戦争のディスクール
−1976年度のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義
『社会を守れ』(三)
(中山 元)

★戦争と国家
 フーコーがコレージュ・ド・フランスで講義を行う際には、最初の二日はそれまでの年の講義を新しい年の講義の視点から位置付けるために費やされることが多い。そのために最初の二日間の講義は、方法論的な考察が中心となることが多いのである。

 そしてこの年もフーコーは、やっと三日目になってから、本題の戦争についての議論に入る。この新しい権力論、抑圧的な権利概念を批判するいわば関係論的な権力概念と戦争はどのような関係にあるのだろうか。
  戦争は、権力関係の分析の手段として、支配の技術のマトリックスとし
  て実際に役立つのだろうか(Soc:40)。

 もちろん戦争は政治そのものでも、権力関係そのものでもない。しかしフーコーは戦争は、こうした力関係が極限的な緊張にさらされた極端な事例として、「裸性における力関係そのもの」として考察することができると考える。「平和」な状態において国家と服従の秩序の風景の下に隠されている現実が、突然露呈するのが戦争だと考えるのである。

 これは、ナチスとスターリンのソ連における強制収容所のあり方が、西洋の政治的な理性の姿を極限において露呈すると考えるフーコーの考え方と一貫していることを確認しておこう。しかしそれだけではなく、フーコーはこの年の講義において、近代国家の誕生期における戦争のディスクールが、ある意味で国家の機構を規定するような役割を果たしたことを指摘する。

 具体的には、フーコーがこの年の講義で検討しようとする課題は、「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続に他ならない」(クラウゼヴィッツ『戦争論(上)』篠田訳、岩波文庫p.58)というテーゼに示されている考え方を逆転させながら、次のような問いを解明することにある。

a)戦争が権力関係において、権力関係のもとで機能していると考えるようになったのは、なぜか、そしていつからか
b)たえざる闘いが平和につきまとっていると考えるようになったのはなぜか、そしていつからか。
c)市民状態とは戦争状態であると考えたのはだれか。
d)平和を透かして戦争がみえると考えたのはだれか。

 歴史的には、中世から近代へと社会と政治の制度が転換する中で、国民国家という近代的に国家理論が誕生する際に、ある逆説的な事態が登場したということである。この逆説を先走って簡単にまとめてみると、封建国家においては国家の内部で日常的に存在していた「戦争」という事態が、国家の内部から国家の境界へと押し出されたことによって、戦争が国家のすべての構成員を対象とする「国民的な」事態となり、戦争と戦争についてのディスクールが、国家の機構そのものを規定するような力を発揮し始めるということだろう。

 これは、戦争が国家の内部で闘われる日常的な事態ではなく、国家の境界において、他の国家との間で闘われる非日常的な事態となることによって、国家の組織そのものにいくつかの変化が生じたことにも示されている。
−戦争の「国営化」。決闘が禁じられ、市民の間の武闘に代わる司法装置が登場したように、国民は国内で戦争をすることはできず、国家が他の国家との間で行う戦争に「参加」することだけが認められるようになった。
−軍隊の登場。戦争が封建諸候の間で行われるものではなく、対外的な戦争となったために、国家の装置としての軍隊が誕生した。これはジャンヌ・ダルクを助けてイギリスと闘ったジル・ド・レの軍隊と、フランス革命以降の国民軍を比較してみると、一目瞭然だろう。

 このように、中世においては日常的であった戦争が国境の外側に放逐されるという事態を背景に、戦争についての新しいディスクールが登場する。フーコーはこのディスクールが、これまでとは質の異なるディスクールであり、社会というものについての初めての歴史的・政治的なディスクールであること、戦争が社会関係の基礎となっていることを指摘するディスクールとして登場することを指摘する。

 歴史的な年代では、このディスクールが登場するのは17世紀のイギリスの市民革命の時代であり、17世紀末のフランスにおいて、貴族階級を抑えて兄弟な君主制が確立したルイ14世の時代である。このディスクールは、市民革命時代のイギリスと君主国家のフランスという時代に生まれるものであるために、両義的なものとならざるを得ない。それは両国において貴族制度が果たした政治的な役割の違いを考えただけでも明らかだろう。このディスクールは、リルバーンのように市民の権利を拡大しようとする方向に向かうものもあれば、人種差別主義と優生学の方向に向かうものもあるのである。


★武器としての真理
 フーコーは、近代社会の中で沈黙のうちの一つの戦争が戦われていると考える。これは一つには、フーコーの関係論的な権力論を別の形で展開したものと考えることができるだろう。社会の中で、社会のすべての成員は互いに他の成員と結び付きながら、暗黙のうちで「戦争」状態にある。

 ホッブスであれば、この戦争状態を防ぐために国家が必要だと考えるが、フーコーは近代の社会においては、国家とはこの沈黙の戦争の別名という意味ももつことを指摘する。「われわれは互いに他者と戦争の状態にある」「中立的な主体というものは存在しない」(Soc:44)とフーコーが語る際に主張しているのは、社会におけるこのような権力関係だろう。

 ホッブスの考えたように、戦争を否定するために国家が形成されるのではなく、国家の中に戦争が常駐する。国家がこのような権力関係そのものだとすると、法学者、哲学者、歴史家が語る物語は、すべての人に妥当する普遍的なディスクールという性格を失う。ディスクールの中に、対立関係、抗争関係、敵対関係がもぐり込む。普遍的な様相で語られた言語によって傷つけられる人がつねに存在する。意図していなくても、ディスクールは武器のような性格をおびるのである。

 こうしたディスクールが目指す真理は、もはや普遍的な真理という性格を帯びない。あるいは普遍的な真理という外見のもとで、ある固有の利益と利害を貫徹しようとする。このような国家と社会においては、普遍的な真理を語るものは、ある特定の利害関係のもとで語らざるを得なくなる。真理はその抽象性や普遍的の装いのもとで、なんらかの政治的な関係の網の目の中でしか可能でなくなる。

 真理は武器となる。この真理の政治学は、フーコーがこれまで統治性の概念のもとで繰り返し検討してきた課題だが、フーコーはこのテーマを今度は戦争というディスクールのもとで展開しようとするのである。語る主体とは、戦う主体である。

 この真理の政治学のテーマは、『啓蒙の弁証法』以来のフランクフルト学派の西洋の理性批判や、ハイデガーの形而上学批判と共通する点と、相違する点があることに注意したい。共通点としては、このフーコーのディスクールは西洋の理性と形而上学の全体を批判しようとすることがあげられる。そしてここでも、理性が理性を「戦う真理、武器としての真理」として批判する可能性はどこにあるかという問題が生じてくる。

 しかし同時に、フーコーのこの理性批判は、中世のピラミッド型の国家から、近代の市民社会へと移行する段階において、戦争についてどのようなディスクールが展開されるたかという歴史的な分析を進めながら、この理性批判を進めるという特徴をそなえている。この歴史的な分析において、フーコーの理性批判は『啓蒙の弁証法』やハイデガーの理性批判とは異なる位置を確保することができるのである。これがどこまで成功するかが、この年のフーコーの講義のもっとも興味深いところかもしれない。


★「戦う主体」のディスクール
 さてこの新しいディスクールの特徴は、これまでの普遍的な真理という「装い」をはぎ取って、それが偏頗なものであることを明確にしたことにあるが、この普遍性の主張を放棄したことによって支払わざるを得なかったものと、それによって得たものがある。

 それが支払った代価は、その真理がだれにとっても受け入れられる真理という正確を失ったことである。それはある人には真理であるが、他の人にとっては、「他人の真理」である。だからこのディスクールは、相手に受け入れられることを強要しなければならない。そのためにはさまざまな武器が使われることになる。それはレトリックであったり、力関係であったり、利益による誘導であったりするだろう。ともかく、それは「真理」としての威厳を失ったのである。

 その代わりにこのディスクールが獲得したいくつかの利点がある。それまでの哲学的な真理としての性格を放棄したことによって、この「戦う主体」のディスクールは、伝統的な真理が自明のものとして信じ込んでいたことを揺るがす機能を発揮した。これは批判的な真理としての性格を備えているのである。このディスクールは、自らが権力的なディスクールであることを自認することによって、哲学的に真理のディスクールが隠し持っていた暴力性をむき出しにした。戦うディスクールは、真理のディスクールが抑圧するディスクールであることを裏面から逆照したのである。

 すべての人に妥当する真理のディスクールが存在しないこと、自明な概念と考えられていたものが、その出自に疑問があること、哲学のディスクールも実は一つの権力のディスクールであり得ること。戦うディスクールは、そのことを暴き出す。このディスクールは、「真理」を批判するディスクールである。

 普遍性を放棄することでこのディスクールが獲得したもう一つの特徴は、真理の歴史性を考察できるようになったことである。普遍的な真理には、歴史が欠如している。時間的な要素を抽象できることが、普遍的な哲学の真理の重要な基準の一つであった。しかしこのディスクールは、「真理」というものには歴史的な性格があることを露にした。真理がいかにして時間の経過の中で構成されていくかという視点は、普遍的な真理を自称するディスクールには、あらかじめ拒まれていたものである。

 フーコーは、ヘーゲルの弁証法は、哲学においてこの戦うディスクールを採用したものに他ならないと考えている。『精神現象学』における意識の成長の歴史は、人間の歴史そのものと重ねられているが、このような意識の経験という視点が可能となるためには、こうした新しいディスクールが必要だったとフーコーは指摘する。
 
 ヘーゲルの哲学は、哲学の世界に初めて社会性の問題を導入したといってもよいと思えるが、それが可能となるためには、いくつかの条件が必要だったはずである。わたしはそのためにはホッブスとルソーからカントを経由してフィヒテにいたる社会契約論の議論が重要な役割を果たしていると考えている。

 社会契約論は、人間のある自然状態を前提として想定し、それに基づいていかにして社会あるいは国家が新たに可能となりうるかを考える。この契約を結ぶ主体とは、必然的にある利害関係をもつ主体であり、偏頗な主体である。社会契約論においては、この利害関係をもつ主体が、自己の利益を守ために、契約を締結することで社会と国家が可能になると考える。このディスクールは本質的に、戦争を回避することを目的としながらも、つねに他者に対していくさをしかけることを厭わない主体のディスクールなのである。

 フーコーがヘーゲルの弁証法と「戦う主体」のディスクールの間に本質的な結び付きが存在していることを指摘しているのは、炯眼だと思う。そしてマルクスの階級意識論とイデオロギー論が、ヘーゲルにおいて暗黙的に存在していたこの側面を明確に提示することになる。


★歴史と反歴史のディスクール
 フーコーは、この偏頗なディスクールは伝統的に、歴史のディスクールの性格であったことを指摘している。歴史のディスクールは、ヘロドトスとトゥキディデス以来、普遍的な真理を語るものではなく、「戦争」に勝利するためのディスクールという性格を強くおびてきた。

 ヘロドトスの『歴史』の重要な使命の一つは、ギリシア、特にアテナイの政治的な制度が、はるかに強力なペルシャの専制帝国に勝利し得たという「奇蹟」を説明することにあった。さらにトゥキディデスの記録したペリクレスの演説は、アテナイの民主制度がスパルタの制度にどのように優れているかを示すことを目的としていた。

 「戦争」が専制的な帝国とのものであれ、ギリシア内部のポリスの内戦であれ、ポリス内部の体制的な争いであれ、歴史のディスクールは一つの権力がどのようにして「正統」であるかを語ることを重要な役割としていることは、中国の正史の伝統を考えてみても、すぐに理解できるところだろう。

 フーコーは歴史のディスクールには、法律の強制力について納得させ、支配者の栄光を物語るという二つの重要な役割があったことを次のように指摘している。
  一つには、歴史、諸王、有力者、支配者、そしてその栄光の歴史を(あ
  るいはその一時的な敗北の歴史を)物語りながら、人々を法の継続性に
  よって合法的に権力に結び付けることを目的とする。そしてこの法の継
  続性は、権力の内部において、それが機能する在り方において示される。
  他方では、栄光、その手本と手柄のほとんど耐えがたいほどの強度によ
  って、これらの人々を魅惑することを目的とする。…歴史は、儀礼のよ
  うに、犠牲のように、葬儀のように、宴会のように、伝説の物語のよう
  に、一つの作動機構であり、権力を強化するためのものである(Soc:58)。
 近代にいたるまで、この歴史のディスクールが目的としたのは、権力の正統性をその伝統と法的な根拠によって示しながら、権力者の栄光を高めることだったと考えてよいだろう。歴史のディスクールの出自は、いわば裁きを下すジュピター的な歴史にある。

 しかしフーコーは、中世の末期、具体的には16世紀末から17世紀初めにかけて、新しい歴史のディスクールが登場することを指摘する。これは一つの国家の内部で、あるいは複数の国家や法の間を移動する「人種」のディスクールである。このディスクールは一つの重要な点で、それまでのジュピター的な「至高性のディスクール」とは異なるディスクールとなった。

 このディスクールは、主権と国民、君主と人民の間の同一化を否定するものであった。このディスクールは、帝国の統一的な歴史を物語る「大文字の歴史」ではなく、帝国の内部に細分化されたさまざまな「人種」の歴史を物語る複数の歴史である。そして一つの民の勝利の物語は、別の民の敗北の物語である。フランク王国の勝利の歴史は、ローマ帝国の支配下にあったガリアの住民の敗北と隷従の歴史である。

 この新しい歴史のディスクールでは、一つの法の歴史は、権力の正統性の歴史であると同時に、権力の敗北と喪失の歴史でもある。これまでは権力の正統性に注目してきたとすると、このディスクールはそれがもたらす暴力と簒奪の歴史に注目する。一つの民の勝利は、つねに他の民の服従を伴う。法律には、このヤヌスの顔が刻まれているのであり、新しいディスクールはこの法律の裏側の顔に光を当てるのである。これは、それまでの歴史のディスクールに対する「反歴史」のディスクールである。

注:Michel Foucault, "Il faut defendre la societe", Seuil/Gallimard,1997(Socと略記します)