生の権力
−1976年度のフーコーのコレージュ・ド・フランス講義『社会を守れ』(最終回)
(中山 元)


●生きさせる権力
 これまで革命にいたるまで、フランスの歴史のディスクールは、二つの階級、
二つの種の間の戦争の用語で考えられてきた。革命がこの対立を消滅させ、国民
国家を設立したわけだ。しかしフーコーが注目するのは、国民国家でこの人種の
概念が消滅するのではなく、人種差別として新しい装いで登場することである。

 フーコーは一九世紀の基本的な現象は、国が生に目を注ぐようになったことだ
と考えている。バイオ・パワーの登場である。伝統的な主権の理論では、主権は
臣民の生死の権利を握っていた。生死の権利とは、主権は臣民を死なせることが
でき、死なせない臣民は生きるがままにしておくということである。死を与える
のが、主権の権力である。臣民が生きることについては、権力は重視しない。

 しかし一九世紀になると、この政治的な権利に根底的な変動が生じるとフーコー
は考える。主権のこの権利は否定されるわけではないが、それと反対の権力の原
理が登場し、これを補うのである。この原理は「死なせるか、生きるがままにし
ておく」という主権の原理を逆転させ、「生きさせ、死ぬがままにしておく」権
力である。この権力は、国民に生を与えようとするのであり、死ぬのはやむをえ
ない場合に限るのである。

 この転換は一挙に生じたものではない。フーコーは一七世紀と一八世紀の社会
契約論において、すでに生の保護が問題となっていたことを指摘する。しかしフー
コーが重視するのは、政治哲学的な理論よりも、権力の技術の側面である。

 これについては『監視と処罰』で詳しく展開されているが、一七世紀末から一
八世紀を通じて行使されたのは、調教の技術である。この技術は、いかに効率的
に国民を訓練し、監視し、国民の力を吸い上げるかという視点から行使される。

 しかしフーコーは一八世紀の後半から新しい技術が登場することを指摘する。
これは調教の技術を廃止するものではなく、これを補い、これを統合する技術で
ある。フーコーはこれを管理の技術と呼ぶこともあるが、ここではバイオポリティッ
クの技術と呼んでいる。この二つの技術の関係はさまざまな議論を呼ぶところだ
が、フーコーはこれは別の次元にかかわるものであり、バイオの技術は調教の技
術のすべての手段を活用するものだと述べていることを確認しておこう。新しい
技術に代わると考えるべきではないだろう。

 このバイオの技術は、生きている人間の身体に向けられる。しかし調教のよう
に個人としての身体にむけられるのではなく、集団として、種としての身体に向
けられる。この技術の対象は、人間−身体homme-corpsではなく、人間−種
homme-especeである。この技術は、住民の個別の身体ではなく、人口として
みた出生率、死亡率、寿命などを対象とする技術である。人口統計学が誕生
するのが、この時期なのである。

 この技術については、『知への意思』で詳しく取り上げられているので、ここ
では簡略にすませたいが、この技術が駆使される分野は人口統計学だけではな
い。住民の健康と生にかかわるすべての分野、医学、衛生学、疫病学、都市学、
住宅建築学、気象学、保険学などがこの問題に関与してくるのである。

 フーコーはこの技術の登場によっていくつかの重要な変化が発生したと考えて
いる。まず、法の理論も調教の実践もかかわることのなかった新しい要素、新し
い「人物」が登場することである。法の理論では個人と社会だけを対象とする。
個人が社会契約を結び、社会が成立される。調教は、個人とその身体を対象とす
る。しかしこの新しい技術は、社会だけを対象とするのではないし、個人の身体
を対象とするのでもない。この技術の対象とするのは複数の身体、住民=人口
である。そして住民が政治的であると同時に科学的な問題、権力の問題で
あると同時に生物学の問題として登場する。

 またこの技術が対象とする現象は個人ではなく、群衆の次元であり、ある時間
的な長さを必要とする現象であるという特徴がある。これは偶発的であり、予見
できない現象でありながら、集団として把握するために、統計的にかなり容易に
確認できる現象である。

 最後にこの技術によって、調教の技術とはなったく異なる機能を果たすメカニ
ズムが発生する。このメカニズムでは、予測、統計的な推定、集団的な措置が必
要とされる。このメカニズムはある特定の現象や個人に手を加えようとはしない。
このメカニズムが目指すのは、統計的な傾向を修正することであり、たとえば出
生率を増大させ、死亡率を低下させ、平均寿命を長くすることである。このメカ
ニズムが目的とするのは、生を最適化することである。種としての人間の生物学
的なプロセスにおいて、規律ではなく、規制regularisationを実行することであ
る。「生きさせる」技術の登場である。


●近代社会の二つの権力
 アリエスの『死を前にした人間』では、中世までは日常生活のうちにありふれ
たもの、そして人々が集まり儀式のきっかけだった死が、近代にいたって隠すべ
きものとされたことを描いて説得力があるが、フーコーはこの生の権力の登場が
これに関係していると考えている。アリエスが、そしてフーコーが指摘している
ように、死はまっとも私秘的なもの、性よりも隠すべきものとなったのである。

 フーコーはこのように死が隠すべきものと感じられるようになったのは、さま
ざまな抑圧的な力によるものではなく、権力そのものの変化によると指摘する。
中世においては、死は権力がこの世の主権からあの世の主権に移行したことを示
すものであり、葬儀の壮麗さは、それを象徴的に示すものだという。しかし近代
にいたって、権力が「死を与える」権力から、「生きさせる」権力、どのように
生きるかを規制する権力となった。この権力が行使されるのは死に対してではな
く、死亡率に対してである。今や死は、個人がすべての権力から逃れて、もっと
も私秘的な領域に逃げ込む瞬間となった。権力はもはや死を「知らない」。権力
は死が来るに任せるだけである。

 フーコーはこれを象徴する例としてスペインのフランコをあげている。フーコー
はフランコが現代社会においてもっとも専制的であり、生と死の権力を行使した
血なまぐさい権力者であることを指摘する。ぼくはフランコの死に際してどのよ
うなエピソードがあったのか知らないので、フーコーが語る「ちよっとした楽し
い出来事」がなにを意味しているのか、よくわからないが、どうも科学的な処置
によって1ケ月の間、無用な苦痛を味わったらしい(死去は1975年11月20日、享年80
歳)。壮麗な死を望んだろうと思われるフランコが、医学の力で死ぬことを許さ
れず、生かされたというのは、たしかに皮肉なことではある。

 フーコーは調教の権力と生の権力が、ある程度の時間的なずれのもとで重層的
に存在していたことを指摘しながら、この二つの権力の対比をもう少し進めてい
る。片方の技術は調教的なものである。「これは身体に焦点をあて、個人を形成
する効果を発揮し、力の集まる場としての身体を操作し、この身体を有益で従順
なものとする」(SOC:222)。もう一つの生の権力の技術は身体ではなく、生に焦点
をあてる技術である。
  これは住民に固有の集団の効果を再編成し、生ける集団において発生する可能性の
  ある偶発的な一連の出来事を制御しようとする技術である。また確率を制御し、参
  照的にはこれを修正しようとする技術、いずれにせよその効果を補償しようとする
  技術である。これは個人を訓練することではなく、全体的なバランスによって、ホ
  メオスタシーのようなものを目指す技術である。内的な危険性に対して、全体の安
  全性を保障しようとする技術である」(Ibid.)。

 フーコーはこれらの二つの権力が登場したのは、伝統的な主権の権力では、
「人口統計学的な爆発と工業化を同時に進めていた社会の経済的および政治的な
身体」にはうまく機能しなかったためだと考えている。この主権の権力からは上
からも下からも、漏れてしまうものが発生する。微細な次元でも、集団的な次元
でも、対処できない要素がある。

 この微細な次元に対処するために登場したのが、調教の権力であり、この権力
は個人ひとりひとりに注目する。個人の身体に対する監視と処罰によって、個人
を統御しようとする権力である。フーコーはこれは登場が容易な権力であり、一
七世紀末からすでに学校、病院、兵舎、工場などで誕生していると考える。

 次に上からの次元、集団の次元を制御するために、第二の権力のメカニズムが
登場する。これは人間の集団に対する生物学的または社会生物学的なアプローチ
であり、調整と中央集中の複雑な器官が必要であったために、登場する時期が遅
くなったという。

 フーコーはこれを二つの系列で図示している。
○身体の系列:身体−有機体−調教−制度
○住民の系列:住民−生物学的なプロセス−規制するメカニズム−国家
 もちろんこの二つの系列は独立した進むものではない。制度のメカニズムは国
家の中に入ってポリスとなる一方で、国家のメカニズムは制度を包含するからで
ある。

●重層する二つの権力
 さらにフーコーは、この二つの系列が互いに相手の系列のもとで分節化される
ことを実例で説明している。フーコーはこの二つの権力の相互的な関係について
は、別の場所ではあまり語っていないので、ここは注目しておこう。

 第一の実例は、一九世紀に登場した都市計画である。労働者用の都市計画は一
九世紀から存在しており、いくつかの建築でも有名だったはずだ。フーコーはこ
うした都市の設計において、労働者の身体をどのように管理し、住居の内部の家
族の位置、部屋の中での家族の成員の位置などを制御する強調のメカニズムが存
在することを指摘する。個人の行動は規範化され、都市の空間的な配置そのもの
によって自発的に警察的な管理が実行される。一連の調教のメカニズムが、こう
した都市計画では顕著である。

 しかし同時に、都市の住民全体に対する規制と管理のメカニズムの存在も明ら
かである。住宅、その位置、住宅を購入するために節約させる方式、疾病保険や
失業保険のメカニズム、住民の最適な寿命を保証するための衛生システム、都市
が住民の性と生殖の行為に及ぼす効果、学校などの子供の世話などのすべてが、
規制する生物学的なメカニズムとなっているのである。

 第二の実例としてフーコーは性が一九世紀に戦略的に重要な位置を占めたこと
に注目する。まず性は身体的なふるまいとして、調教的な管理を引き起こす。こ
れは絶えざる監視のもとで、主体としての個人を形成させる役割を果たす。フー
コーは子供のマスターベーションが一八世紀末から非常に重視されたことをその
一つの例としてあげている。ヘルダーリンの神経衰弱なども、つい思い出してし
まう(笑)。

 しかし同時に性は生殖の機能を果たすために、個人の身体的な管理ではなく、
住民を構成する生殖行為という生物学的なプロセスという観点から、注目を集め
る。「性はまさに身体と住民の交差点である。そのために調教を招くと同時に規
制も招くのである」(SOC:224)。一九世紀において性の医学が重要な位置を占める
ようになったのは、性がこうした有機体と住民、身体と全体的な現象の両方にか
かわる位置を占めていたからだとフーコーは指摘する。

 性的な異常者は、すぐにさまざまな疾病にかかるとされた。これは身体のレベ
ルでの制裁である。しかし同時に性的な異常は遺伝すると考えられていたのであ
り、数世代あとに悪影響を及ぼすと考えられていた。フーコーはモレルやマニャ
ンの変質degenerescenceの概念が、こうした身体としての性と住民としての性の
結節点になったと考えている。そしてこうした医学的な理論に基づいて、個人の
疾病にかかわる医学と衛生学が、一九世紀からますます重要な役割を果たしはじ
める。医学は身体と住民の両方にかかわる学であり、規律や調教としての効果と、
規制としての効果の両方を備えた学なのである。

 ここでフーコーは、こうした学問の背景にあったのは規範normeの概念だと考え
ている。規範は調教したい身体に適用することも、規制したい住民に適用するこ
ともできる。規範化の社会とは、普遍的な調教の社会であり、調教する制度が全
体を覆うような社会であると同時に、住民を対象とした規制が覆う社会でもある。
ここでは調教と規制が互いに補いあいながら、社会が分節されることになる。

●生を与える権力の逆説
 しかしこの生の権力には一つの逆説が発生する。この権力は同時に、核兵器に
よって無数の人々を殺戮する社会である。生を保障する社会が、同時に殺戮の社
会となる。核兵器を使う社会は、主権的な社会であるが、同時に生の存続を目的
とする社会である。この逆説はどのようにして可能となったのだろうか。生を与
え、死は来るままにするだけの権力が、いかにして死を与えることができるのだ
ろうか。

 フーコーはここでかなり唐突に、人種の原理を導入する。フーコーは生を与え
る社会は、人種の原理なしには、本来の目的に反する殺戮という行為を実行でき
ないと考えるからである。それではこの人種の原理とはなにか。人種の原理は、
社会のうちに断裂を持ち込む。生きるべき人間と死ぬべき人間を分離させるので
ある。よい人種と悪い人種という生物学的な階層関係を導入することで、この生
の社会は生の原理を放棄せずに、死を与えることができるようになるのである。
権力は住民をさまざまな人種、集団に分離し、その生物学的な優劣を決定し、階
層構造を作り出す。

 しかしフーコーは人種には第二の機能があると指摘する。これは権力の側では
なく、住民の側で働く機能である。この原理は、他者を死なせることで、自分が
生きられることを、人々に教えるのである。この原理は「生きることができるた
めには、殺すことができなければならない」と語るのである。これは戦争関係の
登場である。

 しかしこの戦争は、近代の初頭の社会契約の原理の場合とは異なる戦争という
べきだろう。個人と個人が対立するわけではないからだ。人種の原理のもたらす
戦争はまったく新しい性質のものである。賭けられてするのは、生物学的な集団
だからだ。劣った種が死ぬほど、異常者たちがいなくなるほど、種に対する変質
が少なくなり、わたしはよりよくなり、優れた質の子供たちを残せると考えるの
である。劣った他者の殺戮は、自分達の種をさらに健康で、純粋なものとするの
である。

 この論理に従うと、戦うべき「敵」は政治的な意味の敵ではなくなる。住民に
とって危険な要素が敵としての意味をもつのであり、この敵は住民の外部にも、
内部にも存在する。生物学的な危険性は、実は住民の内部に存在する場合が多い
かもしれないのである。
  人種と人種差別、それは規範化の社会において死を与えることが受け入れら
れるための条件である。規範化の社会があるところでは、すくなくともその表面
において、第一になによりも生の権力が行使されるところでは、そこではだれか
を殺し、他者を殺害することができるための条件として人種差別が不可欠なもの
となる。国が生の権力の様式において機能し始めるとともに、国の殺戮機能は、
人種差別主義としてしか確保されえないのである(SOC:228)。

 だから生の権力においては、人種差別が非常に重要な機能を果たすことになる。
生の権力は、以前は伝統的な主権が正統性をもって行使していた殺害という古い
権力を行使するためには、人種差別を経由するしかないとフーコーは考える。こ
こでは「殺す」という言葉が、間接的な殺害、すなわち特定の人々の死の確率を
増大させること、政治的な権利の剥奪、排除なども含めて考えられていることに
注意が必要だろう。もちろん治安処分や、優生学的な処置を含めてのことである。

 最近はフランスなどで、出産前検診が保健の対象となっており、大多数の妊婦
が胎児の特定の障害の有無を調べていると聞く。障害が発見された場合には、産
まないことを選ぶ両親も多いだろう。これなどは、種を純粋で健康なものとして
いくための社会の戦略の典型と考えることができるだろう。

●生の原理と死の原理
 さてフーコーは、この人種の原理の必要性に基づいて、これまでは明確でなか
ったいくつかの点が解明できると考えている。最初の点は、生物学的な理論と権
力のディスクールの関係である。フーコーは進化論がもった政治的な重要性は、
この視点から理解できることを指摘する。

 ここで進化論というのは、ダーウィンの理論だけに限定するのではなく、スペ
ンサーを含めた社会進化論的な議論全体を含めて考えられている。進化のツリー
の頂点にたつホモ・サピエンスというイメージ、種の間の生存闘争という概念、
弱者の淘汰という考え方の全体が、一九世紀のある時点で政治的な意味を持ち始
める。

 フーコーは進化論的な議論が、政治的にあからさまな議論を隠すための手段と
して用いられただけではなく、植民、戦争の必要性、犯罪、狂気や精神疾患の現
象、社会の発展の歴史などを考えるためのツールとなったことを指摘している。
戦いや争いが発生すると、人々は進化論の用語でしか考えられなくなったという
ことだ。これは明治初頭の日本の政治的なディスクールにもかなりあてはまると
いってよい。

 次の点は、生の権力の社会において、人種差別主義が強力に発展した理由は、
この視点からしか理解できないということである。植民地において人々を殺戮す
ることができるためには、人種差別主義が必要だったし、進化論のような考え方
が必要だったわけだ。アメリカが発見された一五世紀には、キリスト教という宗
教が原住民を殺戮するための論拠になっていたが、一九世紀の植民地では、進化
論という姿の人種差別主義がその役割を発揮したということになる。これについ
ては、アレントが『全体主義の歴史』で描いたディズレーリの像を思い浮かべて
みるといいだろう。

 最後の点はこの時代における戦争の問題を理解するためにも、人種差別主義を
考える必要があるということである。フーコーは現代の戦争は、ある種にとって
生物学的な危険性をもたらす種の殺戮という原理に依拠していることを指摘する。
もちろんぼくはこのような原理によらない戦争もあると思うが、バルカンの人種
浄化運動やイスラム原理主義などが、宗教的な装いのもとで、こうした原理に動
かされているのはたしかだと思う。現代の戦争は、人種の戦争という意味をどこ
かで帯びざるを得ないようになっているのかもしれない。

 これに関連してフーコーは、この原理が自滅的なものとなる場合があることを
指摘しているのが興味深い。自分の種において死ぬひとが多ければ多いほど、種
の再生において純粋さが強まるという考え方が可能だからだという。不純な要素
をもつ仲間をできるだけ多数死なせれば、種は純粋になっていくからだ。ナチズ
ムの末期は、この典型的な例として理解することができるだろう。わずかでもユ
ダヤ人の血を引いている人々は、収容所に送られないまでも、劣悪な生活環境で
死ぬに任せられたのである。これはドイツ国民の自滅への道である。ここで生の
原理は死の原理へと変貌する。

 フーコーは、犯罪、狂気、精神疾患についても、この生の原理が人種の原理を
通過することで、排除の原理、間接的な殺害の原理に転化することを指摘する。
これらのテーマは、すでにさまざまな場所で取り上げられてきたが、フーコーは
生かすことを目的とする社会で排除が可能となることの背景に、「社会の危険」
という考え方が潜んでいることを指摘するのである。

●全体主義と人種の原理
 フーコーはこの人種の原理は、通常考えられているような人種差別主義とはか
なり異なったものに変貌していることを指摘する。反ユダヤ主義のようなイデオ
ロギーだけが問題なのではない。純粋性を尊び、異常をきらう考え方は、ぼくた
ちのうちにも潜んでいるが、その歴史および理論的な背景を考える必要があると
いうことだ。そして人種の原理は、こうした考え方の次元だけではなく、権力の
技術の一部にもなっているのである。

 フーコーは、殺戮する国は人種差別主義的な国であると考える。ナチズムはこ
の権力のメカニズムが「痙攣状態」にまで到達した実例だとフーコーは指摘して
いる。ナチズムはもっとも調教的な社会であるとともに、生の権力の社会でもあ
る。ナチズムでユダヤ人が迫害されただけでなく、同性愛者や障害者が迫害され
たのは有名である。フーコーは、ナチズムでは他の人種の殺戮だけではなく、自
らの人種を、「死の絶対的で普遍的な危険性にさらすこと」(SOC:231)を目的とし
ていたと語っている。

 ナチズムの社会は、生の権力を絶対的に普遍化した社会であると同時に、国が
臣下に死を与えるという伝統的な権力が貫かれた社会であるという二重性を特徴
とすることになる。これは「絶対的に人種差別主義的な国であり、絶対的に殺戮
的な国であり、絶対的に自殺的な国」(Ibid.)である。ヒトラーは敗戦直前に、ド
イツの工業施設とインフラストラクチュアの破壊を命じているのである。

 フーコーはこの人種の原理は、ナチズムだけではなく、「すべての国」で機能
しているものだと指摘している。資本主義社会だけでなく、社会主義の諸国でも
同じである。フーコーは社会主義国が設立される以前から、社会的な人種差別主
義が誕生していたと考えている。一九世紀はじめのフーリエのユートピア国家、
一九世紀末のアナキズム、すべての形式の社会主義に、人種差別主義の要素がみ
られるという。

 ぼくは悪しき情念を活用しながら理想的な共同社会を築こうとするフーリエの
ユートピア的な理論はなかなか傑作だと思うが、人間の「完全な美」を目指すユー
トピアの理論には、劣った要素を排除しようとする傾向が入り込むのは避けられ
ないことだろう。

 フーコーは社会主義の国家では、精神障害者、犯罪者、政治的な異論派に対し
て、生物学的な人種差別主義が行使されていることを指摘している。そしてソ連
ではこれらは同じカテゴリーとして扱われていたようだ。政治的な反対派は精神
障害があるに違いないし、犯罪者なのだとされていたようだから。

 フーコーが社会主義についてとくに注目するのは、経済的な議論では社会主義
は人種差別主義を必要としないが、敵との戦争、資本主義との対決という議論で
は、社会主義はつねに人種差別主義に頼らざるを得なかったということである。

 フーコーはこれについては実例をあげていないが、もっとも人種差別主義が顕
著だった社会主義の議論として、社会民主主義、第二インター、マルクス主義な
どではなく、ブランキの理論、コミューンの理論、アナキズムの理論をあげてい
ることが注目される。一九世紀末に社会主義的な人種差別主義がヨーロッパで活
発になるには、社会民主主義の誕生と、ドレフュス事件のようなきっかけが必要
だったとしても、それ以前からすべての社会主義者は、人種差別主義だったとい
う。そしてフーコーは、社会主義者が人種差別主義だったのは、近代の社会にお
ける生の権力のメカニズムに十分に注意しなかったためだと指摘していることは
示唆的である。

注:Michel Foucault, "Il faut defendre la societe", Seuil/Gallimard,1997
(Socと略記します)