●0-100 ○27/29 洗礼者ヨハネの宣教 ○c.30 キリストの死と復活 ○34/36 パウロの回心 ○36 ステファノの殉教 ○43/44 ヨハネの兄弟ヤコブの殉教 ○49 エルサレム使徒会議 ○51/52 パウロ、コリントスに行く ○58 パウロ、エルサレムで逮捕される ○62 「主の兄弟」ヤコブ、石殺しにされる ○64 第一回迫害 ○70 ティトゥス、即位前にエルサレムを占領 ○c.95 □ローマのクレメンス『コリント人への手紙』 ●101-200 ○c.110 □アンティオケアのイグナティオスの手紙 ○161/169 スミュルナのポリカルポスの殉教 ○163/167 ユスティノス、ローマで殉教 ○c.170 モンタノス派の出現 ○175/177 リヨンの人々の殉教 エイレナイオス、リヨンの司教に就任 ○179 エデッサ王のアブガル九世、君主としてはじめてキリスト教徒に ○185 オリゲネス誕生 ○189/190 教皇ヴィクトル一世のもとでの復活祭論争 ○c.193 クレメンス、アレクサンドレイアで教える ○197 □テルトゥリアヌスの『護教論』 セウェルス勅令、ユダヤ教徒とキリスト教徒の改宗勧誘を禁止 ●201-300 ○203 □ヒッポリュトス『ダニエル書注解』 ○217-222 教皇カリストゥス、「悔悛」にかんする改革 サベリオス説を断罪 ヒッポリュトスの離教 ○231 オリゲネス、司祭に叙階 ○235 教皇ポンティアヌスとヒッポリュトス、サルディニアに配流 ○242 マニ、布教をはじめる ○244 プロティノス、ローマに滞在し始める ○247/248 ディオニュシオス、アレクサンドレイアの司教に就任 ○249 キュプリアヌス、カルタゴの司教就任 ○249/250 テキウス帝の迫害令 教皇ファビアヌスの殉教 ○251 教皇コルネリアウスの即位 ローマ教会、ノウァティウス派の離教にかんする会議 ○253 オリゲネス没 ○256 カルタゴ教会会議 ガリフヌス帝の寛容令 ○264/265 アレクサンドレイアのディオニュシオス没 ○268 アンティオケア教会会議 サモスタのパウロスの断罪 ○270 プロティノス没 ○276/277 アルメニア王ティリダテスの回心 ○297 マニ教に対する勅令 ●301-400 ○303/304 ディオクレアヌス帝の迫害四勅令 ○311 ガレリウス帝の寛容令 ○312 ドナトゥス派の離教が始まる ○314 アルル教会会議 ○318 異教徒の私的供犠の禁止 ○323 アレクサンドレイア教会会議、アレイオスを断罪 聖パコミオス、タベンネシ修道院を創設 ○325 ニカイアで初の普遍公会議 ○328 アタナシオス、アレクサンドレイアの司教に就任 ○330 マカリオス、エジプトのスケーティスに滞在 ○335 テュル・エルサレム教会会議、アタナシオスを罷免 ○336 アレイオス没 ○339 ササン朝ペルシア帝国、キリスト教迫害 ○341 アンティオキア教会会議(献堂式会議) ウルフィラ、ゴーと俗の司教(アレテオス派)になる ○342 サルディカの帝国教会会議 ○346 聖パコミンス没 ○347 コンスタンス帝、ドナトゥス派を迫害 ○350 ヒラリウス、ポワティエの司教に就任 ○356 聖アントニオス没 アタナシオス配流 ○357/359 シルミウムの諸教会会議 ○361 全国的な大赦令 ○362 アレクサンドレイアで信教支持者の教会会議 ○365 アルメニア、第一回の国内教会会議 ○366 教皇ダマスス一世即位 ○367 聖ヒラリウス没 ○370 聖マルティヌス、トゥールの司教に就任 カッパドキアの聖パシレイオス、カイサレイアの司教に就任 ○371 ニュッサのグレゴリオス、司教に就任 カリアリのルキフェルス没 ○372 ナジアンゾスのグレゴリウス、司教に就任 ○373 アレクサンドレイアのアタナシオス没 アンキュラのマルケロス没 ○374 シナイ半島のフィランに司教区創設 アンブロシウス、ミラノの司教に就任 ガリアのヴァランス教会会議 ○375 聖ヒエロニムス、砂漠に隠遁 プリスキリアヌス説が行われる ○376 シルミウムのフォティノス没 ○377 ローマ教会、アポリナリスを断罪 ○379 聖パシレイオス没 ティオケイア教会会議 ○380 テオドシウス帝のアレテオス派禁令 サラゴサのカエサルアウグスタの教会会議。プリスキリアヌス説に対処 ○381 コンスタンテタィノポリスで第二回普遍公会議 ○382 エウアグリオス・ポンティコス、スケーティスに滞在 ○383 ゴート族に宣教したウルフィラ没 ○384 教皇ダマスス没、シリキウス継承 ○386 ローマ教会会議 聖アウグスティヌスの回心 ○389 聖ヒエロニムス、ベツレヘムに滞在 ○390 ナジアンゾスのグレゴリウス没 ○391 テオドシウス帝の異教禁令 ○392 モプスエスティアのテオドロス、司教に就任 ○394 ニュッサのグレゴリウス没 ○395 アウグスティヌス、ヒッポの司教に就任 ○397 カルタゴ教会会議 聖アンブロシウス没 ○398 ヨハンネス・クリュソストモス、コンスタンティノポリスの司教に就任 ○399 ペルシアのキリスト教徒、信仰の自由を認められる エウアグリオス・ポンティコス没 ○400 聖ホノラトゥス、レランス修道院を創設 □アウグスティヌス『告白』 ●401-500 ○401 トレド教会会議 ○407 聖ヨアンネス・クリュソストモス没 ○410 セレウケイア教会会議 アクイレイアのルアィヌス没 ○411 カルタゴ教会会議、ペラギウス断罪 ○420 ペルシアのキリスト教徒迫害 ○427 ホノラトゥス、アルルの司教に就任 ○430 アウグスティヌス没 ○431 エフェソスで第三回普遍公会議、ネストリオス断罪 ○432 教皇パトリキウスの司牧活動始まる ○440 大教皇レオ一世即位 ○444 アレクサンドレイアのキュリコス没 ○448 エウテュケス、コンスタンティノポリスで断罪 ○449 エフェソスの「盗賊会議」 ○450 ネストリオス、亡命先で没 リヨンの聖エウケリウス没 ○451 カルケドンで第四回普遍公会議、単性説派に対処 ○461 聖パトリキウス没 ○478 ヴァンダル族、カトリック教徒迫害 ○482 □ゼノン・イサウリクス『ヘノーティコン(一致令)』 ○484 シドニウス・アポリナリス没 アカキオス離教 ○486 セレウケイア教会会議 ペルシア教会、公式にネストリオス派になる。 ○490 聖アウィトゥス、ヴィエンヌの司教に就任 ○491 アルメニア教会、単性説に ○498 教皇シュンマクス即位 ラウレンティウス、対立教皇となる ○c.500 クローヴィス受洗 ●501-600 ○503 聖カエサリウス、アルルの司教に就任 ○516 ブルグンド族、カトリックに回収 ○518 アンティオキアの司教セウェルス、ユスティヌスにより罷免 ウィエンヌの聖アウィトゥス没 ○519 アカキオスの離教解決 ○524 ボエティウス没 ○526 教皇ヨハネス一世獄死 ○527 トレドの教会会議 ○529 第二回オランジュ教会会議 聖ベネディクトゥス、モンテ・カッシーノに滞在 ○532 アンティオケイアのセウェルス、コンスタンティノポリスに滞在 ○533 アフリカのルスペのフルゲンティウス没 ○535 教皇アガペトゥス一世即位 単性説派、ヌビアで宣教に成功 ○537 教皇ヴィギリウス即位 コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂の献堂式 ○538 トゥールのゴレグリウス誕生 アンティオキアのセウェルス没 ○540 □聖ベネディクトゥスの「戒律」 ○542 聖カエサリウス没 ○544 ユスティニアヌス帝、「三章論」禁令 ○547 ユスティニアヌス帝、教皇ヴィギリウスを拉致 ○553 第五回普遍公会議(コンスタンティノポリス、二回目) ○556 教皇ペラギウス一世即位 ○568 西ゴート王レオヴィギルド、キリスト教迫害 ○570 単性説、イエメンに広まる マホメット誕生 ○576 パリの司教性ゲルマヌス没 ○577 ランゴバルド族、モンテ・カッシーノを荒らす ○580 カッシオドルス没 ○587 西ゴート王レエレド、アレイオス説を捨てる ○589 第三回トレド教会会議 ○590 大教皇グレゴリウス一世即位 聖コルンバヌス、ガリア到着 ○597 聖グレゴリウス、アングル族居住地に宣教師を派遣 ○598 ケント王エセルバートの改宗 ●601-700 ○602 ウェナンティウス・フォルトゥナトス没 ○604 大教皇グレゴリウス没 カンダベリのアウグスティヌス没 ○615 聖コルンバヌス没 ○632 聖アイダン、ノーサンブリア到着 ○638 ヘラクリウス帝、単意説を支持する勅令『エクテシス』発布 ○649 教皇マルティヌス一世治下のラテラノ教会会議、単意説を排斥 ○653 教皇マルティヌス、ビザンティン皇帝により投獄 ○654 マルティヌス没 ○662 証聖者聖マクシモス没 ○663 ホイットビー教会会議 ○669-690 聖テオドロス、カンタベリーの司教在任 ○c.680 聖ボニファティウス誕生 ○680-681 コンスタンティノポリス公会議(第六回普遍公会議)、単意説を排斥 ○690 聖ベルディクト・ビスコップ没 聖ウィリブロルド、ユトレヒトの大司教に就任 ○692 コンスタンティノポリス教会会議 ●701-800 ○715-731 教皇グレゴリウス二世の治世 ○723 聖ボニファキウス、教皇により司教に任命される ○726-730 皇帝レオ三世、聖画像禁令 ○731-741 教皇グレゴリウス三世の治世 ○732 皇帝レオ三世の命令により、カラブリア、シチリア、イリュリクムがローマ教会の裁治権下から離れる ○735 聖ベーダ・ウェネラビリス没 ○754 教皇座にピピン贈与 ○772-795 教皇トバリアヌス一世の治世 ○787 ニカイアで第七回普遍公会議、聖画像禁令を排斥 ●801-900 ○804 アルクイン没 ○817 アーヘンの大修道院長会議 ○826 聖アンスガルの第一回スカンジナビア宣教 ○843 コンスタンティノポリス教会会議、聖画像破壊に終止符 ○845-882 ランス大司教ハンクマル在職期 ○846 イスラム海賊、ローマの聖ペトロ大聖堂略奪 ○847 教皇レオ四世、「キアィタス・レオニナ(新都)」を城壁で囲む ○c.850 教令偽書出現 ○858-867 教皇ニコラウス一世の治世 総大主教フォラティオスの第一回在職期 ○863 コンスタンティノス(キュリロス)とメトディオスのモラビア宣教 ○865 ブルガル族、キリスト教(ギリシア正教)を受け入れる ○867-868 フォティオスの離教 ○867-874 セルビア人、ギリシア正教に改宗 ○869 聖キュリロス、ローマで死去 ○869-870 コンスタンティノポリスで第八回普遍公会議 ○879-880 フォティオス主催の教会会議、第八回普遍公会議の決定を否認 ○882 ヒンマルク没 ●901-1000 ○909 クリュニュー修道院創設 ○927-941 クリュニュー修道院長オドの時代 ○940 ドゥンスタン、グラストンベリ修道院の院長に ○954-994 クリュニュー修道院長マヨルスの時代 ○988-989 ルス族、ギリシア正教に改宗 ○994-1049 クリュニュー修道院長オディロの時代 ○999-1003 教皇シルヴェステル二世の治世 ●1001-1100 ○1007-1029 シャルトル司教フルベルトゥスの在職期間 ○1096 ハインリヒ三世、教皇職の改革 ○1049-1054 教皇レオ九世の治世 ○1049-1109 クリュニュー修道院長フーゴの時代 ○1049 レオ九世の治下でのランス教会会議 ○1054 東西教会の分離 ○1059 教皇選挙教令 ○1062-1074 キエフの洞窟修道院テオドシウスの時代 ○1073-1085 教皇グレゴリウス七世の治世 ○1076 ウォルムス会議、グレゴリウスを「廃位」。グレゴリウス、ハインリヒを破門 ○1077 カノッサ事件 ○1080 グレゴリウス七世、ハインリヒを最終的に破門、罷免 ○1084 ロベール・ギスカール、ローマを略奪 聖ブルーノ、グランド・シャルトルーズ修道院の創設 ○1088-1099 教皇ウルバヌス二世の治世 ○1093-1109 カンタベリー大司教アンセルムスの在職期 ○1095 ウルバヌス二世、クレルモンで十字軍を勧説 ○1095-1099 第一回十字軍 ○1098 シトー会創設 ○1099 十字軍、エルサレムを占領し、王国を建設 ●1101-1200 ○1111 教皇パスリカス、ハインリヒ五世に世俗叙任を認める ○1115-1153 クレルヴォーの聖ベルナルドゥスの修道院長在職期 ○1119 教皇、「愛の憲章」を認可 ○1120 アベラルドゥス、ソワッソン教会会議で断罪される ○1122 ウォルムス協定 ○1123 第九回普遍公会議(第一回ラテラノ公会議) ○1139 第十回普遍公会議(第二回ラテラノ公会議) ○1140 アベラルドゥス、サンス教会会議で断罪される ○c.1141 □グラティアヌス『教令集』 ○1142 アベラルドゥス没 ○1146-1148 第二回十字軍 ○1151 サンドニの修道院長シュジェ没 ○1156 ペトルス・ウェネラビリス没 ○c.1159 □ペトルス・ロンバルドゥス『命題集』 ○1159-1181 教皇アレクサンデル三世の治世 ○c.1164 ペトルス・ロンバルドゥス没 ○1170 ペトルス・ウァルデス、説教をはじめる カンタベリー大司教のトマス・ベケットの暗殺 ○1170-1221 聖ドミニクスの生涯 ○1179 第一一回普遍公会議(第三回ラテラノ公会議) ○1181-1226 アッシジの聖フランチェスコの生涯 1189-1226 第三回十字軍 ○1190 ドイツ騎士修道院の創設 ○1198-1216 教皇イノケンティウス三世の治世 ●1201-1300 ○1201-1204 第四回十字軍 ○1202 フィオーレのアヨキム没 ○1210 イノケンティウス三世、口頭で聖フランチェスコに修道会活動を認可 ○1215 第一二回普遍公会議(第四回ラテラノ公会議) ○1216 教皇ホノリウス三世、ドミニコ会の創設を認可 ○1219 第五回十字軍 セルビア自立大司教座聖堂として聖サバ教会献堂 ○1221 聖ドミニクス没 ○1231 グレゴリウス九世、回勅『パレンス・スキエンティア』をパリ大学に与える ○1233 グレゴリウス九世、異端審問制度を創設 ○1245 第一三回普遍公会議(第一回リヨン公会議)、フリードリヒ二世の廃位を決定 作成:中山 元 (c)2004 ご意見はポリロゴス編集部までどうぞ Back to POLYLOGOS |