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【書評】[050]ぼくたちとそっくりな世界
2002年11月5日(火曜)



【書評】三浦俊彦『可能世界の哲学』日本放送出版会、一九九七年
古代から太陽の反対側に地球と同じ星があるのではないかという夢が抱かれていたが、もしかするとぼくたちとそっくりな世界が別にあるのではないかという思いを、だれもがもったことがあるだろう。そんな世界は空間的にあるのかもしれないし、永劫回帰のように時間的にあるのかもしれない。そうした別の世界で、ぼくたちはいまとは違う暮らしをしているのだ。父親と母親が同じでも、…書評の続きはこちらに。

【書評】[049]デリダへの最適な入門書
2002年11月3日(日曜)



【書評】デリダ『言葉にのって』林・森本・本間訳
ちくま学芸文庫、筑摩書房、二〇〇一年一月
デリダがフランス・キュルチュールで一週間かけて行った長いインタビューに、ベンサイードとの対談と、「正義と赦し」というインタビューで構成された書物。最初のインタビューでは、デリダの自伝的な背景がよくわかるし、多数の論点がわかりやすく提示される。もちろんインタビューであるために、その哲学的な深みはみえないし、詳しく考えようとすると、デリダのテキストを読まざるをえない。だからデリダへの最適な入門書となっている。いくつかの論点を確認しておこう。…書評の続きはこちらに。

【書評】[048]ないものねだりでは
2002年10月27日(金曜)



【書評】ヒューバート・ドレイファス『インターネットについて』
石原孝二訳、産業図書、二〇〇二年二月
身体論によってコンピュータやインターネットを批判するドレイファスのインターネット批判。まあ相変わらずの手口(笑)。あまり進歩はない。この書物の要旨がまとめられているので、簡単にみておこう。「第一章 ハイパーリンクの限界。知的な情報検索に対する期待とAIの失敗。われわれの身体と形と運動は、世界の理解にとって決定的な役割を担っている。それゆえに身体性の欠如は、関連性を認識する能力を喪失させることになる」(9)。…書評の続きはこちらに。

【書評】[047]アレントのみぶり
2002年10月26日(木曜)



【書評】矢野久美子『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』
みすず書房、二〇〇二年二月
博論を書き直したというが、軽いエッセー集のような作りで好感がもてる。著者は、アレントの思考の「みぶり」を政治的な思考の場を作り出す動作としてみようとするようだ。最初の「亡命知識人アーレント」の章では、ドイツからアメリカに亡命することで。「根」を失ったアレントが、ドイツ的な教養ともユダヤ人としての出自とも一度切れた場所から、亡命者としての知識人としての自己を確立していった状況を描く。…書評の続きはこちらに。

【書評】[046]デリダの井戸
2002年10月25日(金曜)



【書評】上利博規『デリダ』清水書院、二〇〇一年四月

清水書院の「人と思想」シリーズの一冊。すこし変わっているのは、定例のように伝記的な説明を始める前に、著者によるテーゼが「はじめに」として掲載されていることだ。箇条書きになっているテーゼをみてみよう。 −デリダの思想の核心は決定不可能性にある。書評の続きはこちらに。

【書評】[045]ユダヤ教の弁証法
2002年10月24日(木曜)



【書評】関根正雄『イスラエル宗教文化史』岩波書店、一九五二年
ずいぶん前の本だ。もうごく常識的な見方になっているのかもしれないが、関根はこの書物で契約と律法を軸に、ユダヤの原初的な宗教、イスラエルの宗教、体系的なユダヤ教と弁証法的な変身をとげながら、キリスト教においてその本来の意図を実現したことを示そうとしている。この書物の特徴は二つあるだろう。一つは、…書評の続きはこちらに。

【書評】[044]ラジオ体操という仕掛け
2002年10月23日(水曜)



【書評】黒田勇『ラジオ体操の誕生』青弓社、一九九九年
日本でラジオ体操が導入されたのは、世界的にみてもかなり早い時期だったという。ぼくも子供の頃には、夏休みには毎朝近くの小学校に通って、お姉さん(笑)たちに出席の判子を押してもらっていたものだ。毎朝の朝顔の観察とともに、夏休みの淡い記憶の一つである。いまでもからだで第二は覚えていると思う。この体操は一九一二年の昭和天皇の即位の記念に、「国民的な事業」を起こしたいと、簡易保険局が考案したものだそうだ。もちろんその背景には…書評の続きはこちらに。

【書評】[043]ダイナブックの夢
2002年10月22日(火曜)



【書評】『アラン・ケイ』鶴岡雄二訳、浜野保樹監修
アスキー出版局、一九九二年
パソコンという概念を作り、実際にぼくたちがいま使っているようなパーソナル・コンピュータを生み出すために貢献したアラン・ケイが発表した文章の翻訳、コンピュータの初期の頃のさまざまなハードウェアの写真、アラン・ケイの評伝で構成された書物。ケイと、コンピュータの開発の初期の時代について学ぶためには手軽で役立つ一冊だ。ケイは著書を発表しなかったために、ケイの論文を集め、写真の版権を取得するまでに、かなりの時間と費用がかかったらしい。なによりの証拠は、…書評の続きはこちらに。

【書評】[042]装置としてのキリスト教
2002年10月21日(月曜)



【書評】リサ・ビーマー、ケン・アブラハム『レッツロール!―9.11夫からのファイナル・コール』
中嶋 典子訳、いのちのことば社フォレストブックス、二〇〇二年九月
ご存じの911テロでテロリストたちと闘って、ユナイテッド航空93便を墜落させた乗客の一人が残した未亡人リサ・ビーマーが、著名な童話作家ケン・アブラハムの手を借りて著した「感動の手記」。大学でのすれちがいやデートの話から、子供が生まれ、海外旅行から帰ってきて、運命の飛行機に搭乗し、あっさりと亡くなるまでを語った後に、友人たちの慰め、夫が亡くなった状況の再現によって、話が続けられる。…書評の続きはこちらに。

【書評】[041]中世ユダヤ哲学の質問集
2002年10月20日(日曜)



【書評】『ユダヤ思想二』岩波講座東洋思想、岩波書店、一九八八年
ユダヤ思想の二巻目は、いよいよ本格的なユダヤ哲学についてである。井筒俊彦「中世ユダヤ哲学史」、ヨセフ・ダン「ユダヤ神秘主義」、平岩善司「ユダヤ教におけるメシア理念」の三本で構成される。どれもわかりやすいし、ていねいにポイントを提示している。こうした教科書的な本では、書評というのもあまり合わないので、質問集という体裁にしてみよう。…書評の続きはこちらに。

【書評】[040]淡々と語られる創世記
2002年10月19日(土曜)



【書評】フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』第一巻
秦剛平訳、筑摩書房、一九九九年
ヨセフスの『古代誌』はいぜんは山本書店から出版されていたが、冊数も多く、なかなかとっつきにくかった。それが詳細な注を省いて合冊本として編集され、学芸文庫で六冊本として出版されたのはうれしい。訳者によると、世界でもっとも販売部数の多い本はもちろん聖書だが、それにつぐのがこの『古代誌』だという。聖書の解説本として読まれるらしい(二番目は『資本論』だと聞いたこともあるが、どっちも眉つばかも(笑))…書評の続きはこちらに。

【書評】[039]啓蒙の苛烈さ
2002年10月18日(金曜)



【書評】ドルバック『自然の体系』第二部
高橋安光/鶴野陵訳、法政大学出版局、二〇〇一年一一月
戦闘的な啓蒙思想家で、フランス革命の直前に亡くなったドルバックの主著の二巻目。第一部では、自然について、その運動法則、秩序、自然のうちに人間の精神のありかた、人間の自由の体系、人間の幸福、人間の悪を癒す方法など、自然学の理論が展開されている。この第二巻では、この自然学の理論に基づいて、キリスト教を中心とした痛烈な宗教批判が展開される…書評の続きはこちらに。

【書評】[038]人間の育種から超人へ
2002年10月17日(木曜)



【書評】スローターダイク『「人間園」の規則』
仲正昌樹訳、御茶の水書房、二〇〇〇年八月
スローターダイクがエルマオ城で行った講演だが、ニーチェ由来の「育種」などの概念が提示されていて、あたかも人間の遺伝子操作で「超人」を作る必要があるかのように(悪意で)とられて、激しい批判をうけた書物だ。批判の先鋒はハーバーマスで、スローターダイクが「批判理論の終焉」を宣言することになる論争の経緯は、…書評の続きはこちらに。

【書評】[037]現代文学理論の見取り図
2002年10月16日(水曜)



【書評】土田・神郡・伊藤『現代文学理論』
新曜社、一九九六年
新曜社のワードマップ・シリーズの一冊。現代の文学理論の簡単な見取り図が手に入る。ぼくも哲学などの分野でのマップ作りを検討しているので、参考になる。概念や思想家の隠れたリゾーム的なマップを描き出そうという試み。一人の思想家を軸にするのもおもしろいかなと考えている。閑話休題(笑)。この書物では「構造主義詩学の展開」「文学理論の記号論的転回」「社会のなかの文学」「テクスト理論の諸相」「新たな理論展開に向けて」の五つの章で、現代の批評理論をとりあげている。カルチュラル・スタディーズまで言及されているので、いまの文学理論のほぼ縮図といってよいだろう。書評の続きはこちらに。

【書評】[036]ヘブライとギリシアの思想の対立
2002年10月15日(火曜)



【書評】『ユダヤ思想一』東洋思想講座第一巻
岩波書店、一九八八年
岩波の東洋思想講座のユダヤ思想の第一巻で、序としての関根政雄「イスラエル・ユダヤ思想」と、第二部「ユダヤ思想の展開と特質」として、並木浩一「旧約聖書の思想的構造」、関根「旧約聖書における言語・文学・思想」、村岡祟光「七十人訳聖書」、野町啓「ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ思想」、市川裕「タルムード期のユダヤ思想」と、ほぼ時間的な順序で並ぶ。書評の続きはこちらに。

【書評】[035]グローバリゼーションの地政学
2002年10月14日(月曜)



【書評】金成浩『アフガン戦争の真実』
NHK出版、二〇〇二年七月
アフガン戦争の真実といっても、ブッシュのやった「コジュケイ退治」(笑)ではなく、ソ連のアフガニスタン侵略の真相を、公開された情報から追跡し、分析する書物。ついでに同時期のポーランド介入の問題を、チェコ侵略と比較しながら、ソ連がヨーロッパの国とアジアの国をどのように区別して、侵略したり、侵略しなかったりを決定するかを浮き彫りにする。書評の続きはこちらに。

【書評】[034]政治的な正義のありか
2002年10月13日(日曜)



【書評】岡野八代『法の政治学』青土社、二〇〇二年七月
ハンナ・アレントやデリダの政治思想をてがかりに、法の問題を考察するが、法哲学的な考察ではなく、現実の場での法の政治性を浮き彫りにしようとする。最初の章「法とフェミニズム」では、これまで法外な者として扱われてきた女性の法的な権利の要求から始まったフェミニズムの運動が、いくつかの転換点をへて、見失ってしまったものを考察する。その際に、アレントが『全体主義の起源』において法のもつ暴力性や差別性を暴こうとしながらも、「自然なもの」というカテゴリーを導入することで、その試みに失敗したという指摘は首肯できる。書評の続きはこちらに。

【書評】[033]「中間考察」のアクチュアリティ
2002年10月12日(土曜)



【書評】マックス・ウェーバー『宗教社会学論選』
大塚久雄、生松敬三訳、みすず書房、一九七二年
これもかなり古い本の再読。『プロテスタンティズムの倫理…』や『古代ユダヤ教』をふくむウェーバーの『宗教社会学論集』のうち、序言、序論、「儒教と道教」の結論部分、有名な中間考察を邦訳した手頃な一冊である。他の部分も別の形で翻訳されているのでウェーバーの宗教社会学の全貌は一応は把握できる形になっている。序論ではカリスマ型などの有名な指導者類型論が宗教をてかがりに説明されていて、わかりやすい。書評の続きはこちらに。

【書評】[032]門と存在論
2002年10月11日(金曜)



【書評】フェリックス・ガタリ『〈横断性〉>から〈カオスモーズへ〉』
杉村昌昭編訳、大村書店、二〇〇一年八月
杉村がガタリのインタビューや追悼記事を集めて翻訳した書物であり、ガタリの著書ではない。それでもガタリの思想的な片鱗がとてもはっきりとみえて、わかりやすい。ドゥルーズとのいくつかの共著は、もしかしたらガタリの側から入るのが理解しやすいのかもしれない。ドゥルーズが語っているように、ドゥルーズは概念を提示し、ガタリはダイヤグラムのようなものを提供したからだ。…書評の続きはこちらに。

【書評】[031]妖精の言語理論
2002年10月10日(木曜)



【書評】中沢新一『イコノソフィア』
河出書房、河出文庫、一九八九年
中沢新一がさまざまな文化における「イコン」について語り下ろした一冊。マンダラ、天使画、夢、コンピュータ・グフィックスなど、さまざまな分野で、象徴的な領域と、現実の領域が触れ合う「イコン」を探求する。イコンがここでごく広義に語られていることは、「近代の歴史はイコンの解体の歴史でした」(8)という記述や、「わたしはただ、イコンを完成するためにきた」というイエスのパロディの表現からも明らかだろう。書評の続きはこちらに。

【書評】[030]やまとことばの声の世界
2002年10月9日(水曜)



【書評】姜尚中『ナショナリズム』
岩波書店、二〇〇一年、一〇月
ナショナリズムの理論的な考察ではなく、日本の江戸から戦後までの国体論を軸にして、日本のナショナリズム論の諸相を歴史的に考察した書物である。ほとんどデリダの現前の形而上学批判がそのまま的中しそうな宣長のやまとことば信仰が、戦前の教育勅語と軍人勅語、そして和辻の文化的な愛国論まで、いかに脈々と流れているかを説得力をもって描き出している。……書評の続きはこちらに。

【書評】[029]インターネットと公共性
2002年10月8日(火曜)



【書評】吉田純『インターネット空間の社会学』
世界思想社、二〇〇〇年七月
インターネットの空間というのは、奇妙な空間であり、これまでになかったさまざまな現象が発生している。その意味ではまだまだ多数の「社会学」的な考察が必要とされるだろし、次々と発表されているところでもある。ただこの書物は、たんにインターネットまざまな現象を社会学的に考察するというのではなく、……書評の続きはこちらに。

【書評】[028]神智学の功罪
2002年10月7日(月曜)



【書評】ルドルフ・シュタイナー『世界史の秘密』
西川隆範訳、水声社、一九九二
シュタイナーの神智学の一冊。神智学にはこれまでほとんど触れてこなかったので、なかなかおもしろく読んだ。ドイツのワイマールで泊まったホテルが、シュタイナーがしばらくすんでいた住居を改造したもので、とてもいいホテルだった。シュタイナーの住まいの好みには敬意を払う。書評の続きはこちらに。

【書評】[027]修道院めぐり
2002年10月6日(日曜)



【書評】村上春樹『雨天炎天』新潮文庫、一九九一年
今野國雄『修道院』岩波新書、一九八一年
どれも古い本だ(笑)。今野のはまっとうな修道院の歴史。村上のは旅行記。雨天がギリシア正教の聖地アトスの修道院めぐりで、炎天がトルコ一周の旅だ。村上がなぜ「道はあくまでも険しく、天候はあくまでも厳しく、食事はあくまでも粗食」の旅にでたのか、どうも不明。厳しい旅行が好きなのだろうか。本人も宗教にはあまり関心がないというように、修道士たちの営みはあまり描かれず、修道院の描写もごくあっさりとしたものだ。書評の続きはこちらに。

【書評】[026]二重の幻想
2002年10月5日(土曜)



【書評】テリー・イーグルトン『ポストモダニズムの幻想』
森田正典訳、大月書店、一九九八年
文芸評論家としても名高いイーグルトンのポストモダン論。ただしポストモダンの思想家を個別に考察するのではなく、世間で考えられているポストモダン像を批判するという方法をとっているために、良いところと悪いところがあるのはしかたのないところだろう。書評の続きはこちらに。

【書評】[025]身体の内挿、世界の外挿
2002年10月4日(金曜)



【書評】石井誠士『癒しの原理』
人文書院、一九九五年
最近は臨床哲学とも呼ばれることの多い分野での人間学的な考察。一九九五年とかなり前のことになるので、人間学的にみて、もはや乗り越えられた地平のもとでの発言が多いという印象をうけるが、医学の分野で「癒すことの」哲学を真摯に考えた文章が集められている。書評の続きはこちらに。

【書評】[024]流動する近代
2002年10月3日(木曜)



【書評】ジークムント・バウマン『リキッド・モダニティ』
森田典正訳、大月書店、二〇〇一年六月
これまでポストモダンについての考察を重ねてきたバウマンの「総決算」(訳者)の書物。解放、個人、時間/空間、仕事、共同体の五つのテーマについて、固体のソリッドな近代が、液体の流体的な近代にどのように変わってきたかを分析する。書評の続きはこちらに。

【書評】[023]知のデザインの構想
2002年10月2日(水曜)



【書評】
ドイツのメディア論者のボルツが、書物という媒体の後に登場したハイパーメディアについて論じた書物。第一章の概論で、コミュニケーションを通じてどのように近代が発展したきたかを探る。とくにゲーテの『親和力』における手紙や会話の分析などがおもしろい。手紙が「愛を交わすための郵便システム」となり、会話が誤解のカスケードとして進展するところなど、あたり前と言えばあたり前なのだが、うまい。書評の続きはこちらに。

【書評】[022]サイキック考古学
2002年10月1日(火曜)



【書評】ステファン・シュウォルツ『アレクサンドリア・プロジェクト』
幾島幸子訳、工作舎、一九八八年
タイトルにひかれて出版社で注文したところ、まったくの予想外れだった一冊(笑)。インターネットで購入すると、こういうことはかなり頻繁にあることだ。アレクサンダー大王の謎と古代都市計画というサブタイトルで期待したのだが、内容はサイキック考古学。超能力者に地下になにが埋蔵されているかを当てさせることで、…書評の続きはこちらに。

【書評】[021]菜食主義という万華鏡
2002年9月27日(金曜)



【書評】鶴田静『ベジタリアンの世界』人文書院、一九九七年
ベジタリアンとして『クックブック』や『文化誌』の著作のある著者が、文学や哲学の世界を渉猟しながら、ベジタリアンの主張や記録を紹介した著作。一章「知と聖の饗宴」では、ピュタゴラスに始まり、修道院の戒律までを取り上げる。第二章の「最後の晩餐の献立は?」では、最後の晩餐の絵の再現から、中世からルネサンスの世界での食事を推理する。…書評の続きはこちらに。

【書評】[020]ナショナリズムの解読のために道しるべ
2002年9月26日(木曜)



【書評】『ナショナリズム論の名著50』
大澤真幸編、平凡社、二〇〇二年
大澤氏が編者となって、ナショナリズムのさまざまな論考を集めたもの。日本と外国の文献について、15枚ほどの解説と数枚の読書案内がつけられている。日本の文献については、田辺元の「種の論理」から加藤典洋の『敗戦後論』まで、戦前から現代にいたる日本のナショナリズムの流れが一覧できるようになっていて、便利だ。ちなみに田辺の解説は酒井直樹であり、加藤の解説は姜尚中である。…書評の続きはこちらに。

【書評】[019]イスラム原理主義と緑の資本論
2002年9月25日(水曜)



【書評】中沢新一『緑の資本論』集英社、二〇〇二年五月
同時多発テロに触発されて中沢が発表した文章が中心となっている書物だが、ぼくはいかにも中沢らしい「モノとの同盟」の文章が、疲れなくて(笑)気にいっている。物部氏の没落の物語から、タマとモノの民俗学の重要性をとくあたり、論理は飛躍しながら、ある軽さがあって読みやすい。生命現象がゲノムに、心が脳に還元されてしまいがちな現代において、こうした還元や操作を受け付けないモノの領域の考察する「唯物論」と民俗学がいまや重要となっているのはたしかだと思える。…書評の続きはこちらに。

【書評】[018]魔術師イエス
2002年9月20日(金曜)



【書評】松本宣郎『ガリラヤからローマへ』
山川出版社、一九九四年月
キリスト教の生誕の場であるガリラヤから、ついに国教として認められるローマ帝国までのキリスト教の歴史を描く。とくにキリスト教が最初の頃に東洋の異教のように思われていた時代から、迫害の時代をへて、ローマ社会の隅々に浸透していく様子が、細かに描かれる。迫害論を専門とする著者だけに、とくに迫害について記述は詳しい。…書評の続きはこちらに。

【書評】[017]あとがきにいちゃもん
2002年9月18日(金曜)



【書評】岩田靖夫『神なき時代の神』
岩波書店、二〇〇一年二月
えーと(笑)。この本はキルケゴールの神概念とレヴィナスの神概念についての周到な考察である。最初のキルケゴールの章におけるソクラテスの扱いには少し異論があるが、キルケゴールの神概念が「上位にある者」としての神のケノーシスという契機をそなえていることには、説得力がある。レヴィナスについても「顔」について、「脆弱性」について、時間論について、わかりやすく、ていねいな考察が行われている。…書評の続きはこちらに。

【書評】[016]比喩で読み解くナショナリズム
2002年9月16日(水曜)



【書評】アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』
加藤節訳、岩波書店、二〇〇〇年
ナショナリズム論としては古典的な一冊。比喩がうまい(笑)。最初の比喩で、この本は以前に読んだことがあるのを(忘れていたのを)思い出した。いくつかの比喩で論旨をたどってみよう。□「農耕人は腐食しやすい金属でできている」(31)。農耕社会では、均質化がすすんでいないために、…書評の続きはこちらに。

【書評】[015]現代日本の困難な問題
2002年9月15日(日曜)



【書評】大澤真幸・金子勝『見たくない思想的現実を見る―共同取材』
岩波書店、二〇〇二年四月
さてさて、書評ということの困難な書物ではある。大澤がレトリカルに問い掛けているように、現代の日本の抱える困難な問題の現場を「足で」歩いたインタビューの感想は、想像力だけで対処できるかと問われれば、できないと答えざるをえないし、だからこそ、こうしたルポと考察の書籍が大きな意味をもつからだ。この書物は、沖縄、高齢者医療、過疎地、韓国、失業という現代の社会問題の難所を探るために、二人の著者が現地を訪問し、インタビューを重ねて発表したルポと、…書評の続きはこちらに。

【書評】[014]身体と錯綜体
2002年9月10日(火曜)晴れ



【書評】市川浩『〈私さがし〉と〈世界さがし〉』(岩波書店、一九八九年)
先日亡くなった市川浩の「身体芸術論序説」。おおきくわけて二つの部分で構成される。著者が長年をかけて模索してきた身体論を風土論的な方向に延長した部分と、現代の芸術の読解の部分である。現代芸術についての分析の文章は、現代芸術の試みを巧みに語るもので、いかにも長年の芸術の「味きき」をしてきた書評の続きはこちらに。

【書評】[013]首相とレストラン
2002年9月9日(月曜)晴れ



【書評】福田和也『いかにして日本国はかくもブザマになったか』
文芸春秋、二〇〇二年七月
ぼくにとってはあまり親しみのある著者ではない。とくに「いかにして日本国は卑小になったか」という文章には首を傾けた。著者は平成の日本人が「自らの運命を、自分の手で切り開く、ユニークな意志と活力を持った国民であることをやめてしまいました」と慨嘆する(16)。しかしもしも書評の続きはこちらに。

【書評】[012]哲学と処世術
2002年9月7日(土曜)曇り



【書評】アンドレ・コント=スポンヴィル『愛の哲学、孤独の哲学』
中村 昇、小須田 健、C・カンタン訳、紀伊国屋書店、二〇〇〇年七月
うーん、どうも苦手なんだな、この手の本は。だったら書かなければ良さそうなものだが、読んだものには感想を書くことを決めているので、仕方ない(笑)。書評ではなく、感想として読んでほしい。なぜ苦手かというと、対話の相手が多くの場合、若い女性のようで、哲学者ははにかみながら自分の思想を語り、対話の相手を励ますという雰囲気になっているからだ。どうも脇の下がこそばゆい(笑)。大ベストセラーになった『ささやかながら徳について』を読んでいないので、書評の続きはこちらに。

【書評】[011]記憶と疎通
2002年9月6日(金曜)曇り



【書評】池谷裕二・糸井重里『海馬』朝日出版社
糸井の「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトを軸にした「ほぼ日ブックス」シリーズの第二弾のうちの一冊。脳生理学の研究者で記憶について、海馬を研究している池谷と糸井の対話という形で、池谷の研究と海馬の特徴が語られる。人間の記憶というものは不思議なものだとつねづね思っていたが、この対話を読んで少しだけわかってきたような気がする。書評の続きはこちらに。

【書評】[010]若者と老人
2002年9月2日(月曜)晴れ



【書評】長谷川博隆『古代ローマの若者』三省堂
三省堂の「歴史のなかの若者たち」というシリーズの一冊目。このシリーズはヨーロッパ、江戸、清末の中国、世紀末のドイツ、インドなど、さまざまな地域と時代での若者像を描くというユニークな企画だ。この書物はローマ時代における若者像を考察する。書評の続きはこちらに。

【書評】[009]人間の裸出性
2002年8月28日(水曜)晴れ



【書評】ジャン・リュック・ナンシー『哲学の忘却』大西雅一郎訳、松籟社、二〇〇〇年一一月
最近ナンシーの著書を勢力的に翻訳している大西氏と松籟社の組み合わせの一冊。瀟洒な作りで、ナンシーによる日本版の序文もうれしい。序文でナンシーが語っているように、この書物はフランスの一九六八年「革命」の頃の思想に対する反動が強まった時期に、フランスにおける哲学の「忘却」を批判した書物だ。具体的には、教育大臣になったフェリーとルノーの共著『六八年の思想』や、二人を中心として個人主義的で復古的な思想に対する批判と考えることができる。書評の続きはこちらに。

【書評】[008]神の言葉の「器」
2002年8月27日(火曜)晴れ



【書評】木田献一『古代イスラエルの預言者たち』清水書院、一九九九年
雨宮慧『旧約聖書の預言者たち』平凡社、一九九七年

この二冊の書物はいずれも、古代イスラエルの予言者の言葉と行いを解説したものだが、それぞれに特色がある。まず木田氏は旧約研究者であり『旧約聖書概説』『旧約聖書の預言と黙示』『イスラエル予言者の職務と文学』などの著書がある。『古代イスラエルの預言者たち』は新書版ではあるが、モーセに始まり、黙示文学にいたるまでの古代イスラエルの預言と黙示が体系的に提示される。書評の続きはこちらに。

【書評】[007]理性の弁神論
2002年8月25日(日曜)晴れ


【書評】村上淳一『仮想の近代 西洋的理性とポストモダン』東京大学出版会、一九九二年

法学に造詣の深い村上氏のモダニティ論。論文集であるが、ドイツの近代の誕生以降のシーンとポストモダンの感性の近さを説いていて、おもしろい。さらに理性批判の道筋について、ドイツのさまざまな論文を検討しながら考察しているので、いろいろと考えさせてくれる。最初の導入の章に続いて、第二章ではドイツのポリツァイの社会と文化のあとで、これに対抗する理論としてシラーの美的教育論が生まれ…。書評の続きはこちらに。

【書評】[006]身体、預言、絶対者
2002年8月23日(金曜)曇り


【書評】E・R・ドッズ『不安の時代における異教とキリスト教』
井谷嘉男訳、日本基督教団出版局、一九八一年

『ギリシア人と非理性』の著書で有名なドッズが、異教とキリスト教の共存した時代に、キリスト教とその他の宗教が人間、ダイモーン、神とどのような関係を結んだかを考察する書物。ヘブライとギリシアを宗教という視点から比較考察する。 まず「人間と物質的な世界」の章では、魂と肉体の関係に焦点をあてながら、異教とキリスト教の違いを考察する。禁欲とアスケーシスは二つの世界でどのように実践されたか、性はどのように扱われたか。書評の続きはこちらに。

【書評】[005]博愛のユートピア
2002年8月20日(火曜)晴れ


【書評】ジャック・アタリ『反グローバリズム 新しいユートピアとしての博愛』近藤・瀬藤訳、彩流社、二〇〇一年一二月
アメリカの同時多発テロの直後に翻訳が刊行されることになったアタリの反グローバリズム論。欧州復興銀行の初代総裁なども歴任しているアタリだけに、グローバリゼーションの帰結についてはよく考えている。アタリはまず、このままグローバリゼーションが進行して誕生する「黄金時代」を想定する。書評の続きはこちらに。

【書評】[004]オタク系文化の構造
2002年8月19日(月曜)雨


【書評】東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社現代新書、二〇〇一年

この書物は、デリダ論『存在論的、郵便的』の著書のある東のオタク論であり、日本社会論である。東はオタクという現象が現代の日本の文化の重要な特徴の一つとなっていると考える。ぼくもそうだろうと思う。世界に誇る日本文化はいまや、オタクという奇妙な言葉でまとめられるような文化になっているからだ。この書物の分析の根底にはあるのは、書評の続きはこちらに。

【書評】[003]神の顔と神の背中
2002年8月18日(日曜)雨

【書評】土居健司『神認識とエペクタシス』創文社、一九九八年

この書物は、キリスト教の教父の一人、ニュッサのグレゴリウスにおける神認識の方法論としてのエピクタシスを考察するものである。といってもぴんとこない(笑)。日本ではキリスト教の教父の理論の概説書として定本とも言える書物さえみかけない状態で、グレゴリウス研究、しかも神認識の方法論だけで一書が発行されるというのは、バランスがあまりよくない。といってもこれは仕方のないことで、外国の研究を批判しながら、グレゴリウスの概念を詳しく研究する興味深い書物である。とくに…書評の続きはこちらに。

【書評】[002] 戦争という名のゲーム
2002年8月8日(木曜) 晴れ/晴れ


【書評】フィリップ・ディック『ザップ・ガン』
大森望訳、創元推理文庫、1989年

ディックのこの本は原作が1964年、以来多くのSF作家や映画に影響を与えてきた書だろうと思う。著者もいうように、「クズ」の印象を与えかねない構成だが、そのクズのうちにうもれているものは豊富だと思う。たとえば人間が他の星の生物から収穫される家畜にすぎないというアイデアは、ユダヤ以来の「神の羊」という概念を転倒させてみせたもので、多くのヴァリエーションを生んでいる。書評の続きはこちらに。

【書評】[001]文字と絵画の宗教
2002年8月6日(火) 晴れ/晴れ


【書評】ミシェル・タルデュー『マニ教』
大貫隆・中野千恵美訳、白水社、2002年2月

マニ教は不思議な宗教だ。世界宗教の多くは、聖なる書物を擁しているが、教義を記録するために、一つの言語の書記方法まで作り出してしまう宗教はそうめったにあるものではない。マニは自分の教えを大衆に理解してもらうために、自分の語るイラン語を誤解の余地のない明晰な言語として記録する方法を作り出したのである。書評の続きはこちらに。