【書評】[149]シュミットを読み解く
2003年12月22日
【書評】ジョージ・シュワーブ『例外の挑戦』宮本盛太郎ほか訳、みすず書房、一九八〇年
カール・シュミットの政治思想を、1921年から1936年にかけて、そのおりおりの政治的な状況への対処として読みとく研究書。時代の中でシュミットの政治思想を考えることができるので、わかりやすい。ぼくの好みのアプローチだが、ところどころに無理を感じる。思想の根幹から目が外れてしまう傾向があるのは、この方法の難点でもある。書評の続きはこちらに。


【書評】[148]ホネットの政治哲学の注目書
2003年12月16日
【書評】アクセル・ホーネット『承認をめぐる闘争』山本・直江訳、法政大学出版局、二〇〇三年九月
やっと邦訳がでたホネットの政治哲学の注目書。承認論をめぐっては、ホネットはその後もフェミニズストたちなどとも論争を重ねている。ハーバーマスの強い影響下のうちではありながら、ホネットが承認論を初めて本格的に展開した書物だけに、興味深い。書評の続きはこちらに。


【書評】[147]ポリスの外部で生きる人
2003年12月11日
【書評】ポール・マケクニー『都市国家のアウトサイダー』向山宏訳、ミネルヴィ書房、一九九五年
ギリシアの古代史というと、ポリスのことを最初に思い浮かべる。民主主義のアテナイと寡占体制のスパルタを思い出すのだ。そしてだれもがポリスに所属していたように考えてしまう。たしかにアテナイでは、自由人の市民でなければ、政治的な権力を行使することはできなかった。ポリスの外部からきたメトイコイのことは、すっかり忘れてしまうのだ。本書はこうした盲点をついた好著である。書評の続きはこちらに。


【書評】[146]イタリアのペスト行政
2003年12月8日
【書評】カルロ・チポラ『ペストと都市国家』日野秀逸訳、平凡社、一九八八年
疫病は社会の構造をあらわにする。フーコーは癩病のモデルとペストのモデルを対比させるのがつねだった。排除するモデルと、登録して監視するモデルである。現代の社会はその両方を巧みに使いこなして社会の成員を規制する。この書物は、ルネサンスのイタリアにおいて、どのようにペストが監視され、医者が登録され、衛生局が市民生活の全般を管理していたかを浮き彫りにするものである。書評の続きはこちらに。


【書評】[145]ルネサンスの都市構想
2003年12月6日
【書評】中嶋和郎『ルネサンス理想都市』講談社、一九九六年
ルネサンスの時代には、それまでの中世の都市とは違って、人間のデザインによる都市を構築しようとする試みが輩出する。ミクロコスモスとしての人間と、マクロコスモスとしての宇宙のあいだに、この両方を介在するコスモスとしての都市が考案されたわけだ。そしてこの都市は、古代的な意匠のもとで、人間のまなざしの構造を模倣しようとするものになる。本書はイタリアのルネサンスの時代のこうした都市構想と、実際に建設された都市を紹介するものだ。
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【書評】[144]シュミットの秀逸なホッブス論
2003年12月3日
【書評】カール・シュミット『リヴァイアサン』長尾龍一訳、福村出版、一九七二年
シュミットがナチのイデオローグとしての地位を失いかけていた頃に著したホッブス論を四本まとめて翻訳したもの。シュミットはホッブスとボダンをわが友と呼んでおり、獄中でもその理論の詳細を想起しながら懐かしがっている(「ボダンとホッブスと私」)。それだけにホッブスへの思いいれは強く、かつ読解も深い。
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【書評】[143]キリスト論から有機体論までの王権論
2003年12月1日
【書評】カントローヴィチ『王の二つの身体(上)』小林公訳、筑摩書房二〇〇三年五月
一九九二年に平凡社からでていたカントローヴィチの名著『王の二つの身体』が、二分冊で筑摩の学芸文庫から出版されたときは、嬉しかったものだ。ほとんど入手できない状態になっていたし、図書館から借りるのではなく、手元においておきたかった本だからだ。
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【書評】[142]死の直前までの友愛の記録
2003年11月30日
【書評】『ベンヤミン−ショーレム往復書簡』山本尤訳、法政大学出版局、一九九〇年
奇跡的に残っていたベンヤミン宛てのショーレムの書簡が発見されて、この往復書簡集が生まれた。書簡というのは片道通行では、ほとんど味わうことができないことを考えると、この発見には感謝したい。ベンヤミンが死ぬ直前までのベンヤミンとショーレムのあつい友情の記録を読めるからだ。
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【書評】[141]刺激的な天皇制論議
2003年11月28日
【書評】吉本隆明・赤坂憲雄『天皇制の基層』講談社、二〇〇三年一〇月
もとは一九九〇年に作品社から出版された書物だが、この秋に学術文庫に入った。吉本が沖縄で南島論の講演とセミナーをしたときにも赤坂が出席していたが、そのときの赤坂のこだわりがそのまま対話に表現されている。柳田と折口の天皇制論と、象徴天皇制が話題の中心になるが、吉本の保田評価もおもしろい。
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【書評】[140]吉本の第二期の南島論
2003年11月26日
【書評】吉本隆明ほか『琉球弧の喚起力と南島論』
河出書房新社、一九八九年
一九七〇年代から考察してきた南島論を吉本が新しく転換した時期に沖縄で開かれたシンポジウムの記録。ほかに赤坂憲雄、上原生男、比嘉政夫、嵩元政秀、渡名喜明、高良勉が発言または執筆している。それまで天皇制を乗り越えることを目的に考察してきた南島論だが、この時期からは国家を超えるという目標に転換したために、説得力が増した。赤坂もいうように、天皇制をターゲットにしたのでは、天皇制について実感のないぼくたちにはあまり訴えかけなかったためだ。
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【書評】[139]古典だがまだ刺激的な贈与論
2003年11月24日
【書評】マルセル・モース『贈与論』有地享訳、勁草書房、一九六二年
モースの古典となった『贈与論』。レヴィ=ストロースやバタイユを初めとして、おおくの思想家に影響と考えるヒントを与えた重要な書物である。すでに何度も論じられているが、まだ読むたびに新しい発見があるのはさすがだ。
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【書評】[138]自然の梯子の観念の系譜
2003年11月22日
【書評】C・A・パトリディーズほか『存在の連鎖』
村岡晋一ほか訳、平凡社、一九八七年

ヒストリー・オヴ・アイディアズの一七冊目。パトリディーズの「ヒエラルキーと秩序」がラヴジョイの遺産をうけついで、充実している。ジョージ・ポアズの「マクロコスモスとミクロコスモス」はクラシックな論文、リア・フォルミガリの「存在の連鎖」も宇宙論を中心として、読ませる。
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【書評】[137]西洋における愛の諸相
2003年11月20日
【書評】D・ド・ルージュモンほか『愛のメタモルフォーズ』
笠原順路ほか訳、平凡社、一九八七年

ヒストリー・オヴ・アイディアズの二一冊目。ルージュモンの「愛」、メアリー・デイリー「女性に対する社会的態度」と「信仰・希望・愛」、マール・カーティ「博愛」で構成されるが、ルージュモンの論文がもっとも長く、まとまっている。ただしルージュモンの『愛について』の要約版のようなところがある。『愛について』を読み直さなくてもすんだ、もうかった(笑)という感じ。
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【書評】[136]神話の構造分析の入門に最適
2003年11月17日
【書評】レヴィ=ストロース『アスディワル武勲詩』西澤文昭訳、青土社、一九九三年

だいぶ昔に読んだ本だが、ふと思い立って再読。レヴィ=ストロースがカナダの太平洋岸のインディアンの神話とそのヴァリエーションを構造主義的に解読したもの。『構造神話学』のオイディプス伝説の分析を継ぐ神話分析だが、同時に神話の機能的な役割も重視しているところがおもしろい。
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【書評】[135]古代の法概念のおさらいに
2003年11月15日
【書評】『法思想の層位学』平凡社、一九八六年

ヒストリー・オブ・アイディアズのシリーズの一冊で、「法の概念」「古代ギリシアの法観念」「古代ローマの法概念」「正義」の四つの論文を集めたもの。短い論文集だが、古代のギリシアやローマの法の概念についておさらいをするには役立つ。
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【書評】[134]シリーズで白眉の一冊
2003年11月12日
【書評】中沢新一『愛と経済のロゴス』講談社、二〇〇三年一月

中沢のカイエ・ソバージュの三冊目だが、このシリーズで白眉の一冊ではないか。贈与論において、純粋贈与の概念を提示し、これが経済だけでなく、精神分析におけるラカンが提示した心の構造とも一致することを示しながら、「グローバル資本主義の彼方に出現すべき人類の社会形態についての、ひとつの明確な展望」(6)を提示することを試みる。試みは壮大だ。
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【書評】[133]ルネサンス哲学のお勧めの概説書
2003年11月10日
【書評】チャールズ・シュミット/ブライアン・コーペンヘイヴァー『ルネサンス哲学』

ルネサンス哲学の概説書としては定番となるべき重要な著作がやっと訳された。ケンブリッジの哲学シリーズの『ルネサンス』は訳されないだろうから、概説書としてはこの本がお勧めの一冊の地位を長らく保持することになるだろう。原著一九九二年刊行で、クラステラーの『イタリア・ルネサンスの八人の哲学者』(一九六四年)以来のギャップを埋めてくれるのもうれしい
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【書評】[132]野生のエチカ
2003年11月8日
【書評】中沢新一『人類最古の哲学』講談社、二〇〇二年一月

中沢のカイエ・ソバージュの一冊目。シンデレラの物語を考察しながら、神話的な思考のありかを探る。大学での講義には、聞いていて楽しいだろうし、含蓄もあってためになるだろう。講義の作り方など、教えられるところが多い。レヴィ=ストロースの野生の思考からうけついだ「野生のエチカ」の概念の使い方もうまい。書評の続きはこちらに。


【書評】[131]西洋の一神教の壮大な歴史
2003年11月7日
【書評】カレン・アームストロング『神の歴史』高尾利数訳、柏書房、一九九五年

西洋の一神教の歴史を、ヘブライの神からキリスト教、イスラーム教と順にたどって、宗教改革、神秘主義、現代の原理主義にいたるまで、統一的にみわたそうという壮大な歴史。五〇〇ページほどのうちにこれをすべて盛り込もうというのだから、無理は無理なのだが、つい誘惑されるような試みだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[130]国家はどうやって発生するか
2003年11月5日
【書評】中沢新一『熊から王へ』講談社、二〇〇二年六月

カイエ・ソバージュの二冊目。今回は東北での講義も入り、モンゴロから日本の東北地方を経由して、南米にまで広がる「東北」の概念が登場する。基本的に「国家に抗する社会」のイメージを提示して、現代文明を批判するという筋書きだ。国家の発生が人間の脳のどのような進化のプロセスと重なっているかなど、刺激的な議論が楽しく読める。書評の続きはこちらに。


【書評】[129]南島論の検証
2003年11月4日
【書評】住谷一彦/クライナー・ヨーセフ『南西諸島の神観念』未来社、一九七七年

奄美の島々の現地調査に基づいて、柳田・折口が提示した南島論を検証し、これまでの日本民俗学の想定した南島の神観念とは違う像を提示しようとする野心的な著作。巻頭の多数の写真も貴重で、ぼくたちにはもはや縁が遠くなった宗教心のありかを思わせる。バリ島などで、まだ生活のうちに根差して生きていた神信仰が、しばらく前までは、日本の南西諸島には存続していたことをうかがわせる。書評の続きはこちらに。


【書評】[128]西洋の異端のさまざまな形式
2003年11月2日
【書評】『異端の精神史』平凡社、一九八七年

平凡社で翻訳刊行した思想史の百科事典的なシリーズ『ヒストリー・オブ・アイデアズ』から、一つのテーマに絞ってまとめた本の一冊だ。統一した論述はないが、関連した記述をまとめて読めるので、参考になる。書評の続きはこちらに。





【書評】[127]秀逸なプラトン入門
2003年11月1日
【書評】トーマス・スレザーク『プラトンを読むために』内山勝利ほか訳、岩波書店、二〇〇二年五月

クレーマー『プラトンの形而上学』の流れをくむテュービンゲン学派のスレザークのプラトン入門書。入門とは言いながら、決して水準を落とさず、しかも新しい主張を読者にも理解できるように提示しているのに関心する。言いたいことはワンテーマでありながら、しかもそのテーマからプラトンのさまざまな作品を読みとく視点を読者に示そうとしているのは、さすがだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[126]一神教はどのように発明されたか
2003年10月30日
【書評】中沢新一『神の発明』講談社、二〇〇三年六月

中沢が中央大学で開講している宗教学の講義の記録であり、『カイエ・ソバーシュ』シリーズとして、すでに三冊が刊行されている。この講義では、神の発明の二つの道をアボリジニーやイヌイットたちの創造神話と、旧約の創造記を比較しながら、示してみせる。タイトルにこめられた「野放図な思考の散策」というところもあるが、ラカンのメビウスとトーラスのモデルを使うなど、いろいろと工夫がされていて、おもしろい。書評の続きはこちらに。


【書評】[125]創発する暗黙知
2003年10月29日
【書評】マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』伊東俊太郎訳、紀伊国屋書店、一九八〇年

人間にそなわる暗黙的な知を指摘した古典的な書物。この知は言語で語ることができず、しかも言語化された知の背景となり、これをもたらすことができるもの、科学的な発見をもたらし、研究の指針を教えてくれるものである。書評の続きはこちらに。


【書評】[124]プラトン哲学の読み直し
2003年10月28日
【書評】高橋憲雄『自由と権威の相剋』晃洋書房、一九九二年

わかりにくいタイトルだが、「道徳・政治哲学の根本問題にたいするプラトン的視点からのアプローチ」という長いサブタイトルからわかるように、社会における自由とプラトン的な権威による強制との対立を、政治哲学的に考察するために、『ゴルギアス』におけるソクラテスの立場を考察し、『国家』の哲学者王論で補足するというもの。現代社会に生きるぼくたち「大衆」という視点から、プラトンの哲学を読み直そうとする試みだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[123]民話分析の古典
2003年10月27日

【書評】ヴラジミール・プロップ『民話の形態学』大木伸一訳、白馬書房、一九七二年

ロシアの民話を分析しながら、個々の登場人物がはたしている機能を考察すると、一つのパターンが抽象できることを明らかにした古典的な著作。レヴィ=ストロースの構造主義的な神話分析にたいして、プロップの方法はフォルマリズム的なものと考えることができるだろう。ロシアの民話だけでなく、日本の民話にもこうした民話の祖形はあるだろう。もっともすべてが「一つの根源から発生した」(170)とは到底いえないだろうが。書評の続きはこちらに。


【書評】[122]ギリシアにおける非理性の変遷
2003年10月26日
【書評】E・R・ドッズ『ギリシア人と非理性』岩田靖夫・水野一訳、みすず書房、一九七二年

もう古典的になった一冊。ギリシアというと、理性的な世界と考えられることが多かった頃に、ギリシアの世界のうちに含まれる非理性の要素を説得力をもって描き出したことで有名になった。今ではギリシアのうちの非理性の力が強調されることが多いので、読みながらときに不思議な気持ちがするが、それもドッズを始めとした学者の力が大きかったのだ。当時の理解にあわせるために、ときに現代との比較が多すぎる印象があるが、いまなお興味深い一冊である。書評の続きはこちらに。


【書評】[121]死と共同体
2003年10月25日
【書評】ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』
西谷修・安原伸一郎訳、以文社、二〇〇三年

「わたしは嘘をついている」「わたしは気が狂っている」「わたしは死んでいる」というのは、どれもある不可能なものを含んでいる。語る主体が、語る内容において、根拠において、可能性において、語るという行為そのものに含まれる矛盾をあらわに、みせつけているからだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[120]刺激的なヘブライ思想の研究書
2003年10月24日
【書評】関根正雄『イスラエルの思想と言語』岩波書店、一九六二年
山川偉也訳、勁草書房、一九九一年
まだ、関根氏が枯れて(笑)、抹香臭くなっていないころの野心的な旧約論。晩年になると、信仰心と布教の意志が強くでてきて、旧約もみんなイエスから解読されるようになるのだが、この頃はヘブライの思想とギリシアの思想の比較などに、野心的に取り組んでいる。第一部で、「イスラエルの思想」そのものを考察し、第二部では「ヘブライ思想とギリシア思想」を比較検討する。第三部では「イスラエルの言語」の特性が、思想に及ぼした影響を考える。書評の続きはこちらに。


【書評】[119]ヒーメロスの形而上学
2003年10月23日

【書評】K・I・ブドゥリス『正義・愛・政治』
山川偉也訳、勁草書房、一九九一年
ギリシアの哲学者のブドゥリスが日本各地で行った講演を集めたもの。とくにヘラクレイトスの政治哲学についての考察と、プラトンのエロス論をヒーメロスという視点から読み取る文章が興味深い。ヘラクレイトスは謎に満ちた哲学者があり、プラトンはヘラクレイトスの政治哲学を畏れたという。『国家』とは違う古代ギリシアの政治哲学のイメージがうかがわれておもしろい。書評の続きはこちらに。


【書評】[118]楽しい試み
2003年10月21日


【書評】瀬戸和夫『ムーミンの哲学』勁草書房、二〇〇二年六月
ムーミンの漫画、とくに著者の好みのアニメのビデオを分析しながら、哲学の問題をとりだすという楽しい試みだ。ぼくも好きだな、そういうの。もちろんどれほど漫画やアニメの原作から哲学の問題を立てることができるかどうかで、手腕を問われるが、いろいろと考えてみるのは楽しいものだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[117]古代思想のわかりやすい入門書
2003年10月20日

【書評】佐々木毅『よみがえる古代思想』講談社、二〇〇三年二月
佐々木氏が朝日カルチャー・センターで行った講義の記録。古代の政治哲学をよく知らない人も入りやすいようになっている。もちろん一冊でソクラテスからローマのストア派まで紹介するので、あまり掘り下げはないが、古代の哲学の勘所をきちんとおさえてあり、入門書としてはお勧めできる。書評の続きはこちらに。


【書評】[116]古代小説の三類型
2003年10月19日

【書評】ミハイル・バフチン『小説の時空間』北岡誠司訳、新時代社、一九八七年
バフチン著作集の六巻の本書は、ギリシアの小説から古代の伝記と自伝、フォークロア、騎士道小説、ラブレーにいたる小説の時空のクロノトポスを考察する。クメノトポスは空間と時間の複合であるが、文学では「空間上の特徴と時間上の特徴とは、意味をもつ具体的な全体の中で融合する。……時間の特徴が、空間のなかでその本質をあらわにし、空間は、時間によって意味づけられ計測される」(8)と考えるのである。書評の続きはこちらに。


【書評】[115]ヘレニズム哲学の入門書として一押し
2003年10月18日

【書評】A・A・ロング『ヘレニズム哲学』京都大学出版会、二〇〇三年六月
この分野の硯学で第一人者のロングが、ストア派、エピクロス派、懐疑派を手際よく考察した『ヘレニズム哲学』が翻訳刊行されたことを祝いたい。原著の初版は一九七四年で、研究状況もかなり変わってきてはいるが、この時代については本格的な論考があまりなかったので、この分野についてはいま一番推薦できる書物である。書評の続きはこちらに。


【書評】[114]パウロの言語ゲーム
2003年10月17日

【書評】清水哲郎『パウロの言語哲学』岩波書店、二〇〇一年二月

再読。『オッカムの言語哲学』の著書のある清水氏が、パウロの書簡のテクストを読み込んで、言語ゲーム(72)を展開する。そして一般的な解釈の誤謬を提示しながら、パウロの思想とパウロを受け継いだ初期の教会の思想を追跡し、キリスト教の思想がいかにギリシア哲学のアルケーの思想を継いだものであるを示す。わかりよい一冊だ。書評の続きはこちらに。


【書評】[113]時間収奪の仕組み
2003年10月15日


【書評】瀬戸一夫『時間の民族史』勁草書房、二〇〇三年一月

サブタイトルが「教会改革とノルマン征服の神学』というこの書物は、宗教の世界と世俗の世界が分裂していた中世初期の状態から、いわゆる叙任権闘争を経て、キリスト教を利用した世俗の国家が成立していく経緯をわかりやすく説明してくれる。後半のノルマン・コンケスト以降におけるランフランクスの神学の考察が、バランスを失している感はあるが、お勧めの一冊だ。書評の続きはこちらに。


【書評】[112]悪魔についての浩瀚な書物
2003年10月12日


【書評】ニール・フォーサイス『古代悪魔学』
野呂有子監訳、法政大学出版会二〇〇一年五月

悪魔についての浩瀚な書物で、シュメールの神話からアウグスティヌスまでの長い時期にわたって、悪魔についての理論の変遷を考察する。実に充実していて、楽しく読めるがときどきあまりにも細部にわたるので、混乱しそうになる。そんなとき、末尾の詳細な索引が役にたつ。悪魔について考える際には必読の書だろう。書評の続きはこちらに。


【書評】[111]意識と自我と社会についての刺激的な考察
2003年10月10日


【書評】G・H・ミード『精神・自我・社会』
稲葉・滝沢・中野訳、青木書店、一九七三年

社会的行動主義を標榜するミードの古典的な一冊。内観によって精神がまず存立を確認され(意識というほうが今ではわかりやすいだろう)、そこから自我が誕生し、他者との間の共通の空間である社会が生まれる。これは現実の発生の順序ではなく、循環的なプロセスとなる。精神の成立には、言語を使って意味をコントロールするメカニズムが必要だが(141)、そのためにはすでに社会が成立していなければならないからだ。「精神の領域は言語から出現する」(Ibid.)のである。書評の続きはこちらに。


【書評】[110]楽しく読めるキリスト教の教理史
2003年10月8日


【書評】坂口ふみ『〈個〉の誕生』岩波書店、一九九六年

キリスト教の教理の歴史を、ニカイア信条とカルケドン信条を軸にたどる書物。とくに最初のニカイア公会議で中心のテーマとなった三位一体の問題が、ペルソナの概念を軸に解決され、カルケドン会議におけるキリストの問題が、ヒュポシタシスの概念を軸に解決されたことを示す解明は、説得力をもつ。著者も指摘するように、キリスト教の教義の退屈な歴史に思えることが、実は困難な哲学的な思索の軌跡を示すものなのだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[109]精神分析からみた分身
2003年10月4日


【書評】オットー・ランク『分身』有内嘉宏訳、人文書院、一九八八年

分身についての精神分析的な考察だが、ドイツの小説や民話などから広く例を集めて分析する。いろいろな例があげられているでわかりよいが、精神分析的な考察が最後の章だけになっていて、寂しい。もう少し深い分析が欲しいところだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[108]歴史的にみた絵画の遠近法
2003年10月2日



【書評】『遠近法の精神史』佐藤忠良、中村雄二郎、小山清男
若桑みどり、中原佑介、神吉敬三、平凡社、一九九二年

遠近法の歴史を古代からピカソの時代まで、豊富な絵画の実例を使って考察した書物。一連の連続講義の形で、それぞれの専門分野について、遠近法をさまざまなアプローチで考察する。たのしく読める一冊だ。書評の続きはこちらに。


【書評】[107]資本主義の謎
2003年9月30日



【書評】マックス・ウェーバー『古代社会経済史』上原ほか訳、東洋経済、一九五九年

もうずいぶん前の本だが、ヨーロッパの、そして世界の経済史を考える上では重要な一冊だ。マルクスは世界の経済組織体を歴史的に、主に生産関係から考察して、アジア的、古典的、ゲルマン的と分類した。これに対してウェーバーはヨーロッパだけについて次のような一つの共通の変遷形式があったと考える。書評の続きはこちらに。


【書評】[106]キリスト教に注ぐ源流
2003年9月29日



【書評】グレゴリー・ライリー『神の河』
森夏樹訳、青土社、二〇〇二年一〇月

サブタイトルをキリスト教起源史とするこの書物は、キリスト教が成立するまでに、古代のどのような遺産が必要だったか、そしてキリスト教の教義が確定されるまでに、どのような紆余曲折が必要だったかを説明する。キリスト教におけるギリシア哲学の影響は明らかだが、あまり重視されないし、認識されても否定的な文脈で語られることが多いので、好感をもてる。書評の続きはこちらに。


【書評】[105]日本人論の陥穽
2003年9月28日



【書評】木村敏『人と人の間』』弘文堂、一九七二年

もう古い古典的な本だが、ふとおもいたって読み返した。いくつか疑問なところがある。いわゆる日本人論に固有の陥穽に陥っていると思われるところがあるのだ。まず「われわれ日本人」が、生まれによってではなく、血によって決まっているというのはどうか。「「われわれ日本人」に表されている日本人の集合的アイデンティティーが、西洋人のそれと違って個人的レベルのものではなく、超個人的な血縁的、それも血縁史的なアイデンティティーである」(12)のは疑問だ。書評の続きはこちらに。


【書評】[104]一三世紀までの告白の歴史
2003年9月27日



【書評】C・M・ロバーツ『一二一五年までの告白の歴史』ケンブリッジ大学出版会、一九〇一年

キリスト教の誕生から、一二一五年の第四回ラテラノ公会議まで、すべての教徒の告解が定められるまでのキリスト教の告白の歴史を年代順に考察したもの。主要な出来事には欄外に年代がつけられ、引用文はすべて脚注で原文を記載してあるので役立つ。書評の続きはこちらに。


【書評】[103]分身のこわさ
2003年9月22日



【書評】クレマン・ロセ『現実とその分身』金井裕訳、法政大学出版局、一九八九年

ふつうに考えられる分身についての考察も含まれるが、もっと哲学的な視野からみた現実と現実の分身についての考察が中心になる。たとえばプラトンのイデアの世界や、本質が現象するヘーゲルの世界だ。訳者によると、ロセは主著の『反自然』において、このプラトンからヘーゲルにいたる系譜と、その形而上学的な世界観を批判するルクレチウスからニーチェの系譜を対比させて、後者にくみしているという。わかりやすいスタンスだ。書評の続きはこちらに。


【書評】[102]ヨーロッパの新しい全体像
2003年9月20日



【書評】エマニュエル・トッド『新ヨーロッパ大全、一』
石崎晴己訳、藤原書店、一九九二年

ポール・ニザンの孫でもあるという著者が、家族人類学的な視点から、ヨーロッパの新しい歴史と全体像を描き出すという野心作だ。そのために著者は、国別ではなく、地方自治体ごとに新しいヨーロッパの地図を作り出して、それぞれの地方を研究したモノグラフィーを利用しながら、国境とは違う境界線を描き出していく。書評の続きはこちらに。


【書評】[101]生命倫理についての周到な考察
2003年9月16日



【書評】立岩真也『私的所有論』勁草書房、一九九七年

人は自分の身体を「所有」しているのかという問いから、自己決定の問題、公平性の問題、他者の問題、生命倫理のさまざまな問題などに取り組んだ注目作。長年の思索のあとが、ときに迷路に迷い込むような論理の道筋に反映されている。問いをたて、その問いのさまざまな答え方を考え、解きほぐし、自分なりの回答を出そうと努力する試みを買う。書評の続きはこちらに。