権力分析のモデル
−1976年度のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義
『社会を守れ』(一)
(中山 元)

★『社会を守れ』の講義の位置
 フーコーのこの1976年度の講義『社会を守れ』の考察を開始するにあたっ
て、この書物の解説なども参照しながら、コレージュ・ド・フランスでのこの講
義の位置を考えておきたい。

 まずコレージュ・ド・フランスという教育機関では、教授は年に10回から12
回程度の講義を行うだけで、試験も学生の指導も義務づけられないことを確認し
ておこう。聴衆は一般の人々であり、資格も学費も求められない。熱意だけあれ
ば十分である(時には朝から並ぶという熱意が要求されることもある)。これは
講義をする側にとっては非常に楽であるとともに、聴衆がどのような人々がわか
らないという欠点がある。フーコーも講義で何度もその点について困惑を述べて
いる。

 コレージュ・ド・フランスの講義は秋から始まるが、フーコーは正月から三月
までの三ケ月にわたって講義を行うのが通例だった。このため1975-76 年度の講
義は、実質的には1976年1月7日から3月17日までの11回にわたって行われて
いる。

 フーコーはこれまでの数年間のコレージュ・ド・フランスの講義で、『監視と
処罰』につながる問題系を詳しく考察してきた。1972-3年度の講義では、「懲罰
的な社会」について考察し、1973-4年度の講義では「精神医学の権力」という反
精神医学的なテーマについて考察、1974-5年度の講義では「異常者たち」という
テーマで、「危険な個人」を排除する社会の論理について検討してきた。

 これらのテーマが『監視と処罰』(1996年2月)と『知への意志』(1976年10月)
に流れ込んでいるのである。そしてこの『社会を守れ』という講義は、『監視と
処罰』よりも『知への意志』に近い場所に位置する。調教的な社会のありかたを
考察しながらも、それが異常者の排除という否定的な視点よりも、生を守るとい
う肯定的に視点から行われることについて分析するものである。そのためにフー
コーが提示するのが、生・権力と統治性という概念だった。

 この年に続いて1977-8年度に「保安、領土、人口」という統治性の中心的なテ
ーマが考察され、1978-9年度には「生・権力の誕生」、1979-80年度には「生者の
統治」というテーマが考察されることになる(フーコーのコレージュ・ド・フラ
ンスでの講義のテーマと、利用できる資料については、フーコー・サイト
<http://www.yk.rim.or.jp/~genna/foucault.html>に掲載してある「コレージ
ュ・ド・フランスでのフーコー」を参照されたい)。

 フーコーはこの講義で、戦争という視点から権力の在り方を分析しながら、生・
権力の考察を深めていく。Fontana/Bertani が解説で強調しているように、フー
コーはパノプティコンなどの概念によって、権力の「一般理論」を構築すること
を目指したのではなく、さまざまな視点から権力の機能と可能性の条件を分析し
ようとし続けた。

 この年度の講義は、権力のもっとも抑圧的なあらわれ方をする戦争という観点
から、権力が近代の国民国家の内部において果たす役割を考察しようとするもの
である。権力がもっとも露骨に行使されたのは、ファシズムとスターリニズムの
いわゆる「全体主義」国家においてである。しかしフーコーが重視するのは、民
主主義的な国家、福祉国家においても権力は同じようなメカニズムにおいて機能
しているのであり、全体主義国家はこれをもっとも明確な形で露呈しているにす
ぎないということにあった。ファシズムやスターリニズムは、「民主主義国家」
が発明した統治の論理と装置を活用したにすぎないというのが、フーコーの確信
だったのである。1978年のフーコーの東京講演からひいておこう。

  [ファシズムとスターリニズムの]異常さは必ずしもまったく新しいも
  のではない。この二つの権力の病は、実は多くの点で、それ以前の西洋
  世界の社会的・政治的なシステムの中に存在していたメカニズムの延長
  に他ならない。たとえば党の組織とか警察国家的な仕組み、あるいは強
  制収容所の存在などである(「政治の分析哲学」フーコー+渡辺守章 
  『哲学の舞台』一五一ページ)

 フーコーはこのメカニズムは、危険な個人の排除、狂者の道徳的な都市[シテ]
への監禁、優生学的な配慮、人種政策、福祉国家的な政策などのうちに機能して
いるものであり、そのメカニズムを暴き出さないかぎり、西洋の理性の「政治的
理性批判」は遂行できないと考えていた。

 具体的にはフーコーは人種主義が民主主義的な国家においてどのようにして可
能になり、どのように機能していったかという観点から考察する(このテーマに
ついては『フーコー入門』を参照されたい。特に第六章「近代国家と司牧者権力」
は、この年度の講義の最後の日の講義を一つの柱にして書いている)。フーコー
が特に重点をおいているのは、イギリスのレベラーズ/ディッガーズの思想と、
フランスの貴族の優越性を「血」に求めたブーランヴィリエであり、ここから市
民社会の形成段階における人種の思想を考察しようとするのである。

 次回からテクストに即した考察を始めるが、最後に、この講義のタイトル「社
会を守れ」について簡単に説明しておきたい。これは近代社会が監視と処罰の社
会(調教社会)から、生の権力の社会(統治と管理の社会)に移行する段階で生
まれたスローガンであり、社会にとって危険な個人を排除することで、「社会を
守る」必要があることを主張するものである。

 社会を守るためには、狂者、犯罪者、性的な「倒錯者」、政治的に危険な人物
を排除せよという考え方は、一九世紀後半にカント的な刑法理論を批判する形で
登場した新しい刑法理論を裏付けとするものであり、現代においても保安処分や
優生学の政策として生き続けている。フーコーは、これが戦争の論理、「敵を殺
せ」という論理と結び付いていると考えているわけである。
 この論理は、社会の純粋性を守るという人種主義な考え方とも通底してい
るのであり、現代の社会の生かす権力は殺す権力、差別する権力と同一のもので
あることをフーコーは指摘している(昨年末に邦訳がでたベルナール・アンリ・
レヴィの『危険な純粋性』の議論は、これを民族主義の観点から分析した書物だ
った。1996/12/24日の二木氏の書評も参照されたい)。

★「隷属した知」
 さて最初の講義でフーコーは、これまでのコレージュ・ド・フランスの講義と
この年度の講義の関連を説明している(フーコーは、新しい講義を始めるたびに、
こうした説明をするのが通例である)。フーコーはこれまでの講義が一貫性に欠
けていたものであることを(なかば申し訳なさそうに)告白する。

 フーコーは、ギリシアの貨幣制度について、精神医学について、セクシュアリ
テについて、告白の実践についてなど、これまで検討してきたさまざまなテーマ
が、ある一つのモチーフによって促されたものにせよ、講義としては散漫で統一
性に欠けたものとなったことを認めている。フーコーは、こうした講義は最初の
規定のコースに従わないことが重要であり、こうした講義を聞いた人々が、なん
らかの着想をえて、自分で作業を進めるためのヒントとなればよいと考えている
のである。

 しかしフーコーは、ある意味ではこれまでの散漫とした(ようにみえる)講義
にも、一つの統一性があると考えている。それは「隷属した知」の系譜学という
視点である。それではこの「隷属した知」とはなにだろうか。フーコーの説明は
すこしわかりにくいところがあるのだが、この「隷属した知」savoirs assujetis
(複数形に注意)という概念で、フーコーは次の二つのものを考えている。

 一つは、収容所、監獄、病院などの施設の機能の総体のうちに含まれる歴史的
な「内容」としての知であり、体系的な知としてすくい上げられることのないポ
ジティヴな知である。こうした知の存在は、こうした施設や慣行に対するローカ
ルな批判によって明らかにされてきた。フーコーはこうした批判の一例として、
現存在分析、ライヒやマルクーゼの批判、ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』
などをあげている。こうした知の存在は、こうした知識人による「批判」によっ
て浮き彫りにされてきたものである。

 もう一つは、科学としての知としての資格を認められていない知、科学性が欠
如した知、上記のような施設の当事者の知である。これは、精神医学の患者、病
人、犯罪者、医師や看護人の知である(1971年に設立された監獄情報グループは、
こうした知を知識人が代弁するのではなく、知の主体に自ら語らせようとするも
のだったことを思い出そう)。

 この二つの知に共通するのは、科学的で普遍的な知としての資格を認められて
いないことであり、こうした知の系譜学は、反・科学としての性格をおびる
(Soc:8)。これらの知は、正統的な方法論と技術に守られた伝統的な知に対する「叛
乱」としての性格をもつ知であり、こうした知がもつ「権力」に反抗する知なの
である。
  系譜学は、科学的なものとみなされたディスクールに固有の権力の効果
  に対して、戦いを挑む必要がある(Soc:10)

 フーコーは、マルクス主義、精神分析、テクストの記号論などが「科学」であ
るかどうかが長年の間の問題であったことを指摘しながら、系譜学の観点からは
マルクス主義や精神分析の欠陥は、それが科学性をそなえていないことではなく、
科学でありうることだと考える。精神分析やマルクス主義が科学であるかど
うかよりも、精神分析やマルクス主義が科学性を標榜しようとする野心こそ
を問題にしなければならないのではないか。

 問題は、精神分析やマルクス主義が科学であるかどうかではない。
 問題は、あるものを科学であると認めながら、どのような知には科学の資格が
ないと考えるか、自分のディスクールが「科学的なディスクール」だと自認した
際に、人はどのようなディスクールの主体、経験と知の主体を「科学的なディス
クール」の主体から排除するかにあるとフーコーは指摘する。

★「マイナーな知」の解放
 フーコーはここで「科学性」の問題を提起しているわけだが、これはドイツ観
念論以来の「学の基礎づけ」の課題と関連するテーマなので、しばらくフーコー
を離れて考えてみよう。科学が誕生したのは紀元前のメソポタミアやエジプトに
さかのぼるだろうが、ある知が科学としての資格をそなえているかどうかを判断
する基準の問題が考察されるようになったのは、カント以降だと考えることがで
きるだろう。

 科学的な知は、知そのものとしては以前から存在していたが、そもそもそのよ
うな知が可能であるのはどうしてかという問いは、「独断論的な眠り」から目覚
めたカントがはじめて提示したものだった。カントはコペルニクス的転回によっ
て、科学的な知の正しさの根拠を神の知から、人間の知に移行させた。神のよう
な無限の知をもてない人間は、物そのものを認識することはできない。しかし人
間が認識するものが現象の世界にすぎないからこそ、人間が現象の世界に適用す
る自然科学の知の「正しさ」が保証されるのである。

 しかしカントの認識の理論では、科学的な知の根拠づけの問いはまだ真の意味
で解決されていないと考えられた。人間がどのようにして外界の事物に対する知
識を獲得し、それを学として構築するかが明確になっていないと考えられたので
ある。カントを継いだフィヒテの『知識学』は、その問題を考察しながら、科学
の根拠を自我の明証性から演繹しようとしたものだった。

 その際にフィヒテが科学的な知の資格として提示した二つの基準が、その後も
科学的な知の基準として受け継がれるようになる。フィヒテはまず、一つの知が
学であるためには、合理的で組織的な体系として構築されていなければならない
考えた。断片的な知や経験的に知ではなく、一つの根拠から出発して、現象の全
体を説明することができる体系であることというのが、フィヒテが考えた最初の
基準である。この合理性の基準は、その知が内部的に矛盾のない一貫性のある理
論であるかどうかで判断できる。

 もう一つの基準は、それが現実との間で対応関係をもっている必要があるとい
うことである。たとえば海中に人間にはみえない生物が存在していて、その生物
の繁殖と生活の必要性によって、海の中の生物の全体の機構を説明する理論があ
ったとしよう(同じような理論はいくらでも存在する。フロイトのリビドーの理
論にもこのような性格があるのは、周知のことだろう)。

 この理論は、体系の内部では合理的であり、組織的であるかもしれない。その
意味ではこの知は学の最初の条件を満たすのである。しかしこの理論は、まった
くの荒唐無稽な理論であるかもしれない。実際には現実とはまったく無関係の理
論体系であるかもしれないからである。そしてこの現実との対応関係が存在する
かどうかは、通常はその知の理論を現実によって検証することができるかどうか
で判断できる。

 フィヒテの最初の基準は内的な矛盾がないかどうかという合理性の基準であり、
第二の基準は現実によって検証して、その正しさが判定できるかどうかという検
証可能性の基準である。ある知の「科学性」の基準としては、現在でもこの二つ
の基準が採用されていると考えることができるだろう。

 しかしフーコーがここで問題としているのは、ある知が実際にこのような科学
性をそなえているかどうかでも、知が科学性をそなえているかどうかを判断する
基準はなにかということでもない。知が科学があるかどうかとは独立した問題と
して、ある知がこのような科学性を自認した場合に、どのような権力的な効果が
発生するかということであり、特に科学的な理論を語る主体が、他者に対してど
のような権力的な効果を発揮するかである。

 フーコーは、科学的な知の内容についての判断よりも、その語用論的な側面に
重点をおくわけである。そしてこの観点からみると、ある知が科学性をそなえて
いるかどうかという基準そのものが、権力的な効果をおびていることがわかる。
トマス・クーンの『科学革命の構造』以来、ある知が科学的な知として認識され
る際の科学者の共同体の役割がクローズアップされるようになったが、フーコー
が系譜学で考察しようとするのは、このような科学性を自認する知から排除され
る知、あるいはこうした「科学的な」知に隷属した知の意味である。

 フーコーが指摘しているように、この歴史的でローカルな知、「隷属した知」
は、ドゥルーズなら「マイナーな知」と呼ぶものだろう(Soc:11)。ドゥルーズのマ
イナーな知とは、主要な言語の周辺で、「非領域化の影響」を受けているものだ
ったが。フーコーは科学という領域に属さない知、「隠語」のような知を「隷属
した知」と考える。

 そしてフーコーはこの知を「科学的な知」から解放し、それに固有の言葉を与
えようとする。フーコーはこうした知を科学的な知として「認定」しようとする
試みとは逆の方向で、このマイナーな知を復権させようとするのである。これは、
歴史的な知を「統一的で形式的で科学的な理論的ディスクールの強制」への「隷
属」から解放する試みである。フーコーの系譜学とは「反科学」なのである(SOC:10)。

 フーコーは、これまでの数年間の講義で展開してきた理論を振り返りながら、
こうした考察はこの系譜学の営みであり、科学的な知のヒエラルキーから逸脱す
る「隷属した知」を「戯れさせる戦術」(Soc:11-2)だったと位置づけている。これ
はフーコーが『言葉と物』で展開したエピステーメーの理論の考古学的な考察と
は、かなり異質な戦略である。

 フーコーは、系譜学的な考察が考古学的な考察と関連し、それを継承するもの
であると主張しながらも、ある断絶を認めている。時代と闘いの「顔」が変わっ
てきたために、新しい戦略が必要となってきたというのが、フーコーの診断であ
る。フーコーが監獄情報グループ(1971年以降)、『ピエール・リヴィエール』(1973
年)、『汚名に塗れた人々』(1977年のプロジェクト)、『エルキュリーヌ・バル
バン』(1978年)などで一貫して追求してきたのは、このような知のディスクール
に、その固有の地位を回復させることだったと考えることができる。


★権力分析のモデル
 さてフーコーはマイナーな知を掘り起こす系譜学的な営みの根拠を明らかにし
つつ、こうした知と対立する制度的な知を批判する。フーコーがここで考えてい
る制度的な知とは、マルクス主義、精神分析、精神医学である。フーコーは、系
譜学によって明らかにされてきたさまざまな問題に対して、こうした制度的な知
の側から正式な反論が一度もなかったことを指摘する。

 そしてフーコーは、系譜学的な権力の分析が、マルクス主義の権力の分析とは
異なることを強調しながら、マルクス主義の権力概念の「経済学主義」を批判す
る。フーコーによると、この経済学主義は、一八世紀の哲学にも共通したもので
あり、社会契約論の背景にあるものである。

 この社会契約論の背景として考えられているのは、たとえばロックの哲学だろ
う。ロックの哲学では、自立した経済人が自己の所有と安全を保持するために契
約を結ぶことによって、国家と社会が成立すると考えられていた。この契約に反
する専制に抵抗する権利がアメリカ革命の原理となったことを考えると、近代の
社会・政治哲学の背景には、財産を所有し、他者と交換を行う経済人の概念が存
在していることになる。

 フーコーは、政治的な権力の形成についての近代的なモデルは、「契約に基づ
く交換の秩序」に基づいたものであることを指摘している(Soc:14)。そしてこのモ
デルに基づいて権利は財産や富と同じようなものと考えられ、契約に従って交換
されたり、譲渡できるものと想定される。

 フーコーが考えているのは、ブルジョワやプロレタリアなどの支配階級が、生
産や統治の権力を所有するという考え方には、権力が経済的なモデルに従って所
有し、利用されるという前提を含むものだということだろう。さらにマルクス主
義では、革命の目的がプロレタリアートによる生産手段の所有にあることを考え
ると、権力というものが経済的な活動に基づいて規定されているとも言えるわけ
である。また上部構造論と下部構造論の考え方も、権力の「経済的な機能性」
(Soc:14)を示すものと言えるだろう。

 フーコーはこの問題を次の二つの問いの系列として考えようとする(Soc:15)。
(1)権力の存在理由の問い
*権力はつねに経済に従属したものでなければならないか。
*権力はつねに経済によって最終的なものとなるのか。
*権力の存在理由は経済の目的に奉仕することにあるのか。

(2)権力のモデル
*権力はつねに市場モデルで考える必要があるのか。
*権力は、契約または力によって譲渡したり、取得したりするような性格のもの
か。
*権力が経済的な装置と密接な関係をもっているのは事実だとしても、権力を分
析する他のモデルは存在しないか。

フーコーは権力が経済と分離できないものであることを認めながら、それを機能
的な従属関係と考えるのではなく、もっと別の分析の視角が必要とされていると
考える。そこでフーコーが提示するのが戦争のモデルである。


 実は経済のモデルよりも、この戦争と戦いのモデルの方が、現在では一般的な
のだが、フーコーは一八世紀の経済のモデルを一つの迂回路として示すことで、
この戦争のモデルを批判しようとするのである。

 まずフーコーは、経済主義的ではないいくつかの見方を示しながら、この迂回
路の入り口を示す。
(1)権力は与えられたり、交換されたり、取り戻したりするものではない。これは
行使されるものであり、行為においてしか存在しない。これは権力を貨幣のモデ
ルでみるのをやめようということである。
(2)権力は経済的な関係の維持としてではなく、力の関係として存在する。
 これは権力を力のモデルで考察しようとする考え方であるが、この力関係のモ
デルで十八世紀の経済的なモデルを批判する理論には、二つの道筋があるとフー
コーは考えている。

 まず最初の道筋は、権力とは力であり、抑圧するものだと考えるものである。
この抑圧という概念はまず、マルクス主義的な階級関係として考えられる。マル
クス主義はこの十八世紀的な経済モデルと、十九世紀的な抑圧モデルの両方を組
み合わせた哲学なのである。

 しかしフーコーはこれはマルクス主義に限定されるものではないことを強調す
る。「抑圧」という概念は、支配者が強制力をもって行うものであると同時に、
主体が意識をもって行うものでもあるからである。フロイトではこの抑圧は無意
識的なものをおさえ込む行為であり、病の原因であるものとして示された。そし
てライヒでは、性的な欲望の抑圧が病の原因であり、欲望の解放が必要だと考え
られる。フーコーは、これらも同じ抑圧モデルに依拠していることを指摘してい
る。

 もう一つの道筋は、権力は力関係であり、二つの力が戦う戦闘のようなものと
考えることである。これもマルクス主義に代表される考え方であるが、フーコー
はこれをもっと広く「ニーチェ的な」モデルと呼ぶ。おそらくニーチェの力への
意志の概念から名づけられたこのモデルは、クラウゼヴィッツの戦争の定義を借
りながら、権力とは別の手段で行われる戦争だと考えるのである。

 十八世紀の社会契約論は、戦争を前提としながら、その戦争を防ぐために契約
を締結した。そしてこのニーチェ的な権力モデルでは、権力関係とはこの「前提
された戦争」を平和のうちに遂行するものであり、権力関係は最終的には戦争に
よって解決されると考えるものである。

 フーコーは、マルクス主義の権力観に象徴的に示されるように、この二つの道
筋が結局は同じ場所にゆきつくのであり、抑圧する権力は平和な社会の内部で戦
争を続けるものであるという見方に到達すると指摘する。要するにこの戦争モデ
ルは、経済モデルを含み込む形でこれを克服しようとすると考えることができる。

 フーコーは、この戦争モデルを批判しながら、新しい権力モデルを構築しよう
とする。これがいずれ生−権力のモデルとして提起されることになるが、今年の
講義は、この権力は戦争であるという考え方について考察しながら、この生−権
力モデルを提起することを目的とする。