哲学空間ポリロゴス

『フッサール研究』目次

中山 元

第15号 2018年3月

第15号 2018年3月
研究論文
植村玄輝 世界無化の考察によってフッサールは何をどこまで示したのか
峯尾幸之介 M・ガイガーによる価値美学の基礎づけ
特集「知覚は誤らないのか??エコロジカル・アプローチをめぐって??」
小草 泰 エコロジカルな知覚理論(染谷バージョン)への質問と批判的検討
葛谷 潤 エコロジカル・アプローチにおける「表象」
染谷昌義 「知覚の哲学」は知覚経験の本性に迫れるか???小草泰氏と葛谷潤氏への応答??
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む」(6)より
秋葉剛史 フッセリアーナ第40巻『判断論についての研究』を読む??判断・真理・事態??
富山 豊 フッセリアーナ資料集第1巻『「論理学」講義(1896)』を読む

第14号 2017年

第14号 2017年
研究論文
小手川正二郎
「真理と誠実さ フッサール、レヴィナス、ウィリアムズ」
林遼平
「『危機』における「新しい関心」と「生活」 ハーバマスとフェルマンのフッサール批判を手掛かりに」
蜷耕平
「フッサール初期時間論から中期時間論への予持概念の変化」
綿引周
「「括弧入れ」とは何か 還元されることと現象学の領野に含まれること」
特集「間主観性の現象学とその地平」
田口茂
「モナド論と原事実 『間主観性の現象学』に含まれる一つの筋道」
鈴木崇志
「フッサールの他者経験の理論における三種の「出会い」」
フッサール研究会特別企画「田口茂『現象学という思考』合評会」より
佐藤駿
「「媒介」とは何か 媒介論的現象学のために」
納富信留
「現象学の語りとその問題 田口茂『現象学という思考 自明なものの知へ』(筑摩選書、2014年)を読む」
山田圭一
「本質は本当に必要なのか 同一性と類似性という観点から」
田口茂
「媒介・本質・流れること 書評へのリプライ」
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む(4)」より
山口弘多郎
「フッセリアーナ第39巻『生活世界』についての報告 原創設、世界経験、方位付け構造、自然、実践」
吉川孝
「フッセリアーナ第39巻『生活世界』を読む 確実性、根源的獲得、正常性をめぐって」
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む(5)」より
村田憲郎
「『時間意識についてのベルナウ草稿(1917/18)』を読む」
吉田聡
「生成する時間 『C草稿 時間構成についての後期テキスト(1929?1934)』を読む」

第13号 2016年


研究論文
石井雅巳
「『全体性と無限』における享受論の実在論的読解---レヴィナスはいかなる意味で現象学的か」
加藤康郎
「人はなぜ描くのか---現象学的美学の可能性について」
高山佳子
「フッサールの倫理思想とケアの倫理---ケアの倫理の哲学的原理的探求に向けて」
特集「情動の哲学と現象学的感情論」
陶久明日香
「情状性/気分の規定力」
服部裕幸
「情動(emotion)の問題について」
八重樫徹
「価値に触れて価値を知る---フッサールと情動の知覚説」
特別寄稿
ニコラ・リベラティ(訳:大家慎也・植村玄輝)
「私たちはボーグか?---技術による集合体としての主体をめぐって」
フッサール研究会特別企画「フッサールの新資料を読む」より
葛谷潤
「『知覚と注意』(XXXVIII)に関する報告」
鈴木崇志
「『論理学研究補巻』第2分冊についての報告」
植村玄輝
「フッサールの新資料を読む 『一般的認識論---1902/03年講義』」
八重樫徹
「道徳における客観性と感情---『倫理学入門』を読む」
佐藤駿
「『論理学研究 補巻 第一部』を読む」
松井隆明
「存在と証示可能性 『フッセリアーナ』第36巻『超越論的観念論』を読む」

第12号 2015年


研究論文
成瀬翔
「ノエマと心的ファイル 」
松井隆明
「現象学的還元と構成の問題:フッサール超越論的観念論の基本的構図」
丸山文隆
「ハイデッガーの超越論的観念論 :「ブリタニカ」草稿を手がかりに」
満原健
「西田幾多郎による志向性理論批判」
Andrea Altobrando
「The Limits of the Absolute Consciousness: Some Remarks on the Husserlian Concept of Monad」
特集「フッサールと現代形而上学」
秋葉剛史
「フッサールの性質構成論と性質の因果説」
早坂真一
「態度的対象の存在論と志向性:フッサールと現代形而上学の交差点」
特別寄稿
中畑正志
「志向性と意識:ブレンターノをめぐる覚書」
フッサール研究会特別企画:鈴木俊洋著『数学の現象学』合評会より
秋吉亮太
「鈴木俊洋『数学の現象学』に関するいくつかのリマーク 」
稲岡大志
「最初の幾何学者はいかにして恣意性の鉛筆を折ることができたか?」

第11号 特集「志向性の哲学と現象学」 2014年3月


特集「志向性の哲学と現象学」
村田純一 世界内存在としての意識:志向性の哲学と現象学
富山 豊 受容性と志向性:志向性の哲学史におけるフッサールの功績は何処にあるのか
研究論文
村田憲郎 「実在概念」としての範疇――ブレンターノ『存在者の多義性』に見る存在論
鈴木崇志 フッサール『論理学研究』における「独白」概念の検討

第10号 特集「フッサールにおける自我と原自我をめぐって」 2013年3月


特集「フッサールにおける自我と原自我をめぐって」
榊原哲也 フッサールにおける自我・反省・時間
田口 茂 拙著『フッサールにおける原自我の問題』について――四つのポイント――
吉田 聡 自我への迂路――現象学における自我への問いの存立構造――
研究論文
橋詰史晶 本質はどのように獲得されるか――自由変更による事実の乗り越えの可能性について――
葛谷 潤 『論理学研究』の志向性理論における「意味」と「充実化」
山口弘多郎 『危機』書における「生活世界の存在論」について
寺前典子 音楽経験の現象学的分析

第9号 特集「心理療法と現象学」 2011年3月


特集「心理療法と現象学」
池見陽 「フォーカシング」にみるユージン・ジェンドリンの現象学
三村尚彦 そこにあって、そこにないもの――ジェンドリンが提唱する新しい現象学――
論文
玉置知彦 現象學と唯識論――相關關係のアプリオリと唯識三性説――
池田裕輔 非存在的現象学のためのプロレゴーメナ――「生」と「反省」をめぐるフッサールとフィンク――
上島洋一郎 感情の志向性と感情の表現について――ディルタイとフッサールを比較して――
小手川正二郎 真理と知――フッサールとレヴィナスの真理概念――

第8号 特集「経験とは何か? 現象学的経験概念の批判的再検討」 2010年3月


まえがき
特集「経験とは何か? 現象学的経験概念の批判的再検討」
ラズロ・テンゲィ 見いだされた経験
田口 茂 現実的なものの斥けがたさ――フッサールの明証概念にもとづく「経験」の再定義――
池田 喬 初期ハイデガーにおける現象学的経験概念――フッサール批判を通じての形成――
論文
島田喜行 フッサール倫理思想と超越論的現象学との接続点――『倫理学入門』におけるホッブズ批判を手がかりに――
山下哲朗 カテゴリー的直観とアプリオリな全体性――ハイデガーによるカテゴリー的直観の領得をめぐって――
鈴木康則 初期デリダにおける超越論的哲学の問題
小林道太郎 志向が充実されるとはどういうことか:知覚の場合
伊藤良司 ストレス現象とハイデガー――ツォリコーン・ゼミナール(1959?1969年)におけるストレス解釈をめぐって――

第7号・特集「フッサールと初期現象学」 2009年3月


まえがき
特集『フッサールと初期現象学」
植村玄輝 フッサールのノエマとインガルデンの純粋志向的対象――志向性理論から世界の存在をめぐる論争へ
吉川 孝 何が善いのか――フォン・ヒルデブラントにおける善さの担い手の問題――
八重樫 徹 行為・因果・責任――フッサールとプフェンダーの「動機づけ」概念をめぐって――
論文
玉置 知彦 現象學と唯識論――時間について――
秋葉剛史 トロープと部分関係
富山 豊 フッサール初期志向性理論における「志向的対象」の位置
中山 純一 フッサール後期倫理思想における「愛」の問題
小林琢自 有意味的構築と発生的分析――理解社会学の現象学的基礎づけについて――

第6号・特集「応用現象学の展開」 2008年3月


第一部:応用現象学の展開
第二回応用現象学会議
第I部: Various Approaches to Applied Phenomenology
Ichiro Yamaguchi Das Paradox des Rechts bei Luhmann und die transzendentale Faktizitat Husserls
山口一郎 法のパラドクス(ルーマン)と超越論的事実性(フッサール)
Shinya Noe On the reflective aspect of Experience: Varela and Luhmann
Georg Stenger Dimensionen und Dynamiken der ?Zeit’. Zur phanomenologischen Kritik an der Systemtheorie
ゲオルグ・シュテンガー 時間の諸次元と力動性 システム論に対する現象学の批判
Haruki AOYAMA Die Phanomenologie der gesellschaftlichen Selbstbeobachtung. Die Selbstbeobachtung und Selbstbeschreibung bei Luhmann
Shin-yun Wang The “Lost” of Meaning and Case Writing in Health Care. A Phenomenological Study
第II部:ケアの現象学
浜渦辰二 開会の辞
榊原哲也 看護ケア理論における現象学的アプローチ――その概観と批判的コメント――
HAMAUZU, Shinji Caring from the Phenomenological Point of View. Decision-making in terminal care in Japan
和田渡 総評と閉会の辞

第5号 2007年3月


第一部:第一回国際現象学会議
ハンス・ライナー・ゼップ(谷徹訳) 生:内部ー外部
Xianghong Fang Why Face Colors up? On a Phenomenological Space of Shame Feeling
Soren Overgaard What, If Anything, Can Phenomenology Teach Psychopathology (and vice versa)?
Peter Ha Heidegger's Concept of the Spatiality of Dasein ? The philosophical discourse on the localization in the global age ?
Shinya Noe In Search of the Totality of Experience: Husserl and Varela on Cognition
第二部:第五回フッサール研究会
村田憲郎 自由のメディアとしての身体 カント、ベルクソンからフッサールへ
吉川孝 感情のロゴス・理性のパトス??フッサールの倫理学史とフッサール倫理学の可能性??
植村玄輝 実的なものの現象学の限界 命題のスペチエス説はなぜ放棄されたのか
齋藤暢人 「論理学の発生論」の論理 ??形式的存在論の視点から??
谷口純子 言語と身体性
八重樫徹 自己責任の根拠としての明証

第4号 2006年3月


フッサール真理論の地図 鈴木俊洋(1?10)
真理と生命 ハイデガーにおける現象の同一性への問い 丹木博一(11?20)
現象學と唯識論――發生的現象學からの他者について―― 玉置知彦(21?30)
「表現」の現象学における二重の視点をめぐって――『論理学研究』から『イデーンT』へ―― 誉田大介(31?44)
表現の起源 『論理学研究』第一研究と自閉症の一事例 村上靖彦(55?64)
デリダともう一つの時間性 村田憲郎(65?76)
観点としての本質

第3号 2005年3月


Computability and Meaning ? some Phenomenological Issues in constructing a Cyberspace ? Yukiko Okamoto(27)
意味と計算可能性――電脳(サイバー)空間(スペース)構築におけるいくつかの現象学的問題点について―― 岡本由起子(41)
Husserl und das sich organisierende System. Shinji Hamauzu(71)
フッサールと自己組織性 浜渦辰二(79)
The Bernau Manuscripts as a Divide ? Some Remarks on the Self-constitution of the Flow of Consciousness and on the Passivity of Consciousness and Unconsciousness. Wataru Wada(89)
分水嶺としての『ベルナウ時間意識草稿』――意識流の自己構成と意識の受動性及び無意識に関する問題―― 和田渡(103)
初期デリダのフッサール研究に於ける弁証法から差延への用語的移行 荒金直人(161)
現象學と唯識論――他者について―― 玉置知彦(169)
哲学の始まりと終わり――現象学的還元の動機をめぐって―― 吉川孝(179)
外傷体験時の解離について 村上靖彦(189)
フッサールにおける相互主観性概念と独我論の関係 福光瑞江(199)
時間意識の現象学と時間の形而上学――現象学的時間論における通時的同一性の問題―― 齋藤暢人(209)
明証の媒体性と「理論の他者」――フッサールにおける内在/超越図式の自己解体―― 田口茂(219)
内在と超越、あるいは純粋持続と現象学的時間 川瀬雅也(229)
形而上学的全一論とフィンクの現象学 武内大(239)

第2号 2004年3月


現象學と唯識論 玉置知彦(69)
フッサール現象学における感覚論の一考察――身体とヒュレーの現象学に向けて―― 稲垣諭(79)
指示と自己指示――自己指示の議論とフッサールの現出論―― 塩川千夏(91)
知覚と知覚判断――カテゴリー的代表象説は本当にだめなのか?―― 染谷昌義(101)
現在の像理論におけるフッサールの位置――像意識の発生的現象学のために―― 伊集院令子(115)
数学的直観――フッサール現象学と数学の哲学―― 貫成人(129)

創刊号 2003年3月


フッサールの数学思想 野家伸也(5)
直示詞の機能と意味(その一)――フッサール『論理学研究』第一研究の根本的問題点―― 宮原勇(15)
自然と精神――『イデーンU』から『自然と精神』へ―― 浜渦辰二(25)
「超越論的主観性」とは何か――「中立性変様」(『イデーンT』)を手がかりに―― 斎藤慶典(43)
現象学と経験の不可能性の条件 谷徹(63)
意識流の現象学――意識流の反省と根源的な時間構成的意識流の反省の不可能性の問題―― 和田渡(85)
フッサール後期時間論と歴史の問題――歴史の目的論へのアプローチのために―― 榊原哲也(99)
発生的現象学からみた構成の問題 山口一郎(113)
文化の現象学へ――社会的規範の現象学的生成―― 貫成人(125)