アウグスティヌスまでの教父と著作

なお以下ではとくに、『中世思想原典集成』のそれぞれの巻の解説、小高毅編『原典古代キリスト教思想史』の解説、『キリスト教大事典』教文館などを参考にしている。


初期ギリシア教父

●2世紀
イグナティオス
『イグナティオの手紙』(115c)
イグナティオスはアンティオケイアの第二代の司教。ローマに送られて処刑される旅行の間に、数通の手紙を残した。107/117年にローマで自ら望んで殉教。書簡は当時の教会の状況や制度を知るための貴重な手掛かりとなる。邦訳は八木誠一訳で『使徒教父文書』講談社、一九九八年、G・ネラン+川添利秋訳『アンチオケのイグナチオ書簡』みすず書房、一九六〇年、ニコロ・タッサン訳『古代教会の声』聖母の騎士社、一九九三年、A・コルベジエ+渡辺高明編訳『アンティオキアのイグナチオ−−七つの手紙とその足跡』風響社
一九九四年がある。

Ignatius of Antioch [SAINT]
  - Epistle to the Ephesians
  - Epistle to the Magnesians
  - Epistle to the Trallians
  - Epistle to the Romans
  - Epistle to the Philadelphians
  - Epistle to the Smyraeans
  - Epistle to Polycarp
  - The Martyrdom of Ignatius
○バルナバの書簡(130c)
ユダヤ主義を攻撃した神学的な論文。旧約聖書の啓示は、ユダヤ教ではなく、キリスト教に向けられたものと主張し、比喩的に解釈する。「わたしは、あなたがたが理解できるように、できるだけ簡単に書いている」(5)というが、そのすぐあとで「わたしはあなたがたの愛の汚物である」と言っていることからもわかるように、奇怪な解釈が多く、おもしろい。耳の割礼、心の割礼についての解釈も興味深い。邦訳は佐竹明訳で『使徒教父文書』講談社、一九九八年所収。

○『ヘルマスの牧者』(140c)
黙示録的な書で、キリスト教の道徳の教科書として、洗礼志願者のために使われた。邦訳は、荒井献訳で『使徒教父文書』講談社、一九九八年所収。

○『一二使徒の教訓』(150c?)
ディダケーと略称される。一〜六章は聖書からとった基本的な道徳律を示し、洗礼志願者のテキストに使われた。七〜一〇章は水での洗礼の方法など、典礼についての説明であり、一一〜一五章は、訪れてくる預言者の判断や処遇など、教会法の規定を述べる。一六書は黙示録的な章。邦訳は佐竹明訳で『使徒教父文書』講談社、一九九八年所収、佐藤清太郎訳で『古代教会の声』聖母の騎士社、一九九三年所収、杉崎直子訳で『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年平凡社所収のものがある。

○アリストン
ペラ出身の弁証家で、『キリストに関するヤソンとパピスコスと対話』(140/70?)。キリスト者のヤソンが、メシアの予言がキリスト教によって成就したと、ユダヤ教徒のパピスコスを改宗させる物語。

○アリステイデス
アリステイデスはアテナイの哲学者で、キリスト教に改宗したらしい。『弁明(アポロギア)』はローマ皇帝アントニヌス・ピウスに献じた書物で、異教やユダヤ教の信仰を批判し、キリスト教の真理を弁証し、キリスト教的な生活の美しさを主張する。元素を崇拝する「野蛮人」、神々を崇拝するギリシア人、純粋な神観をもつが外的な祭儀にこだわるユダヤ人、真の神を信仰するキリスト教の四人種論が有名。

○ユスティノス
『弁証論』
『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(155/160)
ユスティノスは初期の護教家の代表的な人物で、パレスティナ生まれ。150年頃にローマでキリスト教的な哲学学校を開設したが、165年頃に殉教。二つの『弁証論』(150以降)では、ローマ帝国に対してキリスト教を弁護するために、キリスト教にかけられたさまざまな嫌疑を晴らそうとしている。とくに『第一弁明』の一〇章などの「ロゴスの種子」論が有名。キリストは完全な神的ロゴスであるが、キリスト教が受肉する以前にも、すべての人間は理性的な精神のうちにロゴスを「種子」としてもっているのであり、真理に部分的に参与していると説く。邦訳は柴田有訳で『キリスト教教父著作集、一』教文館、一九九二年。

『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(155/160)は、ユダヤ人に向けた最古のキリスト教弁証文学。当時のユダヤ人がキリスト教をどうみていたか、キリスト教徒はユダヤ人をどうみていたか、キリスト教徒とユダヤ教徒はどう自己理解していたかを読み取ることができる。邦訳は一〜九章の抄訳が、三小田敏雄訳『キリスト教教父著作集、一』教文館、一九九二年にあり、四八章から七六章までの抄訳が、久松英二訳で、『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。受肉や処女懐胎など、キリスト教のさまざまな問題について、ユダヤ人トリュフォンが素朴な質問を出し、素朴に説得される。

○タティアノス
『ギリシア人への講話』(150c)
ローマでユスティノスの師事。ユスティノスとはことなり、ギリシア哲学のすべてを固定し、極端な禁欲主義を採用する。172年頃にエンクラティティス(禁欲者)という分派を形成。結婚を否定し、聖饗ではワインでなく、水を使った(そのためにアクアリイとも呼ばれる)。他に著書として四つの福音書を調和させて単一の福音書にした『ディアテッサロン』があり、これは公認聖書が作られるまで、シリアでは聖書の代わりに使われていたらしい。『ディアテッサロン』と『講話』の抄訳が小高毅編『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年にある。

○ポルカリュポス
『ポリュカルポスの手紙』(155c)
ポリュカルポスはスミルナの司教。イグナティオスと親しく、書簡を交換している。小アジアのキリスト教の指導的な人物として、マルキオンなどの異端に反駁し、多くの異教徒を改宗させた。寡婦に対して「神の祭壇」としての自覚をもつように勧め、若者たちにこの世の一切の欲望を捨てることを説く。田川建三訳で『使徒教父文書』講談社、一九九八年に所収。
また、ローマでの殉教を語る『ポリュカルポスの殉教』の書が残っている。殉教者は、「一時間によって、永遠の生命を」買うと言われている。田川建三訳で『使徒教父文書』講談社、一九九八年に所収。

○アテナゴラス
『キリスト者のための申立書』(177c?)
生涯は不明。キリスト教についての誤解を晴らすためのこの書物を、マルクス・アウレリウス帝とその子のコモンドゥスのために書いた。当時、キリスト教徒は無神論者であり、人肉嗜食と近親相姦を犯すとされていたが、これを論駁し、キリスト教徒の道徳性を強調している。また父と子と聖霊の三位の区別と、神の唯一性を主張したごく初期の護教家。小高毅編訳『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年に抜粋を所収。「神の御子(パイス)は、イデアと働き(エネルゲイア)における、御父の言(ロゴス)なのである」。

○テオフィロス
テオフィロスは、シリアのインティオケイエ教会の第六代の司教。『アウトリュコスに送る』(180c?)は、アウトリュコスというギリシア人に対して、ギリシア神話やその他の神話と聖書で語られていることを比較することで、キリスト教の真理を弁証し、異教を論駁する。アテナゴラスと同じように、「妻は共有で、無差別に交わ」るとか、「姉妹と交渉をもつ」とか、「人肉をわけあって一緒に食べる」という非難に反論しているが、いかにこうした非難が一般的であったことがうかがえる。こうした非難には、ギリシア人こそが神話でこうしたことをしていると反論し、キリスト教における正義と純潔が強調される。

ヘレニズム的な書物で、福音書からの引用はあるが、キリストは登場せず、受肉も語られない。いわば「キリストのいないキリスト教論」である。人間は高められ、「天へとあげられて…永遠性をもつようになる」(2-24)のである。三位一体を示すトリアスという語も語られるが(2-15)、これは神と、そのロゴスと、その智恵(ソフィア)の三位なのである。今井知正訳で『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。小高毅編訳『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年にごく短い抜粋がある。

○メリトン
サルディスの司教。マルクス・アウレリウス帝にあてた「護教論」の断片では、教会と国家の友好的な一致を訴えている(エウセビオス『教会史』)。『過越について』の抄訳が小高毅編訳『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年に収録されている。『過越について』『断片』『書簡』の全訳が、加納政弘訳で教文館の『キリスト教教父著作集一二巻』に収録が予定されている。

○『ディオグネトスの手紙』
教養のある異教者のディオグネトスに当てられた書簡で、偶像崇拝をするギリシア人などの異教や、ユダヤ教と比較して、キリスト教の優れているところを指摘する。1436年にコンスタンティノープルの魚屋で包装紙に使われていた写本のうちに発見された。コンスタンティノープルは魚屋まですごい(笑)。邦訳は佐竹明訳が、荒井献編訳『使徒教父文書』講談社、一九九八年に収録されている。

○エイレナイオス
『異端反駁』(180-185)、『使徒たちの使信の説明』
エイレイナオスは小アジアのスミュルナ出身で、ガリアに赴いてリヨンの司祭になたった。後、ローマ司教。『異端反駁』は、グノーシスの異端に対する反論をまとめたもの。エウセビオスの教会史(秦剛平訳、山本書店、一九八七年)から内容をうかがえる。同じくグノーシスへの反論を目指しながら、ごく短くキリスト教の本質を描き出そうとする『使徒たちの使信の説明』は、小林稔・小林怜子訳で『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。小高毅編訳『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年にもアンソロジーが収録されている。

旧約の歴史をおおざっぱに語った後、セムの血をひく「ダビデの子孫である処女の実となった、神の子キリスト」(36)について語る。「神の御言葉は処女という媒介によって肉となった」(37)。そのキリストによって「生命の道」がもたらされたのであり、「預言者たちが告げ、キリストが承認し、使徒たちが保管し、全世界の教会がその子らに伝えてきた」(98)ものである。

○クレメンス
 クレメンスはおそらくギリシア生まれ。アレクサンドリアでパンタイノスに学び、塾を開いた。後にカッパドキアに移る。オリゲネスが弟子だったらしい。著作に『ギリシア人への勧告』(190c)『教導(養育係』(190-195)『ストロマテイス』『救われる富者は誰か』(190-210)がある。抄訳が小高毅編訳『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年にあり、『ストロマテイス』の五巻の訳と『救われる富者は誰か』の全訳が秋山学訳で、『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。

 クレメンスはプラトンの哲学に詳しく、「律法がヘブライ人を導いたように、哲学はギリシア人をキリストに導いた」(ストロマテイス)と考える。さらにギリシア人は、「モーセおよび預言者たちの書から、自分たちの教説のきわめて主要な部分を、謝意を表することもなく取り入れた」剽窃者とみなしている(ストロマテイス)。ギリシア哲学の素養をキリスト教の神学の構築に役立てたわけだ。

『ストロマテイス』は「真なる哲学による覚知にもとづいた覚書」で、多数のギリシア語のテクストの引用を含むために、失われたテクストの断章を読める貴重な文書。バルナバの手紙と同じように、聖書やギリシア語のテクストについて、神学的に多様な比喩的な解釈を展開する。たとえば「このゾロアストレスに関してプラトンは、彼が薪の上に横たえられてから一二日目に蘇ったと記している。これはおそらくまず復活を表したものだろう。あるいは一二の宮が、霊魂の上昇のための道となるという信仰をもほのめかしているのかもしれない。…かのヘラクレスの功業が一二であるわけも理解できるのである」(p.371)という具合である。覚知がすでに否定神学的な方法で神を思惟していることにも注目したい。

 『救われる富者は誰か』は、「行ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施せ」というイエスの言葉(マルコ10章)の言葉に対して、文字通りの解釈をすることを戒めて、金銭的な執着を絶つことを求める。「これは金銭をめぐる思い、財に向かう執着心、金に関する恐れや病的感情、思い煩い、生命の種を摘み取る生の棘を霊魂から取り去るようにとの命令なのである」。イエスはこの金持ちの青年に、「多忙な雑事からひとまず離れ、一つのこと、すなわち永遠の生命を与える方の恵みに専念して、心して注意を向けるように命じたのである」(p.430)。そしてクレメンスは、山賊の若者の物語を例にとりながら、罪に落ちた富者たちに、回心と悔い改めを求めるのである。

 クレメンスには他に次のような著作がある。「素描」「過越祭について」「教会法、すなわちユダヤ主義者への反論」「断食と躓きに関する考察」「忍耐の勧め、すなわち新たに洗礼を受けた者への勧告」「預言者アモスについて」「摂理について」。

●3世紀
○ヒッポリュトス(170c-235)
 ローマで神学的な文書を発表し続けたヒッポリュトスは、ギリシア語で書いた最後の西方の教父とみられる。170年頃に生まれ、200年頃からセウェルス帝の迫害をきっかけとして文章を発表し始めた。235年にセウェルス帝が暗殺された際に、友人であるポンティアヌス教皇とともにサルディニア鉱山に送られて死亡。多数の論争の書を残したが、『全異端反論』『キリスト教と反キリストについて』『ダニエル書注解』『雅歌注解』『イサクとヤコブの祝福』『モーセの祝福』『ダビデとゴリアテについて』『年代記』『ノエトス論駁』『使徒伝承』などの作品が残っている。『聖ヒッポリトスの使徒伝承』(オリエント宗教研究所、一九八七年)の邦訳があり、『ノエトス駁論』が小高毅訳で『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。

 『ノエトス駁論』は、父なる神がキリストであり、父なる神が受難し、父なる神が蘇ったと主張するノエトス派に反駁した書物。ヒッポリュトスは、「受肉したロゴスによってわれわれは父を認識し、子によって信じ、聖霊によって礼拝する」(p.488)と、ロゴス・キリスト論によって反論する。下ってきたのは父ではなく、父の力であり、聖霊はオイコノミア(救いの営み)であり、子とオイコノミアは唯一の神に統合されると。


○オリゲネス(185c-253/54)
 185年頃にアレクサンドレイアで生まれ、幼くして聖書を学ぶ。司教デメトリオスの「教理教師」になり、「教理学校」が設立される。231年頃に司教から追放され、カイサレイアで教理学校を開く。デキウス帝の迫害にあい、253/4年頃に牢死。多くの著作があり、初期の『諸原理について』(220-30)(小高毅訳、創文社、一九七七年)や晩年の『ケルソス駁論』(345-350)(出村みや子訳、教文館、一九八七年〜)は神学書。六欄対訳聖書の『ヘクサプラ』、聖書注解の『詩篇注解』『哀歌注解』『雅歌注解』(小高毅訳、創文社、一九七八年)『ヨハネ福音書注解』(小高毅訳、創文社、一九八四年)『マタイ福音書注解』『ローマの信徒への手紙注解』(小高毅訳、創文社、一九八四年)など、聖書学を創始したともいわれる詳細な注解が残されている。

 カイサレイアに移ってからは、聖書講話(ホミリア)に力をいれ、『エレミア書講話』『エゼキエル書講話』『イザヤ書講話』(小高毅訳、創文社、一九八二年)『ルカ福音書講話』『創世記講話』『出エジプト記講話』『レビ記講話』『民数記講話』『ヨシュア記講話』『士師記講話』『サムエル記講話』『詩篇三六〜三八講話』など多数がある。『創世記講話』の一、四、八、一三講話、『出エジプト記講話』五〜七講話、『民数記講話』の二七の一講話が、小高毅訳で『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。また『祈りについて・殉教の勧め』(333-40)(小高毅訳、創文社、一九八五年)、『ヘラクレイデスとの対話』(小高毅訳、創文社、一九八六年)の邦訳がある。

 注解では、聖書のテクストを詳細に分析する。まず本文の文字通りの意味が考察され、その上で比喩的な解釈や、旧約聖書の出来事や人物をキリストの「前表」とみなす前表的な解釈を展開する。たとえば「イサクが自分で自分のために焼き尽くす捧げ物に用いる薪を運んで行くというこのことは、キリストもまた「自分で自分のために十字架を背負って
いった」(ヨハネ)ことの前表であると解釈される。

 さらに比喩的な解釈としては、たとえば創世記の「光あれ」という神の言葉は、「この世に来て、巣の人を照らす真の光」(ヨハネ)としてのキリストとして敷衍され、この光に照らされた教会も、「闇にいる人々」を照らす「世の光」と語られるのである。そして新約聖書に満ちあふれている光の隠喩がこの解釈とつなげられることになる。文字通りの解釈に「比喩の解釈」を重ねることで、壮大な神学ができあがる。「深みにまで掘り下げる術を知っていれば、その人は一つ一つの事柄の内に宝を見出だすであろう。また、おそらく、考えられもしないところに多くの秘儀の貴重な宝石が隠されていることだろう」(p.533)というのがオリゲネスの聖書解釈の方法論なのである。ただし精神が男で魂が女であり、人間は夫婦のように精神と魂(肉体)と結ばれているというように、いくらでも恣意的な解釈に流れる可能性はつねにあるわけである。

○グレゴリウス・タウマトゥルゴス(213c-270/75)
 黒海のポントス地方に生まれ、法律を学ぶためにベリュトス(ベイルート)を訪れる。カイサレイアでオリゲネスと出会い、5年間学ぶ。その後ネオカイサイレアの司教になる。カッパドキア教会の創設者とされ、奇跡に満ちた生涯のために、タウマトゥルゴス(奇跡を行う人)と呼ばれるようになる。ニュッサのグレゴリウスによる伝記など、五種類も伝記が残されているのは、理由のないことではない。

 奇跡に忙しかったのか(笑)、著書は少ない。オリゲネスとその教え方について教えてくれる『オリゲネスへの謝辞』(有賀鐵太郎著作集一、『オリゲネス研究』、創文社、一九八一年所収)、短い『信仰告白』(小高毅訳、『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社)、ゴート族などにとらえられて強姦された男女への対処に関する質問に答えて、悔い改めの規律を示した『教会書簡』、『コヘレトの言葉詳訳』『テオポンポスへ−−神における受苦と不受苦について』(小高毅訳、『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社)などが残されている。

 最後の文書では、神は不受苦であるが、受苦すると苦しい弁証法を展開する。「その本性は不受苦のものであり続けつつも、それを征服するために、自ら進んで受苦に身を沈める者を、たとえ彼が自己の意志によって受苦に関与するものとなったとしても、われわれは受苦に陥ったとは言わない」(p.640)。神は「自分の死によって、自分の不死性を確かなものとし、自分の受苦によって、自分の不受苦性を証明したからである」(p.643)。気持ちはわかるけど、うーん、苦しい(笑)。クザーヌスやキルケゴールなら、もう少しうまく表現するだろうが。

○メトディオス
小アジアのリュキア地方オリュンポスの司教。どのような一生を送ったか、あまり知られていないが、ガレリウス帝の迫害で、311年頃にギリシアのカルキスで殉教したらしい。生前の身体と、復活した身体が同一であると主張した『復活論』、グノーシス主義の決定論に反対した『自由意志論』があるらしい。処女の純潔性を称えた『シュンポシオン、あるいは純潔性について』は、三番目のタレイアの発言と八番目のテクラの発言が、出村和彦、出村みや子訳で、『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。処女性を称揚する転換点のひとつとして、ブラウンの『身体と社会』やペイゲルスの『アダムとエバと蛇』でも注目されている作品だ。

 身体の快楽を無視する処女性の翼をもった人々は、「不滅性の牧場そのものを貼るかに眺める」。「彼らは、この世界にいながらもこの世界にはおらず、その思考と欲求の飛躍において、すでに天上界の存在の一段に加わっているのです」(p.681)。プラトンの『饗宴』ではエロスがイデアの世界へといざなうが、この饗宴では処女性こそが翼をもち、「正義それ自体や賢明さ」を「真実あるがままの姿において、完全な形ではっきりとみる」力を与えるのである。

○テルトゥリアヌス(160?-220?)
 カルタゴ生まれの最初のラテン教父。さまざまな神学的な概念を作り出して、正統信仰の確立に貢献した。晩年、207年頃から、厳格主義のモンタノス派に身を投じ、後にはテルトゥリアタス派を形成したらしい。『護教論』は、教父・中世・神秘主義双書、水府出版、1984年と、『護教論(アポロゲティクス)』キリスト教教父著作集14巻、教文館、1987年の翻訳がある。他の著作としては『プラクセアス駁論』土岐正策訳で、キリスト教教父著作集13巻、教文館がある。論文の翻訳には、「洗礼について」「魂の証言について」「殉教者たちへ」が、中世思想原典集成4巻、初期ラテン教父、平凡社、1999年に収録されている。

また小高毅編『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年には、モンタノス以前の「悔い改めについて」とモンタノス派に走ってからの「慎みについて」の二つの詳しい紹介を含むアンソロジーがあって有益である。キリスト教と哲学について断章では、哲学は言葉を求めるが、キリスト教は行いで示す、哲学は真理の簒奪者であり、キリスト教は真理の守り手であるという(『護教論』から)。
 以下に主要な論文を列挙する。
「諸国民に」
『護教論』
「殉教者たちに」Ad matyras, 197, 202/3
「ユダヤ教徒反論」Adversus Ujdaeos
「魂の証言について」(200)
「見せ物について」De spectaculis, 200/06
「祈りについて」De oratione
「忍耐について」De patientia
「悔い改めについて」De penitentia
「婦人の衣装について」De cultu feminarum
「妻に」
「洗礼について」
「異端者への抗弁について」De praescriptione haerecticorum
『ヘルモゲネス反論』Adversus Hermogenem
『マルキオン反論』第一巻〜第四巻Adversus Marcionem, 207/8
『ウァレンティアノス派反論』Adverus Valentiniaos, 207/8
「魂について」De anima
「キリストの肉について」De carne Christi
「使者の復活について」De resurectione morturum
『マルキオン反論』第五巻, 208/12
「貞潔の勧め」De exhortatine castitatis
「処女のヴェールについて」De virginibus valandis
「兵士の花冠について」De corona, 211
「蠍の毒の解毒剤」Scorpiace
「スカプラに」Ad Scapulam, 200
「偶像礼拝について」De idoloatria
「迫害下の逃亡について」De fuga in persecutione, 212/13
『プラクセアス反論』Adversus Praxean
「結婚の一回性について」De monogamia
「断食について−カトリック教徒に反対する」De ieiunio adversus Psychicos, 212/13、(モンタノス時代)
「慎み深さについて」De pudictia, 217/18

○ノウァティアヌス(190/210-)
 三世紀中頃のラテン教父。教皇ファビアヌスが殉教した後、ローマ教会を代表する地位にあった。厳格主義を主張し、新しい教皇に対立してカタロイというグループを形成した。「過越しについて」「安息日について」「割礼について」「司祭職について」「祈りについて」「アッタルスについて」『三位一体論』「熱意について」「ユダヤ人の食物について」「見せ物について」などの著作があったらしい。現存するのは『三位一体論』と「ユダヤ人の食物について」「見せ物について」「貞潔について」のみである。また多数の書簡が書かれたが、二通が発見されている。邦訳には、「貞潔について」De bono pudicitiaeが、塩谷惇子訳で、中世思想原典集成四巻、初期ラテン教父、平凡社、一九九九年に収録されている。小高毅編『原典古代キリスト教思想史、一』教文館、一九九九年には、『三位一体論』の断章が収録されている。

○キュプリアヌス(200/10-)
 カルタゴ司教になったが、大迫害でカルタゴから「撤退」して議論を呼んだ。25f年の迫害で殉教した。背教者を教会に受け入れるかどうかで、厳格主義をとって、無条件での復帰を拒否した。殉教の際の模様などは、『聖なるキュプリアヌスの行伝』キリスト教教父著作集二二巻、教文館、一九九〇年で読める。
「ドナトゥスに送る」Ad Donatum。洗礼直後の246年の作。回心における神の恵みのすばらしさを称えたもの
「処女の身だしなみについて」De habitu virginium、司教になった249年の作。誘惑の危険を警告する(吉田聖訳、『南山神学』二〇号、一九九七年、一四五〜一八一ページ)
「背教者について」251年に迫害の避難先から戻ってきて、司教会議に提出した文書。その後のアフリカ・キリスト教会の統一見解の基礎になる(吉田聖訳、『初期ラテン教父』中世思想原典集成四巻、平凡社、一九九九年)
「カリトック教会の一致について」251年の司教会議に提出。異端と分裂の根を絶とうとする(吉田聖訳、『南山神学』八号、一九八五年、一〜四一ページ、タッサン編『古代教会の声』聖母の騎士社、一九九三年)
「主の祈りについて」De Dominica oratione、251-52年の作(吉田聖訳、『初期ラテン教父』中世思想原典集成四巻、平凡社、一九九九年、タッサン編『古代教会の声』聖母の騎士社、一九九三年)
「デメトリアタスに送る」Ad Demetrianum、252年。伝染病を蔓延させたのがキリスト教徒であるという非難への反論
「死を免れないことについて」De mortalitate、252年。カルタゴで蔓延した伝染病への心掛け(吉田聖訳、『初期ラテン教父』中世思想原典集成四巻、平凡社、一九九九年)
「善行と施しについて」De opere et eleemosynis、252-53年。慈善のキリスト教的な性格について(吉田聖訳、『初期ラテン教父』中世思想原典集成四巻、平凡社、一九九九年)『偉大なる忍耐』De bono patientiae、256年。異端者の洗礼論争で、司祭に和解を求める(熊谷賢二訳、創文社、一九六五年)
「嫉妬とねたみについて」De zelo et livore、256/57年。嫉妬と妬みが諸悪の根源であることを聖書の例で語る(吉田聖訳、南山大学『アカデミア』文学・語学編、六三号(一九九七年、四五〜八−ページ)
「フォルトゥナトゥスに送る」Ad Fortunatum、250-51年。殉教について(吉田聖訳、『南山神学』二一号、一九九八年、一一五〜一五八ページ)
「クイリヌスに送る」Ad Quininum、249以前。要理教育に使用した聖書のテクストの記録
「偶像は神々ではないこと」Quod idola dii non sint、偶像について

●四世紀
○ラクタンティウス(250-325)
アフリカ出身の護教家。神学的な議論よりも、キリスト教を信仰しない人々のために著作を数多く現わした。そのため、異教徒の読まない聖書よりも、キケロ、ルクリティウス、
セネカなどを引用することが多い。古典的なラテン語と流暢な文体で人々に訴えかけようとした。そのため「キリスト教ヒューマニズムの祖」と呼ばれることもある。コンスタンティヌス大帝と親しく、大帝の改宗の背後にある人物だったのかもしれない。大帝の長男のクリスプスの教育を任されているほどだ。

 主著は異教や哲学の空しさを説いた護教書『神的教理』Divinae institutiones 全七巻(304-313)。他に「迫害者の死」や「神の怒りについて」などがある。「神の怒りについて」は、高橋英海訳で『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。旧約の神は怒る神だが、神が感情パトスという受動をこうむることがあるかどうかは、神学的な重要な議論だった。ストア派やエピクロスは神が怒ることそのものを否定しているので、これはキリスト教と古代哲学の議論が交わる興味深いトポスなのである。

○マリウス・ウィクトリヌス(281/91-386?)
 ウィクトリヌスの生涯は、ローマで弁論家として活躍していた時期と、回心後に新プラトン主義とキリスト教を調停しようとした時期に分けられる。回心以前は、プロティノスの『エネアデス』など、新プラトン主義の書物を翻訳していたらしい。355年頃に洗礼を受けてからは、新プラトン主義の概念を使って、三位一体論の概念的な基礎づけを展開した。父なる神は存在すること、子は行動することであり、一者たる存在から子が発出する。そして霊は子から父に戻る動きである。この方法で彼はアカイア信条の「同一本質」ホモウーシオス論を擁護したのである。なお、ウィクトリヌスの回心や新プラトン主義の翻訳書が、アウグスティヌスに大きな影響を与えたことは、『告白』に語られているので有名である。

 主著は『アレウス駁論』であり、この系統の「アリウス主義者カンディドゥスのウィクトリヌスーの手紙およびアリウス主義者カンディドゥスへの手紙」が高橋雅人訳で『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。今義博によるこの手紙の邦訳(部分訳)と解説が、新プラトン主義教会編『ネオプラトニカ 新プラトン主義の影響史』(昭和堂、一九九八年)に収録されている。また三位一体論を祈りとして語った『賛歌』が田坂さつき訳で『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。「あなたが憩われるとき、あなたは御父、あなたが発出されるとき、あなたは御子。あなたがすべてをひとつに結ぶとき、あなたは聖霊」(438)、「静止、発出、還帰、至聖なる三位一体よ」(451)という概念構造である。

○エウセビオス
 パレスティナのカイサイレイアに生まれ、文献学者のパンフィロスを師とし、パンフィロスを通じてオリゲネス神学を学び、これに傾倒して『オリゲネス擁護論』を書いた。師のパンフィロスはディオクレティアヌス帝の迫害で殉教し、エウセビオスも投獄されるが、釈放され、後にカイサレイアの司教になる。なによりも『教会史』(秦剛平訳、山本書店、一九八六〜一九八八年)で、ぼくたちに古代のキリスト教の教父たちのことを教えてくれる。ほかに歴史的な著作には『年代記』があり、『福音の準備』『福音の論証』など護教的な著作も多い。『福音の論証』は、旧約聖書のもつ普遍的な意義が、キリスト教のうちで完全に開花したことを論証する書物で、第三巻が小高毅訳で『中世思想原典集成一、初期ギリシア教父』一九九五年、平凡社に収録されている。

 エウセビオスはオリゲネス的な従属説に近かったために、アレイオスに近い立場でアレイオス論争に参加。『マルケロス論駁』『教会の神学』はこの論争のうちで生まれた。自分の立場を信徒に説明した「教区の信徒たちへの手紙」が、小高毅訳で、『中世思想原典集成二、盛期ギリシア教父』一九九二年、平凡社に収録されている。さらに迫害を終わらせたコンスタンティヌス帝を称える演説が『コンスタンティヌス頌詞』として残されている。また帝の死の後、帝を「新しいモーセ」と絶賛した『コンスタンティヌス伝』を著す。339/40年に死去。

○アタナシオス
 アレクサンドレイアの司教で、「キリスト教正統信仰の父」と呼ばれる。アレイオス論争の直中に生きて、45年の司教在職中に、5回も司教座を追われ、17年間を亡命のうちに過ごしたという。アレイオス派を論駁した書物『アレイオス派駁論』『アレイオス派への弁明』『アレイオス派史』などがあるが、砂漠の師父の代表となる同時代のアントニオスの伝記『アントニオス伝』(357c)が有名だ。アウグスティヌスはこの書物をきっかけとして、受洗の決意を固めたと、『告白』で記している。

 キリスト教は水の宗教だが、アントニオスは「水で、体はもとより足を洗うこともなく、必要に迫られたときのほかに水に触れることなく、死後、葬られるときを除いて、アントニオス裸体を見た者は一人もなかった」(p.810)。つねに「自由になる時間はすべて、肉体のためではなく、精神のために用いるべきであり、肉体のためには必要最小限度の時間をあてれば足り、暇とその暇から生じる益は精神のために用いるべきであり、暇は肉体の欲求に精神を引きずり込もうとするので、それをおさえなければならない」(808)と語っていた。肉体、時間、暇、労働、欲望など、ここを起点にして複雑な思弁と実践が生まれることになる。「アントニオスを訪ねて山中に来て、彼と会った若者で、奔放な情欲が消え去り、貞潔を愛するようにならなかった者が誰かいただめろうか」(p.838)。

 アタナシオスの語るアントニオスの奇蹟の例をあげておこう。獣との会話(812)。アダムの昔に戻るアントニオス。空中の悪臭で悪魔の存在を認識する(820)。病の治癒(816/7, 819)。透視(817)。未知の人の認識(818)。悪霊の祓(826)。初等教育なしで、独力で理解(826)。幻視(834)。迫害者に死をもたらす予言(837)。厳しい生活にもかかわらず健康を維持(842)。

 自己の吟味について。「なんと幸せだろう、日中われわれが犯し得る罪を抱えたまま日没を迎えないなら。同じく、夜間の罪もしくは邪まな思いに対して責任がある者として、月が沈むのを迎えないなら。このようにすることができるためには、聖なる使徒の言葉に耳を傾け、彼が〈自己を反省し、自己を吟味しなさい〉(二コリ一三)と言っていることを守るのはよいことだ。毎日、われわれは各自、日々の行為、夜間の行為を自ら検討し、罪を犯したと思われる根拠があったなら、それをやめなさい」(815)。「隣人にさらけ出すかのように、各自、自分の行為と心の動きに気を配り、書き記すことは、われわれにとって罪を犯さぬための防壁になるだろう」(Ibid.)。

○ヒラリウス(ポワティエの)(315-367)
 350年頃にポワティエで司教になったヒラリウスは、アレイオス派と対抗して、コンスタンティウス帝亡き後の教会の和解を目指した。西方で最初に組織的な教義書『三位一体論』を著し、西方で初めてまとまった聖書注解書『マタイ福音書注解』を著し、西方で初めて詩歌形式の神学書としての『賛歌』を著し、西方で初めて東方教会の論争をラテン語で紹介した『教会会議について』を発表した。

 邦訳には、『三位一体論』の二章と三章の翻訳と『賛歌』の翻訳が出村和彦訳で、『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。

○アンブロシウス(339-397)
 イタリアのメディオラヌムの司教で、ヒエロニュムス、アウグスティヌス、グレゴリウス一世とともに、西方ラテン世界の「四大教会博士」と呼ばれた。古典文芸や法律学にも詳しく、政治的にも手腕を発揮した。ミラノの知事として赴任していた際に、アレイオス派の司教がなくなり、その後継者をめぐってアレイオス派とカトリック派が対立、調停に乗り出していたアンブロシウスが、両派の民衆の圧倒的な支持をえて、司教に就任する。その後、教会政治家として活躍。テサロニケの市民を虐殺したテオドシウス帝に教会への入堂を許さず、公開の懺悔を陽気して、皇帝を屈服させた(390年)事件は有名。「皇帝は教会の中にあり、教会の上にはない」というのがアンブロシウスのモットーだった。キリスト教徒としての生活の模範を示し、アウグスティヌスの洗礼に導いたとされている。ヤコブス・デ・ウォラギネによる伝記『黄金伝説』(前田敬作・山口裕訳、人文書院、第二巻、一九八四年)が伝説的な一生を伝えている。

 著書は次の四つのグループに分けられる。
(1)聖書注解。著作の三分の二を占める。「ルカ」以外はすべて旧約の注解である。フィロンやオリゲネスにならって、「文字通りの意味」「道徳的意味」「神秘的意味」を区別するアナロギー的な解釈を採用した。旧約注解の冒頭を飾る創世記の注解『エクサメロン』は、萩野弘之訳で『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。
(2)修得的著作(6編)。キケロの『義務について』のストア派の理論に対抗して、キリスト教の道徳を説いた『教役者の職務について』、『処女たちについて」など、神秘的な次元にまで及ぶ著作が多い。
(3)教理的著作。反アレイオス的な『信仰論』『聖霊論』や、『秘儀について』(『秘蹟論』熊谷賢二訳、キリスト教古典叢書三、創文社、一九六三年)、『秘蹟について』(『秘蹟についての講話』熊谷賢二訳、創文社、一九六三年)などがある。
(4)それ以外に説教、書簡などが残されている。「受肉の秘儀」「ナボトの物語」などの抄訳が、小高毅編『原典 古代キリスト教思想史、三』ラテン教父、教文館、二〇〇一年に収められている。
ON THE DUTIES OF THE CLERGY. INTRODUCTION.
Three Books on the Duties of the Clergy.
Book I.
Book II.
Book III.
Introduction to the Three Books of St. Ambrose on the Holy Spirit
Three Books on the Holy Spirit.
Book I.
Book II.
Book III.
The Two Books on the Decease of His Brother Saytrus.
Introduction
Book I.
Book II.
Exposition of the Christian Faith
Preface.
Prefatory Note.
Book I.
Book II.
Book III.
Book IV.
Book V.
On the Mysteries. Introduction.
The Book Concerning the Mysteries.1
Two Books Concerning Repentance. Introduction.
Two Books Concerning Repentance.
Book I.
Book II.
Note on the Penitential Discipline of the Early Church.
Concerning Virgins. Introduction.
Three Books Concerning Virgins
Book I.
Book II.
Book III.
Concerning Widows. Introduction.
The Treatise Concerning Widows.
Note on the Letters of St. Ambrose.
Selections from the Letters of St. Ambrose.
Memorial of Symmachus, the Prefect of the City.
Epistle XVII.
The Memorial of Symmachus, Prefect of the City.
Epistle XVIII.
Epistle XX.
Letter XXI.
Sermon Against Auxentius on the Giving Up of the Basilicas.
Letter XXII.
Letter XL.
Letter XLI.
Letter LI.
Letter LVII.
Letter LXI.
Letter LXII.

 
○ヒエロニュムス(354-430)
 新約聖書のウルガタ訳で有名なヒエロニムスは、一時期は隠者として暮らしたこともあり、アウグスティヌスとの交際の逸話も知られている。ヘブライ語を修得し、オリゲネスの『ヘクサプラ』も使いながら、旧約聖書のラテン語訳のプロジェクトを推進した。

 著書には、アントニウスが「先輩」の隠遁者パウルスの死の場に直行する物語『最初の隠修士パウルスの生』の訳が『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている(荒井洋一訳)。同じく荒井訳で、「ダマスス宛ての書簡二一」と「エウストキウム宛ての書簡二二」が収録されている。書簡二一は教皇ダマススからの「放蕩息子の譬え」についての質問に答えたもので、妬みを中心的なテーマとしている。書簡二二は、処女を守ることの重要性を説いた書簡で、ローマの女性サークルの一人のパウラの娘エウストキウムに宛てた形で、性的な禁欲を称える。

○ペラギウス(354-420)
 ブリタニア出身の修道士で、ローマに滞在して、禁欲的な生活を説いた。神に与えられた本性の力に基づいて、人間は自らの意志で善をなしうると主張。禁欲的な生活の実践を求めた。これは人間の罪性と神の恩寵の絶対性を主張するアウグスティヌスと正面から対立することになり、アウグスティヌスが激しく攻撃するようになる。四一一年のカルタゴ教会会議で、断罪宣告を受け、撤回に成功するが、一八年にふたたびカルタゴで開かれた教会会議で、幼児には原罪がなく、本性と自由意志を恩寵とみなす説として、異端が確認される。

 著書には、『パウロ書簡注解』『デメトリウスへの手紙』『神の法について』『キリスト教徒の生活について』『クラウディアへの手紙−純潔について』などがあり、『デメトリウスへの手紙』は鎌田伊知郎訳で『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。結婚を前にして純潔を守ることを宣言したデメトリウスには、ヒエロニュモスも称える書簡を送っていて、読み比べるとおもしろい。

○アウグスティヌス(354-430)
 ヒッポの司教アウグスティヌスはキリスト教の基本的な教理の基礎となる人物であり、キリスト教とプラトンの哲学の両方を統合した理論体系を構築した。いわずもがなだが、『告白』の時間論、記憶論、『神の国』の政治哲学など、西洋哲学における位置も巨大だ。教文館で全集を刊行中である。以下で著作の一覧を全集版に依拠して示す。なお、『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社には、『三位一体論』の抄訳(加藤信郎+上村直樹訳)と、「アウグスティヌス修道規則」(篠塚茂訳)が翻訳されている。この修道規則は、ベネディクトスの『戒律』よりも穏やかで、修道院外での司牧活動に適しているので、聖アウグスティヌス隠修会、ドミニコ会などで、現在でも遵守されているものだ。

『告白録』(宮谷宣史訳、上、下、教文館、一九九四年、アウグスティヌス著作集、第五巻一、二)
『キリスト教の教え』(加藤武訳、教文館、一九八八年、アウグスティヌス著作集六巻)
『初期哲学論集』(清水正照訳、一〜三、教文館、一九七九年、アウグスティヌス著作集、一〜三巻)
『神学論集』(赤木善光訳、教文館、一九七九年、アウグスティヌス著作集四巻)
『マニ教駁論集』(岡野昌雄訳、教文館、一九七九年、アウグスティヌス著作集七巻)
『ドナティスト駁論集』(坂口昂吉+金子晴勇訳、教文館一九八四年、アウグスティヌス著作集八巻)
『ペラギウス派駁論集』(金子晴勇訳、一〜二、教文館、一九七九、アウグスティヌス著作集九〜一〇巻)
『神の国』(赤木善光ほか訳、一〜五、教文館、一九八〇年、アウグスティヌス著作集一一〜一五巻)
『創世記注解』(片柳栄一訳、一、二、教文館、一九九四年、アウグスティヌス著作集一六〜一七巻)
『詩編注解』(今義博ほか訳、一、二、教文館、一九九七年、アウグスティヌス著作集、第一八巻一、二)
『共観福音書説教』(茂泉昭男訳、一、二)、教文館、一九九六年、アウグスティヌス著作集二一、二二巻)
『ヨハネによる福音書講解説教』(泉治典+水落健治訳、一〜三、教文館、一九九三年、アウグスティヌス著作集二三〜二五巻)
『ペラギウス派駁論集』(金子晴勇訳、一〜二、教文館、一九七九、アウグスティヌス著作集二九〜三〇巻)
その他の邦訳
『神の国』(服部英次郎訳、一〜五、岩波書店、一九八二年、岩波文庫)
『告白』(服部英次郎訳、上、下、岩波書店、一九四〇年、岩波文庫)
『三位一体論』(中沢宣夫訳、東京大学出版会、一九七五年)
『省察と箴言』(ハルナック編、服部英次郎譯、岩波書店、一九三七年、岩波文庫)
『基督者の自由 基督教の五つの古典』(由木康編、国民教育社、一九四九年)

○カッシアヌス(360-430)
 スキュティア生まれで、若い頃から修道院の生活に魅惑された。一七歳頃にパレスティナに趣、ベツレヘムの修道院で修道生活をする。後にエジプトの修道院をめぐり、師となるポンティコスとであう。コンスタンティノポリスでクリュソウトモスと出会い、助祭に任命される。後にローマで司祭になる。マルセイユで男性のための聖ウィクトル修道院を、女性のための聖サルウァトル修道院を設立した。東方の修道院の制度と思想を西洋に紹介したことで大きな役割を果たした。ベネディクスはカッシアヌスの修道院の精神のもとで、『戒律』を著しているらしい。またアウグスティヌスの理論が、人間の自由意志を否定する傾向があるためにこれを批判し、セミ・ペラギウス派と呼ばれた。

 著書には、『共住修道士たちの制度』と、二四の『霊的対談集』、七巻の『主の受肉−ネストリオス駁論』があり、『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社には、市瀬英昭訳で『霊的対談集』の第一対談が邦訳されている。

○プロスペル(アクィタニアの)
 四二六年頃から始まるセミ・ペラギウス論争に積極的に関与し、アウグスティヌスを支援する論陣をはった。初期の作品「ルフィヌスへの手紙−恩恵と自由意志」は、アウグスティヌスの論点を理解するのに手助けになる。アウグスティヌスはこれに答えて、『聖徒の予定』と『堅忍の賜物』を書いた。四三五年頃にカッシアタスが死亡するともに、論争は下火になり、ローマでレオ一世に使えた。いかなる聖職にもつかなかったのも、ユニーク。「ルフィヌスへの手紙−恩恵と自由意志」が、樋笠勝士訳で、『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。

○レオ一世(在位440-461)
 グレゴリウス一世とともに、大教皇と呼ばれ、古典古代の教会の最後を締めくくる教皇となる。この当時は、ニカイア信条のもとで、神とキリストの同一の本質をもつものであることが認められていたが、この同一の性質について議論が高まっていた。まずアレクサンドレイア総主教のキュリロスとコンスタンティノポリス総主教のネストリオスの論争が発生した。

キュリロスは、キリストにおける神の本性と人間の本性の一致を強調したが、ネストリオスはキリストが完全な人間であることを強調し、二つの本性がキリストのうちで併存すると主張した。エフェソス公会議で、ネストリオスの理論は、キリストにおいて神の本性と人間の本性を分離するものと断罪された。次に修道院長のエウテュケスは、反ネストリオスの立場から、二つの本性の一致を強調しながら、受肉後のキリストに、唯一の本性しか認めない立場をとって断罪された。人間性だけを強調するネストリオスと、神性だけを強調するエウテュケスの両方が断罪されたのである。最終的にカルケドン信条が定められるが、その根拠となったのが、レオの書簡二八「コンスタンティノポリス司教フラウィアタスへの手紙」であり、これが背景の解説つきで、加藤和哉訳として、『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。

 また小高毅編『原典古代キリスト教思想史三巻、ラテン教父』(教文館、二〇〇一年)には、同じくエウテュケス批判の書簡一六五(第二の教書)が掲載されている。『キリスト教の神秘』(創文社、一九六五年)には、『説教集』(熊谷賢二訳)と前記の書簡二八の邦訳が掲載されている。

○カエサリウス(アルルの)(470-542)
 アルルで修道院長をつとめたカエサリウスは、修道制の発展に伴い、戒律を定めた。『修道士のための戒律』と『修道女のための戒律』が又野聡子訳で、『中世思想原典集成四、初期ラテン教父』一九九九年、平凡社に収録されている。西洋の伝統として女性は問題を含む存在とみられており、アウグスティヌスの修道規則に準拠しながら、男性よりも詳細な戒律が定められている。また小高毅編『原典古代キリスト教思想史三巻、ラテン教父』(教文館、二〇〇一年)には、「オランジェ教会会議決議録」が掲載されている。この決議では、神の助けなしには人間には善行をする力がないこと、「人間に固有なものについて。嘘と罪のほかには、何人も自分によるものを有していない」ことが強調されている。

作成:中山 元  (c)2004

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