ミクロな権力とパノプティコン
フーコー論第二三章
(中山 元)



●権力の技術
 主体を、社会の期待するような主体として構築するためには、身体と知の両面での働きかけが必要となる。知として学んだものを身体に教え込み、身体の次元で学んだものが知として普遍化される必要がある。そのための一つの手段が試験であり、これは近代の特権的な真理の保証である。

 試験を受ける個人は、試験によって資格を付与され、等級を定められ、資格の否定という強制手段によって、処罰される。司法試験に合格した個人だけが弁護士という事業を営むことができるのであり、弁護士という資格にもとづく特権を享受することができる。そして弁護士の資格の内部において、合格年度による序列があり、この資格の求める基準に違反した行為をした場合には、除名という処罰の手段が用意されており、除名された個人は弁護士だけに与えられた特権を奪われるため、この基準に反した行動は避けるようになる。

 さらにこの資格を得た個人は、自分の享受する特権や自分に期待される行動規格にふさわしい行動をするようになるのは、ある意味で不可避なことであり、その個人の主体的な選択が、司法試験という手段によって制約され、あるいは生み出されるのである。その主体が自分で自由に行動していると感じていても、その自由な行動と選択の範囲自体がこの資格によって規定されているのであり、その主体の自由は、この資格によって形成されているとも言えるのである(その主体が、資格を失う行動を選ぶ自由が残されていることを否定するものではないが、その主体の選択肢自体が、この資格によって形成されているのであり、この資格をもたない人間の選択肢とは最初から異なるものである)。試験という「些細な技術」においては、「権力の儀式と実験の形式が、力の誇示と真理の確立が」集中しているのである(SP:188)。

 たとえば学校とは、「中断のない一種の試験装置」と化しているのであり、ここで学生や生徒は試験によって評価され、学ぶことを奨励され、そして最後に次の試験装置に入るための資格を与えられる。教師は、自分の教えることに従って学生を試験することにより、自分の知識を真理として学生に強制するのであり、教師の教えを尊重しない学生は、試験において厳しい評価を受けることになる。

 同時に教師の教えを習得した学生は、他の学生に対してそれを真理として主張することが許されるのであり、あるいは将来は自分の知識を他の人々に強制する特権を得るために、教師となる道を選ぶかもしれないのである。この真理と権力が収斂する構造は、近代の知と試験の悪しき構造に他ならない。そしてこの試験の構造は、試験のために準備する学生の生と知そのものを規定することになるのであり、学校という明示的な制度とは縁を切ったと考えている人がいれば、その人は近代の監視社会において、評価され、資格を与えられ、新たな試練へと立ち向かい、それを克服することに満足を感じる主体として形成されていることに気付かないのである。

 パノプティコンの最大の重点は、それが他の人に監視あるいは評価されなくても、自分で監視し、評価するということにあるのであり、社会の望む規格に従って自分で監視し、自分を評価する個人を作り上げることが、パノプティコンと近代の監視社会の最大の目的である。

●試験の技術の特徴
 この試験という技術の特徴について、フーコーは次の三つの点を指摘している。
(1)主体の可視化
 中世までの権力は、自分の力を誇示することに重要性を見いだしていたのであり、権力は自らの可視性を重視していた。権力が可視的であればあるほど、人々に対する拘束力はつよくなるのであり、どこにあるかわからない権力では、人々をおそれさせることができないのである。しかしカフカの『城』と『判決』の二つの小説が鮮やかに描いているように、近代においては権力は不可視であればあるほど、魅惑と権威を発揮しだすのであり、権力は隠れた威力となる。

 それとは逆に、支配の対象は可視性が高められ、絶えず見られていること、あるいは絶えず見られる可能性があることにおいて、人々は権力の要請に従って行動するようになるのである。その意味では、オーウェルの『一九八四年』のパノプティコン社会は、近代の試験社会の戯画である。

(2)アイデンティティの記録
 試験によって個人は、いわば内部から常時監視されるのであるが、同時に個人の発展段階が、試験の結果として記録文書に残される。病院においては、検査の結果の記録としてのカルテが、個人の病歴を記録されるために残され、監獄においては違反や病気の記録が、学校においては生徒の成績や出席の記録、クラブ活動の記録、生徒会での活動の記録などが詳細に残され、それが家庭に伝達されるとともに、つぎに試験装置に進学する際に、大きな威力を発揮する。

(3)個人性の確定
 試験によって個人は一つの事例となる。個人はもはや不特定の大衆の一人ではなく、具体的な性質をそなえた特定の個人となり、この個人性の記述が、権力による取り締まりと支配の契機となる。試験においては個人の差異が、いわば試験の結果という「ピン」によって紙の上に固定され、各人が固有の個別性において確定される。

●個人のアイデンティティ
 試験における個人が主体として確定され、記録され、個人の特性が記録されるという契機は、実は些細なものではなく、個人の識別としてのアイデンティティにかかわるものでもある。近代以前の社会においては、個人を識別するということは根本的な問題とはならなかった。これが重要な問題となり始めたのは、大都市の形成と社会のアトム化が進んだ近代社会になってからであり、社会が個人を管理するためには、個人のアイデンティティを識別することが重要な課題となったのである。

 たとえばフランスですべての成人男性の有権者のリストが作成されたのは一八四八年のことであり(ペロー編『私生活の歴史』4巻)、それまでは政府は個人については概略的なデータしか入手していなかった。現在ではフランス国民はだれもが身分証明書を携帯することを求められているが、一九世紀までは身分証明書の携帯を義務づけられていたのは、工場労働者、兵士、娼婦などだけであったという。

 このため、農村から出てきた人が他人になりすますのは、ごく簡単なことだったという。フランスにおいては国民のアイデンティティの証明のための強制措置は、犯罪者の特定から始まった。フランスでは七月王政が誕生した直後の一八三二年の法律で禁止されるまで、犯罪者の肩に焼きゴテで烙印を押して犯罪者を識別していた。この烙印による識別が禁止されるとともに、犯罪者の識別が重要な課題となった。そのために、警察で二つの手段が考案された。

 最初は一八三九年に発明された写真を使用して、犯罪者を識別する方法であった。フランス警察は、一八七六年から、犯罪者のファイルに写真を添付し始めた。写真は個人のアイデンティティの確立において重要な機能を果たした。写真が流行したのは、それまでは貴族の特権であった肖像画が、安価にかつ大量に作成できるという魅力の力が大きかったという。

 写真は「自分が自分自身の映像となる永遠の瞬間」(サルトル『言葉』)を切り取り、家族のアルバムに固定するものであった。「婚礼衣装の映像で確認されない結婚はなく、生まれた赤子がレンズの前に連れてゆかれない誕生はない」(ヴァレリー)のだった。

 しかし写真は、このように幼児からの個人のアイデンティティを確認する「戸籍の挿画」であり、「経験の帳簿」(ヴァレリー)であるだけではなかった。写真はフランス警察の書類に貼られて犯罪者を特定する手段となり、現代の身分証明書において本人を確認する「身元確認」の手段となった。駅に貼られている指名手配の写真が示すように、写真は権力による支配と取り締まりの重要な手段となったのである。

 これについては早い時期から都市の考古学的な分析を行っていたベンヤミンが、人間の身元の同定の歴史では、「写真の発明は新紀元を開いた。それは犯罪学にとって、印刷術の発明に劣らぬ重要な意味をもった」と指摘している。写真は「人間の匿名性に対するさまざまな侵略の中でも、もっとも痛烈」な侵略であり、写真によって人間が特定できるようになって初めて、探偵小説というものが誕生したとベンヤミンは指摘している。

 しかし手配写真の例からも明らかなように、写真は鬘をかぶっただけでも、識別が不可能になることがある。眼鏡や髭によって、まったく別人のように見えることがあるのである。このためにフランスの警察は、まったく別の方式を開発する必要を感じた。これがアルフォンス・ベルティヨンの人体測定術である。

 イタリアの犯罪人類学の伝統にあるベルティヨンは、人間の身体、特に頭蓋骨の形に、人間を識別する「カインの印」が刻み込まれていると考え、これを詳細に記録して、犯罪者を特定できるようになった。フランスでは第一次世界大戦の直前には、ベルティヨンの人体測定術を応用した身分証明書が登場し、一九一二年の法律では、放浪の民や行商人に、「人体測定術による身分証明書」を所持することを義務づけている。この証明書には、姓名、生年月日、身体の顕著な特徴を明記し、写真と指紋を添付することになっていた。

 この方式は現在では指紋による個人の特定に代わっており、日本でも現在なお外国人は指紋の押捺を義務づけられているのであるが、このベルティヨンの方式か特に注目されるのは、それが頭蓋の特徴において、人間の身元の確定ができるはずだと考えることで、ベルティヨンの父親のルイ=アドルフが属していた犯罪人類学派の影響を顕著に示していることである。

●パノプティコン
 この試験の原理を建築的に示したのが、ベンサムの考案したパノプティコン(一望監視装置)である。この装置は、円環状に配置した建物の中心に監視塔を建て、この監視塔から周囲の建物のすべての部屋が監視できるようにしたものである。重要なのは、この装置では、中心の監視塔につねに監視者が常駐している必要がないことであり、監視される可能性があることで、監視される者の心の内側に、二重の監視者が生まれることである。

 この監視されるものの内部の監視者という構造は、カントが『人倫の形而上学』で提示したヌーメノン人間とフェノメノン人間の二重性の構造と同一のものであり、社会契約によって形成された社会と個人の関係、道徳的な行動すべきかどうかを考える個人と良心の関係と、同一の構造を備えていることである。

 フーコーはこの装置は、「権力を自動的なものとし、権力を没個人化する」ものであるため、重要な装置であると、次のように指摘している。
  その権力の原理は、ある人格のうちには存在せず、身体、表面、光、ま
  なざしなどを慎重に配置することのうちに、内的なメカニズムによって
  個人が掌握される関係が生み出される仕掛けのうちにある。…パノプテ
  ィコンとは、いとも多様な欲望から出発して、権力の同質な効果を生み
  だす絶妙な機械である(SP:203-4)。

 このパノプティコンは、単に監視だけを目的とする装置ではなく、監視社会の中心的な機能である試験を行う場でもある。影響する他の条件を排除して、人間がある条件のもとで何を学びうるかを試すための特権的な場である。この「残酷さと学識に満ちた檻」は、監視社会においてさまざまな用途に役立てることができる。

 監獄において囚人の素行を改めさせるために、病院において患者を看護するために、学校において生徒を教育するために、精神病院において狂人を見張るために、工場において労働者を監視するために最適な装置となるのであり、フーコーはこの装置が現代の社会の基本的なモデルとなっていると指摘している。この装置は、支配の対象となる者の身体の表面に注がれるまなざし(の可能性)によって、被支配者の精神と身体を拘束すること、そしてその道徳性を向上させ、全体性を改善することを目的とするものであり、近代の新しい「政治解剖学」の基本原理となるものである。

 この新しい原理は、それまでの外部的な管理よりもさらに厳しい社会の内部のによる統御である。たとえばキリスト教の学校では、生徒の家庭環境や生活様式、資産、信仰心までを調べ上げる。生徒が欠席したり、素行が悪いと、両親に問い質してキリスト教のカテキズムや祈りを知っているかどうか、子供の悪習を根絶する決心をしているかどうか、ベッドの数がいくつあって、夜間にどのようにわけて配置しているかなどを確認するという。場合によっては家庭訪問の締めくくりとして、施しをしたり、宗教画を送ったり、予備のベッドを与えたりするのである(SP:213-4)。

 イギリスではこうした生活面での取り締まりを担当したのは、主として民間の宗教的な私的団体である。イギリスではフランス革命は道徳的な退廃のために発生したと考え、これを教訓として、福音主義が中産階級の多くの人々の生活の隅々にまで行き渡るようになり、人々に生き方を変えるように訴えた。「神は眼を見開き、耳をそばだてている。このすべてを見る眼とすべてをきいている耳を、心の中の良心とする」(ペロー)ことが求められたのである。信者はこの心の中の良心のを光源とする光に照らして、自己この行動を律することを認められたのである。

 このような生活の隅々にまで行き渡るは、市民を対象として無限の取り締まりを行うようになり、政治権力が無限小になったのである。社会のもっとも小さな場所にまで眼を届かせ、機能するこの無限に小さなミクロの権力は、もはやそれまでの威厳のある国家権力と同じレベルで考えることはできない。

●ミクロな権力
 これはごく微細なレベルで機能するだけに、意識下のレベルでおいて機能し、社会の中の主体を構築していく役割を果たすものである。さらにこうしたミクロな権力が発生する条件としては、社会がみずからの成員に対して鋭い感受性を抱くようになったことが考えられる。パノプティコンとは、この社会の感受性の象徴であり、監視する権利や国家権力の象徴なのではない。この微細な権力は、社会の外部から国家などの政治的な権力機構の働きなのではなく、社会が自らの身体を維持し、運営するために必要とした権力であると考えることができる。

 そしてこうしたミクロの権力として、国家の政治権力と社会の大衆的な権力の両方をつなぐ環となっているのである。このミクロの権力に、現代社会の政治的な問題が集約されていると考えることができる。現代の政治学は、政党や政治家レベルでの考察だけでなく、こうした大衆的なレベルでの権力の行使を分析を行わなければならない。

 ベンサムのパノプティコンは、中央の監視塔にいるの監視者ではなく、そこを訪問した一般の人間でも、その家族でも、誰でもよいことを明らかにしていた。監視者という実体が問題なのではなく、監視される可能性が生む意識の構造だけが重要なのである。その意味では、われわれが社会を構成するとともに、われわれは社会によって構成されているのであり、われわれは監視される者であると同時に、他者を監視する可能性のある者である。

 この二つの可能性がつねに同時に存在することによって、われわれの意識の内部に、この監視する者のが埋め込まれるのである。外部の権力がわれわれを監視するのではなく、われわれは監視される者であると同時に監視する者であることによって、内部に監視する権力を主要するのである。この近代の社会秩序においては、「個人は力と身体にかんする一つの戦術にもとづき、注意深く作り上げられている」のである(SP:218-9)。

 このパノプティコンの世界は、歴史的にはブルジョワジーが政治的な支配権力を掌握して時代において、自由と啓蒙の理性の側面の裏側を形成するものであり、この輝かしき啓蒙の理念の「闇の面」であった。ヘーゲルが『法の哲学』で展開したように、法の基盤となる契約は、相互に承認しあう二人の人格同士の関係を基礎とするものであったが、この理念の基盤となるのは、身体に対する調教であり、「自由を発見した啓蒙は、調教も考案した」(SP:224)のである。

 自由な社会が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、監視する大きなを魂の内部に埋め込まれた主体であるという逆説のもつ意味は大きい。こうした社会では、「監獄が工場や兵舎や病院に似通い、こうしたすべてが監獄に似通っても、なんら不思議ではない」(SP,JT:229)と言える。

●監獄制度の機能
 監禁という制度は新しいものではない。フランスの鉄仮面の伝説にみられるように、特に貴族階級においては、好ましくない人物を社会の目にさらさないための精密な機構が確保されていた。フーコーは後に、封印状という形で、この機構がフランスの古典主義時代の社会で、非常に重要な役割を果たしていたことを明らかにする。

 家族の名誉を守るためにこの封印状が利用され、拘禁される人物には抗弁も弁論の余地もなかったことは、サド公爵の例に明らかである。しかしフーコーは、一八世紀と一九世紀の交に登場した監獄という制度が、それまでの監禁という制度とまったく異なった特色をそなえていたことを指摘している。
 監獄と監禁制度の違いを考える前に、まず両方の制度の共通性を考えてみよう。まず両方の制度では拘禁された人間は自由を奪われる。この自由の喪失は、すべての人にとって同じように機能するのであり、望むことを行えないという制約が、罰として大きな意味をもつのは明らかである。そして自由を奪う期間を調整することで、処罰の大きさを計量化し、比較可能にし、素行の改善度に照らして拘禁の期間を短縮したり、延長したりすることができる。

 しかしこうした共通性にもかかわらず、監獄制度には監禁とは異なる大きな特徴が存在する。それは、監獄においては自由を剥奪すると同時に、拘禁された人物をその社会に適合した主体に改造するための機構がそなわっているのである。単に社会の不適合者を社会の外部に(あるいは内部の外部に)排除するだけではなく、その人間が施設から解放された際に、社会に適合した人物になるように、矯正を加えることが最初から課題となっているのである。

 ナポレオン法典の作成に関与したフランスの法律家トレヤールは、次のように述べている。
   法が宣告した拘禁刑の目的は、主として個人を矯正することにある。
  個人を善良にすること、多かれ少なかれ長期間にわたる試練を通じて、
  個人がもはや社会に迷惑をかけずに、社会に復帰できるようにする準備
  をさせることである…。個人を善良にするもっとも確実な手段は、労働
  と教育である」(SP:236)。

 このような個人の矯正を目的として手段であるはずの監獄は、しかし最初から問題を孕んでいた。監獄がその本来の目的を満たせないことが明らかであり、監獄の誕生とともに、監獄改良運動が誕生するのである。そしてこうした改良運動と、監獄という制度に対する批判にもかかわらず、監獄は現在でも同じ形で機能していることを考えると、この監獄改良運動が失敗に終わったと考えるよりも、この運動は、その公表された目的とは異なる機能を果たしたのではないかと考えたくなる。

 フーコーはこうした監獄改良運動は、監獄への偶発的な批判ではなく、「むしろ監獄の恒常的な使用法であり、その機能そのものとなっていた」と指摘している(SP:236)。この微妙な問題を検討するために、まず監禁組織としての監獄という装置の用いる原理を検討しよう。

●監獄の原理
 監獄では拘禁と矯正のために、次のような原理を利用している。
(1)孤立化の原理
 まず受刑者は外部から孤立させられ、外部との連絡を絶たれるだけではなく、内部での受刑者同士の連絡も最大限に阻止される。監獄が、内部で知り合った犯罪者たちの連帯を作り出すことがあってはならないためである。さらに孤独になることによって、受刑者は自己の犯罪を反省し、後悔の念を抱くようになることが期待されている。

 そして孤立した受刑者は、監獄の所長や教師や司祭の働きかけの最適な対象となる。「孤立状態こそが、被拘禁者と彼に行使される原理との対話を確保するのである」。この状態は、イギリスの改革派の教会、たとえばクエーカー教徒が考案した監獄に特に顕著にみられるものであり、クエーカー教の創設者であるフォックスにとっては、監獄は犯罪者が自己の良心と向き合う場であり、内側から彼の良心を照らしてくるものと直面するための特権的な場であった。

 フォックスは「それぞれの人間(囚人)は神の光で照らしだされ、その光がそれぞれの人間を通して輝くのをわたしはみた」と語っている。これは監獄において、前記の福音主義の神の眼と同じような道徳的なが、囚人を調教し、道徳的な主体に作り変えるために不可欠であることを示すものである。

(2)規則的な労働
 受刑者は孤立させられるだけでなく、規則的に労働をしいられることによって、移り気な人間から労働の喜びに目覚める人間となることが期待されている。これは監禁施設で強制される身体的なレベルでの調教が、囚人の魂に影響を及ぼすことが期待されていることを示すものである。

 失業率が高い中にあって、受刑者が労働し、それによって安価な製品が市場に出回ることについては、社会からの強い反感があったが、獄中の労働は、「産業社会の一般的な規格にもとづいて、機械化された個人を生み出す」(SP:245)ことにおいて、経済的な意味をもつものと考えられていた。労働は監獄において一種の宗教の役割を果たすことが期待されたのである。

 これまで「自分の物と他人の物の区別を知らなかった悪人たち」に、「額に汗を流してかせいだ財産の感覚」を与え、「従順な働き手」に変えるための機構と考えられている。監獄での労働は、生産のための手段ではなく、非社会的な個人を改造するための手段と考えられたのである。そしてここにおいては、社会に役立つ個人を作りだすことよりも、個人の服従という権力関係を作りだすことの方が重視されていた。

(3)矯正の動機づけとしての監禁期間の調整
 次にこの監禁という方法は、受刑者が監獄の中での権力関係に従順に服従する主体となった場合には投獄期間を短縮し、あるいは逆に投獄期間の延長という罰を与えることができる柔軟な方法であり、これによって主体の服従の動機づけを行うことができる。

●監禁と人間科学
 監禁および調教/規律の問題と関連して、フーコーはこれまでの人間科学批判をさらに鋭敏にする。調教/規律を意味するdisciplinesは同時に学問分野を表現する用語でもあるが、フーコーは人間に関する学問である心理学や精神病理学など、psycheという言葉を語源とする学問分野が誕生したのは、魂(プシケー)という「柔らかい脳繊維」の上に「強固な帝国」を築くことによって、身体の叛乱を未然に防止することを目的とする身体の「政治解剖学」(SP105)の登場と同じ時期であり、同じ戦略に従ったものだと指摘している。
  監獄から人間科学が誕生したというわけではない。しかし人間科学が形
  成されて、認識論において、周知の大きな変動を生じることが可能であ
  った理由は、こうした人間科学をもたらしたのが、権力についての固有
  で新たな様式だからである。つまり身体のある種の政治学、人間の蓄積
  を従順で有用なものとするために一つの方法である(SP,312)。

 司法においては、裁判官が司法の主人ではなくなり、さまざまな人間科学が判事の代わりに登場する。精神病理学の専門家が被告の精神の健全さと有責性を鑑定するために法廷に登場し、監獄では看守、教育者、司祭が判事の代わりをつとめる。「われわれは専門家=判事、医者=判事、教育者=判事、ソーシャル・ワーカー=判事の社会に生きている。だれもが正常性normatifという普遍性を君臨させ、それぞれの持ち場において、身体、身振り、行動、振る舞い、適性、成績をこの正常性に服させるのである」(SP:311)。

 そして監獄という装置が最初から批判されながら、永続しているのは、人間科学がこのように監獄という装置において機能し、この装置の内部で人間の同定と統計学的な調査を継続し、学問的なデータを収集し続けていることにあると、フーコーは指摘している。

 この監獄という監禁施設を中心にして、現代社会は監禁都市を形成する。フーコーはフーリエ派の新聞記事に着想を得ながら、この監禁都市の地勢学を描いている。通常の都市とは異なり、この都市の中心にあるのは都市の権力中枢ではない。この都市を構成するのは、国王の身体とそこから発生する権力というモデルではなく、障壁、空間、制度、規則、言語表現など、さまざまな構成要素からなる多様なネットワークである。

 このネットワークにおいては監獄が中心を占めているが、それはこれが監禁を行う装置であるという意味よりも、工場、病院、学校、兵舎、監禁施設などから構成される現代の監獄列島において、監獄がモデルとしての役割を果たしているからである。「監獄は孤立しているのではなく、他の一連の監禁装置のすべてとつながっている」のである(SP:307)。

   この監禁都市の中心部に集められた人々こそは、複合的な権力関
  係の結果であり、同時に道具である。これは多様な監禁装置によっ
  て強制的に服従させられた身体であり、力であり、こうした戦略それ自
  体の構成要素であるディスクールにとっての客体である。こうした人々
  の中に、戦いのとどろきを聞かねばならない(SP:308)。

 なおこのフーコー論は、中山 元『フーコー入門』(ちくま新書、一九九六年六月刊行)の土台となった原稿の一部で、全体で四〇章程度の長いものとなる予定です。ここに掲載した文章の一部は、上記の書物と重複するところがあります。この文章を掲載することを許可された筑摩書房に感謝いたします。

Copyright 1998 by Gen Nakayama