とは異なることを指摘する(*2)。それは真の対話と、二つのモノローグが異なるようなものである。

 メルロ=ポンティは、「まなざす」ということは、両眼でありありとみることであり、事物を片目ずつでみることではないと考えた。しかし西洋の形而上学は、いつか物事を片目でみて、その片目の像を合わせて、それが事物の真の姿だと言い始めたのではないだろうか−−これがメルロ=ポンティがデカルトの「斜視」という言葉で考えていることだろう。

 デカルトは世界には精神と延長という二つの実体がある(少なくとも人間にはその二つの実体しか認識できない)と考えた(*3)。そして精神は延長をもたず、延長は精神をもたない。人間の身体は延長のカテゴリーに属するものであり、ここには心はない。人間の心は精神のカテゴリーに属するものであり、人間の身体には属さない。そして精神は考えるものであり、存在するものである。デカルトは人間においてこの二つのカテゴリーを統一することはできなかった。これが触れ合う松果腺という器官の存在を想定しただけである(*4)。人間が眼でみると、その印象がこの小さな腺に伝えられ、そこから人間の精神へと渡されると考えたのである(この松果腺という器官が、一部の動物では眼の役割をする器官であることは象徴的である。バタイユはこの器官が人間の頭蓋の中の眼であり、人間の頭蓋が破裂して天を向いた眼が開けることを夢想していた(*5))。

 ここに思考する主体と、思考によって認識される客体という近代哲学の基本的な思考の枠組みが成立する。現代の科学的な思考も、この思考する主体と認識される客体という構図に依拠していることは、西洋医学と呼ばれる学に象徴的に示されている。この医学にとっては人間の身体は「もの」の世界に属するものであり、人間の思惟とは独立したシステムとして捉えられている。病とはこのシステムの欠陥または故障であり、人間の精神とは独立した形でこれを処置する必要があると考えられているのである。

 このいわゆる主観と客観の二元論的な世界像のゆきずまりはかなり早い時期から認識されているものの、わたしたちはまだこれから完全に脱却したわけではない。西洋の科学は、人間を認識する時に、片方では事物と同じ客体として認識し、次にそこに精神を重ね合わせる。これは人間を認識するのに、まず片目で事物をみて、次に別の眼で精神をみて、この二つの単眼視を重ね合わせるという方法をしていることになる。メルロ=ポンティは、西洋の科学とその背景にある存在論は、「斜視」のようなものだと批判するのである。

 それでは「斜視」でなく世界を両眼で焦点を合わせてしっかりと「まなざす」にはどうすればよいか−−それが『知覚の現象学』以来のメルロ=ポンティの課題である。『見えるものと見えないもの』の頃のメルロ=ポンティはこれを「間身体性」という概念で考えるのだが、これはベルクソンの心身論の概念を引き継いだものと考えることができる。

 ベルクソンは、心身二元論を批判しながら、人間が身体と意識の二つの次元で構成された存在であるという見方は虚妄であると主張した。ベルクソンが特に批判の矛先を向けたのは、人間は脳で思考するという意識の局在論である。ベルクソンはこれを釘に掛けた衣服の例で批判する。コートを玄関のコートかけに掛けたとしよう。もしもコートかけの釘が抜けたとすると、コートは下に落ちるだろう。コートかけが揺れれば、衣服も揺れるだろう。釘がとがりすぎていれば、コートは破れるかもしれない(*6)

 だからといって、コートかけの細部にコートが対応しているとか、コートはコートかけと同じだという人はいないだろう。ベルクソンは、意識が脳にあるというのは、コートがコートかけにあるというようなものだと批判する。脳が失われれば、たしかに意識は失われる。しかし意識が脳と同一であると考える理由はないのである。

 メルロ=ポンティの間身体性の概念の基礎にあるのは、身体全体が思考し、意識するというベルクソンの着想だろう。メルロ=ポンティの間身体性とは、人間が客観を認識するためな必要な条件である。これが認識において直観を綜合する統一のような役割を果たすのである。

 カントは人間の認識の同一性が存在する場として、純粋統覚というものが必要だと考えていた(*7)。カントは、「わたしは考える」というデカルトのコギトが成立するためには、自己意識の統一性が必要だと考えたからである。そして認識が成立するためには、この自己意識の純粋な統一性が「超越論的な条件」として存在していなければならないと考えていた。カントはこの純粋統覚を措定しただけで、それについては深く考察しなかった。これが時間であることを明らかにしたのは、『カントと形而上学の問題』のハイデガーである(*8)。

 メルロ=ポンティはカントの間身体性は、カントのこの純粋統覚に相当するものであり、認識を可能にする条件のようなものとして考えられている。それが身体性を媒介に考えられている点では、フッサールのキネステーゼと似ている。ただし、メルロ=ポンティの間身体性の概念は、もっと言語的なものであることに注目する必要があるだろう。メルロ=ポンティは、人間がものを「みる」時には、すでにそこで認識が成立しているのであり、カントのように感性的な直観を悟性のカテゴリーで「総合」するという手続きは不要だと考えている。

 それはメルロ=ポンティは人間の認識は言語によって構造化されていると考えているからである。ラカンの構造主義的な概念を受け継いだ晩年のメルロ=ポンティは、視覚も認識も行動も、すべてが言語によって構造化されていることによって、両眼で自然をありありと「みる」ことができると考えていた。メルロ=ポンティにおいては言語は肉体と同じような役割を果たす。
  あたかも身体がおのれを感じながら世界を感じるように、[言葉は]他
  のさまざまな意味をおのれの網の中に引き寄せる自然な魔術を授けられ
  ているのである(*9)。
 しかしこの自然の魔術がどのようにして可能であるか、それがどのように機能するかは、メルロ=ポンティは語らない。それは解明すべきものであるよりも、人間がまず前提にすべき事実であり、それを認めることから始めるべきだと考えたのである。


(*1)メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』(Le visible et l'invisible:22,JT269)
(*2)同上(Le visible et l'invisible:219,JT:16)。
(*3)デカルト『哲学原理』8 節
(*4)デカルト『人間論』Descartes Oeuvre Lettres, Gallimard, p.846
(*5)バタイユ『眼球譚』
(*6)ベルクソン「心と身体」『ベルクソン』中央公論社、p.175
(*7)カント『純粋理性批判』B132
(*8)ハイデガー『カントと形而上学の問題』32節
(*9)メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』(Le visible et l'invisible:158.JT:192)